武学啓蒙 / 論・奸佞は天地の嫌うところ、善悪の分かれ目
上の諸條の所出、先人、歷年の書牘中に注して、文字家の言あり、老兵の語あり、凡人の語あり、今は煩しく、一々に、のせざれども、此條、ひとり、其篇目より、かきたれば、本文の、まゝにするなり、さて、世に傳る、神託と云に據り、論ずるは、少しく否むべきに似たれども、人の信ずる所を、とりて、近く、たとへ、さとす道なるべし、其主意は、奸曲邪佞は、天地、神明の、きらひにくみ玉ふ所なるに、それを、すき好むと云、心中の潔よからざるの、しるしなれば、是臆病ものに、疑なし、とかく、天地神明の、すき玉ふ、正直、老質よりする道ありて、武士の正義を、ふみしめ、恥を知るに、あらざれば、眞勇、剛のものに、あらざるを、明すなり、如此怯者にしては、己が武功のわざは、立がたし、其己が功、立得ざるより、人の手柄を、ねたむも勢ひなり、しかるに、君、君たるの德、うすくなれば、彼奸佞に、たぶらかされ、後先みへざる、眞闇となり、國ほるぶるにいたるなり、されば、賢能の善と、奸佞の惡と、世俗の、みる所にて、たとへば、菩薩行など云、道人の道ありくに、人の、けが、あらんかと、角ある石など、とりのけ、ありくに、一個の渾者、闇の夜ごとに、人の簷下を、うかゞひ、承溜の竹を、こかし置、何の怨もなき、往來の人をして、けが、あやまち、あれかしと、願ふものあり、善惡の趨向、表裏の殊異、かゝる、わけありて、奸人の、わるだくみ、善人の思ひ、よらざること多し、もし君子五穀となりて、人を養んとすれば、横道の小人、いなむし、或は、惡草の、稻苗を害するの、わざをなす、是它なし、天地淸明の氣を、受たる人と、汚濁氣の凝りたるを、受たる人との、かわりめにて、
新字:上の諸条の所出、先人、歴年の書牘中に注して、文字家の言あり、老兵の語あり、凡人の語あり、今は煩しく、一々に、のせざれども、此条、ひとり、其篇目より、かきたれば、本文の、まゝにするなり、さて、世に伝る、神託と云に拠り、論ずるは、少しく否むべきに似たれども、人の信ずる所を、とりて、近く、たとへ、さとす道なるべし、其主意は、奸曲邪佞は、天地、神明の、きらひにくみ玉ふ所なるに、それを、すき好むと云、心中の潔よからざるの、しるしなれば、是臆病ものに、疑なし、とかく、天地神明の、すき玉ふ、正直、老質よりする道ありて、武士の正義を、ふみしめ、恥を知るに、あらざれば、真勇、剛のものに、あらざるを、明すなり、如此怯者にしては、己が武功のわざは、立がたし、其己が功、立得ざるより、人の手柄を、ねたむも勢ひなり、しかるに、君、君たるの徳、うすくなれば、彼奸佞に、たぶらかされ、後先みへざる、真闇となり、国ほるぶるにいたるなり、されば、賢能の善と、奸佞の悪と、世俗の、みる所にて、たとへば、菩薩行など云、道人の道ありくに、人の、けが、あらんかと、角ある石など、とりのけ、ありくに、一個の渾者、闇の夜ごとに、人の簷下を、うかゞひ、承溜の竹を、こかし置、何の怨もなき、往来の人をして、けが、あやまち、あれかしと、願ふものあり、善悪の趨向、表裏の殊異、かゝる、わけありて、奸人の、わるだくみ、善人の思ひ、よらざること多し、もし君子五穀となりて、人を養んとすれば、横道の小人、いなむし、或は、悪草の、稲苗を害するの、わざをなす、是它なし、天地清明の気を、受たる人と、汚濁気の凝りたるを、受たる人との、かわりめにて、
書き下し
上の諸條の所出、先人、歷年の書牘中に注して、文字家の言あり、老兵の語あり、凡人の語あり、今は煩しく、一々に、のせざれども、此條、ひとり、其篇目より、かきたれば、本文の、まゝにするなり、さて、世に傳る、神託と云に據り、論ずるは、少しく否むべきに似たれども、人の信ずる所を、とりて、近く、たとへ、さとす道なるべし、其主意は、奸曲邪佞は、天地、神明の、きらひにくみ玉ふ所なるに、それを、すき好むと云、心中の潔よからざるの、しるしなれば、是臆病ものに、疑なし、とかく、天地神明の、すき玉ふ、正直、老質よりする道ありて、武士の正義を、ふみしめ、恥を知るに、あらざれば、眞勇、剛のものに、あらざるを、明すなり、如此怯者にしては、己が武功のわざは、立がたし、其己が功、立得ざるより、人の手柄を、ねたむも勢ひなり、しかるに、君、君たるの德、うすくなれば、彼奸佞に、たぶらかされ、後先みへざる、眞闇となり、國ほるぶるにいたるなり、されば、賢能の善と、奸佞の惡と、世俗の、みる所にて、たとへば、菩薩行など云、道人の道ありくに、人の、けが、あらんかと、角ある石など、とりのけ、ありくに、一個の渾者、闇の夜ごとに、人の簷下を、うかゞひ、承溜の竹を、こかし置、何の怨もなき、往來の人をして、けが、あやまち、あれかしと、願ふものあり、善惡の趨向、表裏の殊異、かゝる、わけありて、奸人の、わるだくみ、善人の思ひ、よらざること多し、もし君子五穀となりて、人を養んとすれば、横道の小人、いなむし、或は、惡草の、稻苗を害するの、わざをなす、是它なし、天地淸明の氣を、受たる人と、汚濁氣の凝りたるを、受たる人との、かわりめにて、
現代語訳
上の諸条の出所は、先人が年来の書簡の中に注して、文字家(学者)の言があり、老兵の語があり、凡人の語があります。今は煩わしいので一々は載せませんが、この条だけは、その篇目から書いたので、本文のままにします。さて、世に伝わる神託というものに拠って論ずるのは、少し否むべきようですが、人の信ずるところを取って、近くたとえ、さとす道なのでしょう。その主意は、奸曲邪佞は天地神明のお嫌いお憎みになるところなのに、それを好むというのは、心中の潔くない印なので、これは臆病者に疑いない、ということです。とにかく、天地神明のお好みになる正直・老質(誠実で重厚)からする道があって、武士の正義を踏みしめ、恥を知るのでなければ、真の勇・剛の者ではないことを明らかにするのです。このような臆病者では、自分の武功の業は立てがたく、自分が功を立てられないために人の手柄をねたむのも当然です。そうして君が君たる徳が薄くなれば、あの奸佞にたぶらかされ、先後も見えない真の闇となって、国が滅ぶに至ります。そこで、賢能の善と奸佞の悪は、世俗の見るところですが、たとえば、菩薩行などという道人が道を歩くのに、人が怪我をしないかと、角のある石などを取りのけて歩くのに、一人の愚か者が、闇の夜ごとに人の軒下をうかがい、雨水を受ける竹樋を転がし置き、何の怨みもない往来の人に怪我や過ちがあれと願う者がいます。善悪の趣向、表裏の違いにはこのようなわけがあって、奸人の悪だくみは善人の思いも寄らないことが多いのです。もし君子が五穀となって人を養おうとすれば、横道の小人は稲の虫となり、あるいは悪草となって稲の苗を害する行いをします。これは他でもなく、天地清明の気を受けた人と、汚濁の気の凝ったのを受けた人との違いで、
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
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