武学啓蒙 / 論・心の汚れと律義:神託と三略を引く
○豹の巻に曰、八幡宮の神託に、心けがれ、或は心きたなき人、御きらひ、なさるゝとなり、うそをつき、或は、へつらひ、或は主君へ、忠節武功のものを、にくむは、心濁り、穢るゝ人なり、おく病なること、疑なし、春日大明神の神託にも、邪見のもの、或は慈悲なき人を、御きらひなさるゝとなり、主君へ、忠節忠功の武士を、猜み惡み誹るは、邪見の奸人にて、しかも、臆病なり、三略に曰、賢を傷しものは、殃三世に及び、賢を妨蔽ひしものは、其身に、害をうけ、賢を、ねたむものは、其名、全からずと、又曰、賢を進むるものは、其福、子孫まで流ると、たしかなる本文あり、太神宮の神託に、謀計は、眼前の利潤たりといへども、必神明の罰に、あたり、正直は、一旦の依怙にあらずといへども、終に日月の憐を蒙ると、日本は、神國なり、三大社ともに、御きらひ、なさるゝ人は、不正直人、或は謀計を以て僞をなし、己は何の手柄も、仕らず、四十五十にても、如此にして、只よき武士を、惡み、もふすこと、或は、無慈悲、或は心の汚れ穢るゝにて、神明の罰あたる、道理なりと、又同書、往事を、とがめざる所に云、心律義なる人こそ、武功の大要なれ、律義の人は、恥を知る故に、心明なり、心明なれば、諸事、正路なり、一には諂ひなく、二には輕薄なく、三には念入て、案内者なり、心だて、不律義の人こそ、臆病の大要なれ、一には物に不念あり、二には、そさうなり、三には、へつらひある故、けいはくなり、四には、僞あり、五には、よき人を、ねたむ、女の意ばせあり、六には、ふぎんみにて、武士道を知らず、よき武士なりとも、我と中あしければ、是を、そしる、七には、正道なれば、中あしき、人にも、よきことあれば、是を、ほむるは、武士道の、強みなりしに、是を畏るやうに、もふす、不律義もの、己が心を以て、人をたくらべ、如此なり、八には、友、ほうばいを、だしぬくこと、多しと、云々、
新字:○豹の巻に曰、八幡宮の神託に、心けがれ、或は心きたなき人、御きらひ、なさるゝとなり、うそをつき、或は、へつらひ、或は主君へ、忠節武功のものを、にくむは、心濁り、穢るゝ人なり、おく病なること、疑なし、春日大明神の神託にも、邪見のもの、或は慈悲なき人を、御きらひなさるゝとなり、主君へ、忠節忠功の武士を、猜み悪み誹るは、邪見の奸人にて、しかも、臆病なり、三略に曰、賢を傷しものは、殃三世に及び、賢を妨蔽ひしものは、其身に、害をうけ、賢を、ねたむものは、其名、全からずと、又曰、賢を進むるものは、其福、子孫まで流ると、たしかなる本文あり、太神宮の神託に、謀計は、眼前の利潤たりといへども、必神明の罰に、あたり、正直は、一旦の依怙にあらずといへども、終に日月の憐を蒙ると、日本は、神国なり、三大社ともに、御きらひ、なさるゝ人は、不正直人、或は謀計を以て偽をなし、己は何の手柄も、仕らず、四十五十にても、如此にして、只よき武士を、悪み、もふすこと、或は、無慈悲、或は心の汚れ穢るゝにて、神明の罰あたる、道理なりと、又同書、往事を、とがめざる所に云、心律義なる人こそ、武功の大要なれ、律義の人は、恥を知る故に、心明なり、心明なれば、諸事、正路なり、一には諂ひなく、二には軽薄なく、三には念入て、案内者なり、心だて、不律義の人こそ、臆病の大要なれ、一には物に不念あり、二には、そさうなり、三には、へつらひある故、けいはくなり、四には、偽あり、五には、よき人を、ねたむ、女の意ばせあり、六には、ふぎんみにて、武士道を知らず、よき武士なりとも、我と中あしければ、是を、そしる、七には、正道なれば、中あしき、人にも、よきことあれば、是を、ほむるは、武士道の、強みなりしに、是を畏るやうに、もふす、不律義もの、己が心を以て、人をたくらべ、如此なり、八には、友、ほうばいを、だしぬくこと、多しと、云々、
書き下し
○豹の巻に曰、八幡宮の神託に、心けがれ、或は心きたなき人、御きらひ、なさるゝとなり、うそをつき、或は、へつらひ、或は主君へ、忠節武功のものを、にくむは、心濁り、穢るゝ人なり、おく病なること、疑なし、春日大明神の神託にも、邪見のもの、或は慈悲なき人を、御きらひなさるゝとなり、主君へ、忠節忠功の武士を、猜み惡み誹るは、邪見の奸人にて、しかも、臆病なり、三略に曰、賢を傷しものは、殃三世に及び、賢を妨蔽ひしものは、其身に、害をうけ、賢を、ねたむものは、其名、全からずと、又曰、賢を進むるものは、其福、子孫まで流ると、たしかなる本文あり、太神宮の神託に、謀計は、眼前の利潤たりといへども、必神明の罰に、あたり、正直は、一旦の依怙にあらずといへども、終に日月の憐を蒙ると、日本は、神國なり、三大社ともに、御きらひ、なさるゝ人は、不正直人、或は謀計を以て僞をなし、己は何の手柄も、仕らず、四十五十にても、如此にして、只よき武士を、惡み、もふすこと、或は、無慈悲、或は心の汚れ穢るゝにて、神明の罰あたる、道理なりと、又同書、往事を、とがめざる所に云、心律義なる人こそ、武功の大要なれ、律義の人は、恥を知る故に、心明なり、心明なれば、諸事、正路なり、一には諂ひなく、二には輕薄なく、三には念入て、案内者なり、心だて、不律義の人こそ、臆病の大要なれ、一には物に不念あり、二には、そさうなり、三には、へつらひある故、けいはくなり、四には、僞あり、五には、よき人を、ねたむ、女の意ばせあり、六には、ふぎんみにて、武士道を知らず、よき武士なりとも、我と中あしければ、是を、そしる、七には、正道なれば、中あしき、人にも、よきことあれば、是を、ほむるは、武士道の、強みなりしに、是を畏るやうに、もふす、不律義もの、己が心を以て、人をたくらべ、如此なり、八には、友、ほうばいを、だしぬくこと、多しと、云々、
現代語訳
○豹の巻にいうには、八幡宮の神託に、心が汚れ、あるいは心の汚い人をお嫌いになるとのことです。嘘をつき、あるいは諂い、あるいは主君への忠節・武功の者を憎むのは、心が濁り汚れた人です。臆病であることは疑いありません。春日大明神の神託にも、邪見の者、あるいは慈悲のない人をお嫌いになるとのことです。主君への忠節・忠功の武士をねたみ憎み謗るのは、邪見の奸人で、しかも臆病です。『三略』にいうには、賢者を傷つけた者は、災いが三世に及び、賢者の道をふさぎ覆った者は、その身に害を受け、賢者をねたむ者は、その名が全うされない、と。またいうには、賢者を進める者は、その福が子孫まで流れる、と。確かな本文があります。太神宮の神託に、謀計は目の前の利益ではあっても必ず神明の罰に当たり、正直は一時の頼みにはならなくても、ついには日月の憐れみを受ける、と。日本は神国です。三大社とも、お嫌いになる人は、不正直な人、あるいは謀計によって偽りをなし、自分は何の手柄も立てず、四十、五十になってもこのようにして、ただ立派な武士を憎んで悪く言う、あるいは無慈悲、あるいは心の汚れ穢れる者で、神明の罰が当たるのは道理だということです。また同書の、往事をとがめざる所にいうには、心の律義な人こそ武功の大要である。律義の人は恥を知るので心が明らかである。心が明らかなので諸事に正路である。一には諂いがなく、二には軽薄でなく、三には念を入れて案内者(物事に通じた者)である。心だてが不律義の人こそ臆病の大要である。一には物に不念(うっかり)がある、二には粗相である、三には諂いがあるので軽薄である、四には偽りがある、五には立派な人をねたむ、女の意地張りがある、六には不吟味で武士道を知らず、立派な武士であっても自分と仲が悪ければこれを謗る、七には正道であれば、仲の悪い人にもよいことがあればこれを褒めるのは武士道の強みであるのに、これを恐れるように言う、不律義者は自分の心で人を比べ、このようである。八には友や朋輩を出し抜くことが多い、云々。
解説

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