武学啓蒙 / 論・直道の意地は仁の道、人の美を成す
按ずるに、此直道の意地と云こと、至極の大道なり、凡そ、古の聖賢、千辛萬苦と、身を勞し、思を竭して、席暖まらず、突くろまらず、いそがわしきも、此ことなり、大にして、不廷を征するは、驕れるを、おさゆるなり、小にして、孤寡無告を憐むは、おちぶれたるを、たすくるなり、是より下りて、諸子百家の學なども、畢竟道の全躰に、わたるか、わたらざるかの小大、辟するか、辟せざるかの險易あるのみにて、彼衰ふる所を、救ふ心は、同じ的なり、されば、此條、近く、たとへを取、仁の方とも、云べし、世人、皆心得とするにたれり、また少し格を、はづしてなりとも、なりだけの扶助を加へ、其道を、なしとげさすとは、君子は、人の美を成とげさすの大義、昔しも、義を重ぜし人の言に、彼は義人なり、豈常套に拘わるべけんやと、又釜庾のあひだを惜みて、烈士の心を傷しむべけんやと、皆同意なり、常の、けんやくは、道のために、手あてするのこと、國の貯を論ぜし、聖制にかなへり、武のかせぎの略は、予が老功昔傳、及び、勝場秘鍵にあり、故にこゝには、論ぜす、
新字:按ずるに、此直道の意地と云こと、至極の大道なり、凡そ、古の聖賢、千辛万苦と、身を労し、思を竭して、席暖まらず、突くろまらず、いそがわしきも、此ことなり、大にして、不廷を征するは、驕れるを、おさゆるなり、小にして、孤寡無告を憐むは、おちぶれたるを、たすくるなり、是より下りて、諸子百家の学なども、畢竟道の全体に、わたるか、わたらざるかの小大、辟するか、辟せざるかの険易あるのみにて、彼衰ふる所を、救ふ心は、同じ的なり、されば、此条、近く、たとへを取、仁の方とも、云べし、世人、皆心得とするにたれり、また少し格を、はづしてなりとも、なりだけの扶助を加へ、其道を、なしとげさすとは、君子は、人の美を成とげさすの大義、昔しも、義を重ぜし人の言に、彼は義人なり、豈常套に拘わるべけんやと、又釜庾のあひだを惜みて、烈士の心を傷しむべけんやと、皆同意なり、常の、けんやくは、道のために、手あてするのこと、国の貯を論ぜし、聖制にかなへり、武のかせぎの略は、予が老功昔伝、及び、勝場秘鍵にあり、故にこゝには、論ぜす、
書き下し
按ずるに、此直道の意地と云こと、至極の大道なり、凡そ、古の聖賢、千辛萬苦と、身を勞し、思を竭して、席暖まらず、突くろまらず、いそがわしきも、此ことなり、大にして、不廷を征するは、驕れるを、おさゆるなり、小にして、孤寡無告を憐むは、おちぶれたるを、たすくるなり、是より下りて、諸子百家の學なども、畢竟道の全躰に、わたるか、わたらざるかの小大、辟するか、辟せざるかの險易あるのみにて、彼衰ふる所を、救ふ心は、同じ的なり、されば、此條、近く、たとへを取、仁の方とも、云べし、世人、皆心得とするにたれり、また少し格を、はづしてなりとも、なりだけの扶助を加へ、其道を、なしとげさすとは、君子は、人の美を成とげさすの大義、昔しも、義を重ぜし人の言に、彼は義人なり、豈常套に拘わるべけんやと、又釜庾のあひだを惜みて、烈士の心を傷しむべけんやと、皆同意なり、常の、けんやくは、道のために、手あてするのこと、國の貯を論ぜし、聖制にかなへり、武のかせぎの略は、予が老功昔傳、及び、勝場秘鍵にあり、故にこゝには、論ぜす、
現代語訳
考えますに、この直道の意地ということは、至極の大道です。およそ古の聖賢が千辛万苦して身を労し、思いを尽くし、席の暖まる暇もなく、煙突の黒くなる暇もなく忙しく動いたのも、このことです。大きくは、朝廷に従わない者を征するのは驕れる者を抑えることであり、小さくは、身寄りのない孤寡の訴えるところのない者を憐れむのは、落ちぶれた者を助けることです。これより下って、諸子百家の学なども、結局は道の全体に及ぶか及ばないかの大小、偏るか偏らないかの険易があるだけで、衰えたところを救う心は同じ的です。そうしますと、この条は、近くにたとえを取って、仁の方とも言うべきで、世の人がみな心得とするに足ります。また、少し格を外れてでも身分相応の扶助を加え、その道を成し遂げさせるというのは、君子は人の美を成し遂げさせるという大義であり、昔、義を重んじた人の言葉に、彼は義人である、どうして常套に拘るべきか、また釜庾(わずかな穀物)の間を惜しんで烈士の心を傷つけてよいものか、とあるのと、みな同じ意です。常の倹約は道のために手当てをすることで、国の蓄えを論じた聖制にかないます。武の稼ぎの略は、私の老功昔伝、および勝場秘鍵にあるので、ここでは論じません。
解説

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『弁名』君子小人孔子曰く、「君子仁を去りて、悪くにか名を成さん」と。豈に然らずや。然れども其の所謂仁は、或は慈愛を以て之を言ひ、或は人欲浄尽・天理流行を以て之を言ふ。則ち孔子の言有りと雖も、能く其の謬りを救ふこと無し。豈に悲しからずや。学者は論語諸書の君子を言ひ仁を言ふ諸章を以て、諸を古義に求めば、庶はくは或は失はざらんのみ。大氐古の学は詩書礼楽、故に君子は辞を修め政に達し、礼楽以て之を文る。是れ之を成徳と謂ふ。此に外れて成徳を語り、心を以てし理を以てするは、皆三代の君子を論ずるの義に非ざるなり。
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『徂徠先生答問書』卷上一何にても平生御提撕被成候て利益多候儀を可申進候旨御求め被仰下候。遠境御深切の儀感入候。聖人の道広大無辺なる儀に候。就中君子の道を申候はゞ、仁の外に又肝要なる儀無御座候。仁は慈悲の事と大形は心得候得共、慈悲に様々御座候故、的切の訓解にては無御座候。天理人欲の説は後世の見識にて、大なる相違に候。惻隠の心は仁也と申候事も、孟子は子細有之被申候事に御座候。惻隠の心は、大形は尼御前などの慈悲に被成候故。今日難取用候。
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『弁名』君子小人君子とは上に在るの称なり。子は男子の美称にして、之を尚ふるに君を以てす。君とは下を治むる者なり。士大夫は皆民を治むるを以て職と為す、故に君を之が子に尚へて以て之を称す。是れ位を以て之を言ふ者なり。下位に在りと雖も、其の徳人の上たるに足る、亦た之を君子と謂ふ。是れ徳を以て之を言ふ者なり。古の人は学びて徳を成せば、則ち之を士に進め、以て大夫に至る。故に君子とは成徳の称と曰ふ。後世の儒者は、老荘の内聖外王の説、其の骨髄に淪み、遂に先王の道の民を安んずるの道たるを忘る。故に其の所謂君子なる者は、多く仁を外にして以て之を言ふ。其の失之れ遠きこと甚だし。
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論語・憲問篇子曰く、君子にして不仁なる者有るかな。未だ小人にして仁なる者有らざるなり。
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『初学訓』巻之三一学問の道は、他にあらず、只、善悪を明らかに知りて、善を行ひ悪を去るにあり。およそ人は、ただ心もわざも、善に志し善を行ひて、人をあはれみめぐみ、人を楽ましめて、人を苦めず、人をよみして、人をにくまず、人をうらみず、人の善を褒めて、人をそしらず、これ即ち仁の理にして、君子の道なり。人となりては、君子の道を学び行ふべし。善に志なく、善を行はずして、人を苦めて、人を憐まず、人を侮りて、人を敬はず、人を怨み怒り、人を譏る、是小人の道なり。人となりて、小人の道を行ふべからず。
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『弁名』仁仁なる者は、人に長とし民を安んずるの徳を謂ふなり。是れ聖人の大徳なり。天地の大徳を生と曰ふ。聖人之に則る。故に又た之を好生の徳と謂ふ。聖人なる者は古の天下に君たる者なり。故に君の徳は焉より尚きは莫し。是を以て伝に曰く、「人君と為りては仁に止まる」と。聖人なる者は得て学ぶべからず。後の君子の聖人の道を学びて以て其の徳を成す者は、仁を至りと為す。故に孔子曰く、「君子仁を去りて、悪くにか名を成さん」と。君子と命くる所以の者は、仁を以てなるを言ふ。故に孔門の教へは、必ず仁に依る。其の心聖人の仁と相離れざるを謂ふなり。故に仁なる者は、聖人の大徳にして、君子の徳と為す所以なり。