武学啓蒙 / 論・創業の苦労と功臣の子孫への思いやり
むつかし、卑より高きにのぼるのみならず、互にとらんとられじの戰なればなり、されども上代といひ、且は風土のしからしむる所にや、大にはげしき苦戰は數多からず、張良韓信の徒、善戰者なればなり、たゞ四夫より帝位にいたる、道程險阻の勞、一人の力ならざれば、國初の勳功大なるは、王侯其從士の謀を與にせしも、功により直參し、又は己々の道にて、出身すれば、いつまでも、はじめよりの主從と、つきそふは、すくなし、封建の制とは、格別のわけなり、この後、いくばくの治亂を經、人情世態も、段々機巧多くなりて、いづくの國も、次第に事はげしく、とらふ、とられじの、欲心ばかりにて、義戰良策ならず、そのうへ攻伐、防禦の器械、年々に工夫し、前九年より、後三年の、わずかの、あひだにて、ことかわれる如く、年をふるにしたがひ、華も夷も、手しぶく、手ひどきこと、一かたならず、是によりて、末の代、創業の君、かんなん辛苦、いくたびと云、かぎりなく、世定りて後、一たび其なやみを思ふも、たへがたきほどなれば、我身つめて人の痛さとやらん、處々を扶けて、功業を與にせしものゝ子孫、朕が子孫も同じければとて、賢不肖を論せず、所謂荊釵蔽履の昔し、我に功ありしあとを、みだりにすてざると云、上の下を愛する道にて、思ひやりを加へ、或は侯爵を玉ひ、又くち〱の防ぎなど稱する、鎭戍衞所の諸武官、鐵券をわかち、帶礪を誓ひ、國と存亡を與にするの祿位、起れり、其先縱の武事、操練を事とするは、本邦の武士に、似たれども、天職の政刑を事とせざる、神主知行なれば、貴重の任とせず、是もまた封建と郡縣との勢ひ、異なるわけなり、今の疾國の士と云ものは、大抵、各國の先君と、ひとしく、その昔、天下の肱股耳目となり、國家のために、粉骨碎身の勞を、
新字:むつかし、卑より高きにのぼるのみならず、互にとらんとられじの戦なればなり、されども上代といひ、且は風土のしからしむる所にや、大にはげしき苦戦は数多からず、張良韓信の徒、善戦者なればなり、たゞ四夫より帝位にいたる、道程険阻の労、一人の力ならざれば、国初の勲功大なるは、王侯其従士の謀を与にせしも、功により直参し、又は己々の道にて、出身すれば、いつまでも、はじめよりの主従と、つきそふは、すくなし、封建の制とは、格別のわけなり、この後、いくばくの治乱を経、人情世態も、段々機巧多くなりて、いづくの国も、次第に事はげしく、とらふ、とられじの、欲心ばかりにて、義戦良策ならず、そのうへ攻伐、防禦の器械、年々に工夫し、前九年より、後三年の、わずかの、あひだにて、ことかわれる如く、年をふるにしたがひ、華も夷も、手しぶく、手ひどきこと、一かたならず、是によりて、末の代、創業の君、かんなん辛苦、いくたびと云、かぎりなく、世定りて後、一たび其なやみを思ふも、たへがたきほどなれば、我身つめて人の痛さとやらん、処々を扶けて、功業を与にせしものゝ子孫、朕が子孫も同じければとて、賢不肖を論せず、所謂荊釵蔽履の昔し、我に功ありしあとを、みだりにすてざると云、上の下を愛する道にて、思ひやりを加へ、或は侯爵を玉ひ、又くち〱の防ぎなど称する、鎮戍衛所の諸武官、鉄券をわかち、帯礪を誓ひ、国と存亡を与にするの禄位、起れり、其先縦の武事、操練を事とするは、本邦の武士に、似たれども、天職の政刑を事とせざる、神主知行なれば、貴重の任とせず、是もまた封建と郡県との勢ひ、異なるわけなり、今の疾国の士と云ものは、大抵、各国の先君と、ひとしく、その昔、天下の肱股耳目となり、国家のために、粉骨砕身の労を、
書き下し
むつかし、卑より高きにのぼるのみならず、互にとらんとられじの戰なればなり、されども上代といひ、且は風土のしからしむる所にや、大にはげしき苦戰は數多からず、張良韓信の徒、善戰者なればなり、たゞ四夫より帝位にいたる、道程險阻の勞、一人の力ならざれば、國初の勳功大なるは、王侯其從士の謀を與にせしも、功により直參し、又は己々の道にて、出身すれば、いつまでも、はじめよりの主從と、つきそふは、すくなし、封建の制とは、格別のわけなり、この後、いくばくの治亂を經、人情世態も、段々機巧多くなりて、いづくの國も、次第に事はげしく、とらふ、とられじの、欲心ばかりにて、義戰良策ならず、そのうへ攻伐、防禦の器械、年々に工夫し、前九年より、後三年の、わずかの、あひだにて、ことかわれる如く、年をふるにしたがひ、華も夷も、手しぶく、手ひどきこと、一かたならず、是によりて、末の代、創業の君、かんなん辛苦、いくたびと云、かぎりなく、世定りて後、一たび其なやみを思ふも、たへがたきほどなれば、我身つめて人の痛さとやらん、處々を扶けて、功業を與にせしものゝ子孫、朕が子孫も同じければとて、賢不肖を論せず、所謂荊釵蔽履の昔し、我に功ありしあとを、みだりにすてざると云、上の下を愛する道にて、思ひやりを加へ、或は侯爵を玉ひ、又くち〱の防ぎなど稱する、鎭戍衞所の諸武官、鐵券をわかち、帶礪を誓ひ、國と存亡を與にするの祿位、起れり、其先縱の武事、操練を事とするは、本邦の武士に、似たれども、天職の政刑を事とせざる、神主知行なれば、貴重の任とせず、是もまた封建と郡縣との勢ひ、異なるわけなり、今の疾國の士と云ものは、大抵、各國の先君と、ひとしく、その昔、天下の肱股耳目となり、國家のために、粉骨碎身の勞を、
現代語訳
……難しいものです。身分の低いところから高い位に上るだけでなく、互いに取ろう、取られまいとする戦いだからです。けれども、上代のことでもあり、また風土のせいでもあるのか、非常に激しい苦戦は多くありません。張良・韓信の輩が戦上手だったからです。ただ、一介の匹夫から帝位に至る道のりの険しい労苦は一人の力によるものではないので、国の初めの勲功が大きいのは、王侯とその従士が謀を共にしたからであり、功によって直参となり、あるいはそれぞれの道で出身した者たちは、いつまでも初めからの主従として付き添う者は少なく、封建の制とは格別の違いがあります。この後、いくたびかの治乱を経て、人情や世態もだんだん巧みな仕掛けが多くなり、どこの国も次第に事が激しくなって、取ろう、取られまいという欲心ばかりで、義戦でも良策でもなくなりました。そのうえ、攻め討つ道具、防ぎ守る道具を年々工夫し、前九年の役から後三年の役までのわずかの間でも様子が変わったように、年を経るにしたがい、中華も異民族も、手ごわく手ひどいことが一通りではありません。これによって、末の世の創業の君は、艱難辛苦がいくたびともかぎりなく、世が定まった後に一たびその悩みを思うと堪えがたいほどなので、我が身をつねって人の痛さを知るというように、各地を助けて功業を共にした者の子孫は、朕の子孫も同じであるからと、賢不肖を論ぜず、いわゆる荊釵蔽履(貧しかった昔)に自分に功のあった跡をみだりに捨てないというのは、上が下を愛する道であって、思いやりを加え、あるいは侯爵を与え、また諸方の防ぎなどと称する鎮戍・衛所の諸武官に、鉄券を分け、帯礪の誓いをして、国と存亡を共にする禄位が起こりました。その先、武事・操練をことにするのは日本の武士に似ていますが、天職の政刑をことにしない、神主の知行なので貴重の任とはせず、これもまた封建と郡県との勢いが異なるわけです。今の疾国の士というものは、おおむね各国の先君と等しく、その昔、天下の肱股耳目となり、国家のために粉骨砕身の労を、(次の章句へ続きます)
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心を充たさば、仁勝げて用う可からざるなり。人能く穿踰する無きの心を充たさば、義勝げて用う可らざらるなり。人能く爾汝を受くる無きの實を充たさば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言う可からずして言う、是れ言うを以て之を餂るなり。以て言う可くして言わざる、是れ言わざるを以て之を餂るなり。是れ皆穿踰の類なり。」
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言志四録・言志晩録 別存 第十一条 老いたる轎夫を思ふ公齢十一二の時、旁近の花市を過ぐる毎に、必ず轎にて行く。一日門を出でて数百歩、轎を卸して徒行す。左右轎を勧むれども、肯ぜず。既に帰る。左右問ふ、「今日何を以て轎せざるか」と。公笑ひて曰く、「轎夫中に一老人有り。為に其の任を軽くせしのみ」と。左右皆驚嘆す。
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孟子・梁惠王章句上孟子、梁の襄王に見ゆ。出でて人に語げて曰く、「之を望むに人君に似ず。之に就くに畏るる所を見ず。卒然として問うて曰く、『天下惡にか定まらん。』吾對えて曰く、『一に定まらん。』『孰か能く之を一にせん。』對えて曰く、『人を殺すを嗜まざる者、能く之を一にせん。』『孰か能く之に與せん。』對えて曰く、『天下與せざる莫きなり。王、夫の苗を知るか。七八月の間、旱すれば、則ち苗槁(かれる)れん。天、油然として雲を作し、沛然として雨を下さば、則ち苗浡然(ボツ・ゼン)として之に興きん。其れ是の如くなれば、孰か能く之を禦(とどめる)めん。今夫れ天下の人牧、未だ人を殺すことを嗜まざる者有らざるなり。如し人を殺すことを嗜まざる者有らば、則ち天下の民皆な領(くび)を引いて之を望まん。誠に是の如くなれば、民の之に歸すること、由ほ水の下きに就きて沛然たるがごとし。誰か能く之を禦めん。』」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「佚道を以て民を使えば、勞すと雖も怨みず。生道を以て民を殺せば、死すと雖も殺す者を怨みず。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「其の為さざる所を為すこと無く、其の欲せざる所を欲すること無し。此の如きのみ。」
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史記 衛将軍驃騎列伝然れども少くして侍中たり、貴くして、士を省みず。其の軍に従ふや、天子為に太官をして数十乗を齎らしむ。既に還るに、重車に粱肉を余し棄つ。而して士に饑うる者有り。其の塞外に在るや、卒糧に乏しく、或いは自ら振るふ能はず。而るに驃騎は尚ほ域を穿ちて蹋鞠す。事此の類多し。大将軍の人と為りは仁善退譲にして、和柔を以て自ら上に媚ぶ。然れども天下未だ称する有らざるなり。驃騎将軍は四年の軍より後三年、