武学啓蒙 / 論・陰口を慎み、恐れるべきを恐れる備え
相傳ふ、昔し戰國の代に、一大藩主の、常に其閥閲に、ほこり、人を、芥の如く見なす、くせあり、或人、俄に、新封地に、つかれしを、謗云、彼、なにがしさへと、手を打、たわれ惡口せられしが、其後、大藩主、一大事ありし日、謗れし、何某、昔の惡口に、厚く、返報し、軍の、うらぎりと云ことをなし、敵を、たすけたれば、大藩、忽ちに、敗北し、社稷永く喪びしと、大藩の、大なるすら、然ることあり、況平士の座輿、わるき、かげごと、屹と、愼むべきことならずや、わけて、子弟輩の、かげにて、舌ながなるは、至て、きゝにくし、此に、武士たるものと、いひしは、西土語の、君子はと、云に同じ、諺に、花は、みよしの、人は、武士と、りつぱに、正しきの謂なり、此邦の武士、容易ならず、又大學に、隱微を愼む旨あり、考べし、○凡そ、臆病は、武門の子弟には、きわめて、すてものなれども、盲人、反鼻に、おぢざる如く、向みずに、おそれざるは、つもりなしとて、不時の死を、招くか、又わらはれものとなる、下地なり、武士なればとて、恐るべきは、恐れて、其手あてをなし、未練の、ふるまひなく、始末の、かくごあるを、おくびやう、ならずと、云なり、
新字:相伝ふ、昔し戦国の代に、一大藩主の、常に其閥閲に、ほこり、人を、芥の如く見なす、くせあり、或人、俄に、新封地に、つかれしを、謗云、彼、なにがしさへと、手を打、たわれ悪口せられしが、其後、大藩主、一大事ありし日、謗れし、何某、昔の悪口に、厚く、返報し、軍の、うらぎりと云ことをなし、敵を、たすけたれば、大藩、忽ちに、敗北し、社稷永く喪びしと、大藩の、大なるすら、然ることあり、況平士の座輿、わるき、かげごと、屹と、慎むべきことならずや、わけて、子弟輩の、かげにて、舌ながなるは、至て、きゝにくし、此に、武士たるものと、いひしは、西土語の、君子はと、云に同じ、諺に、花は、みよしの、人は、武士と、りつぱに、正しきの謂なり、此邦の武士、容易ならず、又大学に、隠微を慎む旨あり、考べし、○凡そ、臆病は、武門の子弟には、きわめて、すてものなれども、盲人、反鼻に、おぢざる如く、向みずに、おそれざるは、つもりなしとて、不時の死を、招くか、又わらはれものとなる、下地なり、武士なればとて、恐るべきは、恐れて、其手あてをなし、未練の、ふるまひなく、始末の、かくごあるを、おくびやう、ならずと、云なり、
書き下し
相傳ふ、昔し戰國の代に、一大藩主の、常に其閥閲に、ほこり、人を、芥の如く見なす、くせあり、或人、俄に、新封地に、つかれしを、謗云、彼、なにがしさへと、手を打、たわれ惡口せられしが、其後、大藩主、一大事ありし日、謗れし、何某、昔の惡口に、厚く、返報し、軍の、うらぎりと云ことをなし、敵を、たすけたれば、大藩、忽ちに、敗北し、社稷永く喪びしと、大藩の、大なるすら、然ることあり、況平士の座輿、わるき、かげごと、屹と、愼むべきことならずや、わけて、子弟輩の、かげにて、舌ながなるは、至て、きゝにくし、此に、武士たるものと、いひしは、西土語の、君子はと、云に同じ、諺に、花は、みよしの、人は、武士と、りつぱに、正しきの謂なり、此邦の武士、容易ならず、又大學に、隱微を愼む旨あり、考べし、○凡そ、臆病は、武門の子弟には、きわめて、すてものなれども、盲人、反鼻に、おぢざる如く、向みずに、おそれざるは、つもりなしとて、不時の死を、招くか、又わらはれものとなる、下地なり、武士なればとて、恐るべきは、恐れて、其手あてをなし、未練の、ふるまひなく、始末の、かくごあるを、おくびやう、ならずと、云なり、
現代語訳
伝えられるところでは、昔、戦国の世に、ある大藩の主が常にその家柄を誇り、人を芥のように見下す癖がありました。ある人が急に新しい領地に就いたのを、謗って言うには「あの何某さえも」と手を打って戯れに悪口を言いました。その後、大藩の主に一大事があった日、謗られた何某は昔の悪口に厚く返報し、軍の裏切りということをして敵を助けたので、大藩はたちまち敗北し、国家は永く滅びたということです。大藩の大きなものでさえ、このようなことがあります。まして普通の武士が、座興で悪い陰口を言うのは、きっと慎むべきことではないでしょうか。とりわけ子弟たちが陰で舌長く悪口を言うのは、きわめて聞きにくいものです。ここで「武士たる者」と言ったのは、中国の言葉の「君子は」というのと同じです。ことわざに「花は吉野、人は武士」というように、立派で正しいことを言います。この国の武士は容易ではありません。また大学に「隠微を慎む」という趣旨があります。考えてみるべきです。(以下別条)そもそも臆病は、武門の子弟にはきわめて捨てるべきものですが、盲人が蛇を恐れないように、向こう見ずに恐れないのは、見通しがないということで、思いがけない死を招くか、または笑われ者となる下地です。武士だからといって、恐れるべきは恐れてその手当てをし、未練な振る舞いをせず、始末の覚悟があることを、臆病ではないと言います。
解説

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『春秋左氏伝』宣公十二年 士季、備えを説く楚の潘黨之を逐ひ、熒澤に及ぶ。六麋を見て、一麋を射て以て顧みて獻じて、曰く、「子に軍事有り、獸人乃ち鮮を給せざること無からんや。敢へて從者に獻ず」と。叔黨命じて之を去らしむ。趙旃卿を求めて未だ得ず、且つ楚の師を致す者を失へるを怒り、戰ひを挑まんことを請ふ、許さず。盟を召かんことを請ふ、之を許す。魏錡と皆命ぜられて往く。郤獻子曰く、「二憾往けり、備へずんば必ず敗れん」と。彘子曰く、「鄭人戰ひを勸むれども、敢へて從はざるなり。楚人成を求むれども、好みすること能はざるなり。師に成命無し、多く備へて何をか為さん」と。士季曰く、「之に備ふるは善し。若し二子楚を怒らせ、楚人我に乘ぜば、師を喪ふこと日無からん。之に備ふるに如かず。楚の惡無くんば、備へを除きて盟はん、何ぞ好みを損せん。若し惡を以て來らば、備へ有れば敗れず。且つ諸侯相見ゆと雖も、軍衛徹せざるは、警めなり」と。彘子可かず。士季鞏朔・韓穿をして七覆を敖の前に帥ゐしむ、故に上軍敗れず。
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二宮翁夜話・巻之二三河国吉田の郷士(ごうし)に、高須和十郎と云人あり、舞坂駅(まいさかえき)と荒井駅の間に湊(みなと)を造らんと企(くわだ)て、絵図(えず)面を持来て、成否を問ふ、翁(おきな)曰(いわ)く、卿(きみ)が説の如くなれば、顧慮(こりょ)する処なきが如くなれ共、大洋(たいよう)の事は測(はか)るべからず、往年の地震(じしん)にて、象潟(きさかた)は、変地して景色を失ひ、大坂の天保山は、一夜に出来たりと、皆近年の事なり、かゝる大業は、実地に臨(のぞ)むといへ共、容易に成否を決す可(べ)からず、況(いわん)や絵図面上に於てをや、斯の如き大業を企(くわだ)つるには、万一失敗(しっぱい)ある時は、斯くせんと云、叩堤(ひかえづつみ)の如き工夫があるか、又何様の異変(いへん)にても、失敗なき工夫があり度(たき)物なり、然らざれば、卿が為に贊成(さんせい)する者、共に成仏する事なしとも言ひ難(がた)かるべし、然る時は、山師の誹(そし)りあらん、予先年印旛(いんば)沼、堀割見分の命を蒙(こうむ)りし時、何様の変動に遭遇(そうぐう)しても、決して失敗なき様に工夫せり、たとひ天変はなくとも、水脈(みゃく)土脈を堀切る時は、必意外の事ある物なり、古語に、事前に定まれば躓(つまず)かずと、予が異変ある事を前に定めたるは、異変を恐(おそ)れず、異変に躓かざるの仕法なり、是大業をなすの秘事なり、卿又此工夫なくばあるべからず、然らざれば、第一自(みずか)ら安ぜざるべし、古語に、内に省(かえり)みて疚(やま)しからざれば何をか憂(うれ)ひ何をか懼(おそ)れん、とあり、されば天変をも恐れず、地変をも憂ひざる方法の工夫を先にして、大事はなすべきなり
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『家道訓』巻之二・総論中一もろこしの諺に、かねて後の用心なきことをそしりて曰、三月に桑をうゑんことをおもひ、六月に塘を掘らんことをおもふ。言ふ意は、三月蠶を飼ふ時にいたりて、はじめて桑をうゑんことをおもひ出し、六月旱する時にいたりて、はじめて塘を掘らんことをおもひ出すは、かねて後の用心をせざる人のゆだんなる事をいへり。遠き慮なければ、必ず近き憂あり。家ををさむるには、万のこと後を慮りて、かねてはやく其の用意をすべし。如此すれば、時にのぞみてにはかに行きあたりくるしまず。中庸にも、凡事前に定むれば不跲といへり。初にうれへざれば、をはりに楽なし。
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『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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