武学啓蒙 / 論・懼れて謀を好み、落ち着いて機転を働かせる
按ずるに、論語に、子路問ふ、夫子、もし三軍のことを、行ふ時は、いかやうの人を、用ひ玉ふやと、孔子の對に、暴虎、馮河、死すとも、悔ひざるやうの、ものには、吾は、くみせず、必や、事に臨て、懼れ、謀を好て成さんものにこそ、ほしけれと、さて、此懼の字は、徒に、こはがる、怯病のことには、あらず、其事を、敬に、とりはからひ、かるはづみなく、前後の、手あてを、なし、かくあれば、かくせんと、謀を好み、其事の過ちなく、成就せんとするの義なり、本條のことばよくかなへり、○凡そ、士たるもの、生質の、動、靜なる別あれども、平生、とにかく、しとやかにして、ふつごうならざる、心がけ肝要なり、最も急なる、一變に、あふことあらば、猶更、いそがわしき中にて、腹のそこまで、智を、めぐらし、前後の決斷あるべし、うろたへ、あわてぬれば、いよ〱物事、手間どる、ものなり、おちつきて、圖に應ずる、機轉を發するに、あらざれば、急用の間に、あひがたきこと、近くは、劔、鎗の、つかひかたにて、試み知るべし、常にも、不覺悟に、かさつなる形を、專とし、利口がましく、言葉を、あらゝげ、刀、脇指、一身のまわり、實義の、ぎんみなく、只、人まねに、飾り、氣性、浮景氣を、つくらふは、多くは、恥しらぬ、やからにあり、此等の人、相手強き時は、左右へ、へりはづし、面目を、かきても、其頬を、押拭ひ、其人の、みざる所へ、立まわり、陰辨慶と云ことをなし、女童子の類、弱きに向ふ力顏、眼を、ひろげ、牙を、かみ、肱をはり、刀の、そりを、かへし、或は、そらすきなど、さま〱、おかしき裝あるは、鼠とらざる、野猫に、ひとし、是を、武士の本心なき、おくびやうものと、云なり、此條、一々針砭するほど、こたゆる、ことばどもなり、わかき人、常に、心得べきこと、なるべし、
新字:按ずるに、論語に、子路問ふ、夫子、もし三軍のことを、行ふ時は、いかやうの人を、用ひ玉ふやと、孔子の対に、暴虎、馮河、死すとも、悔ひざるやうの、ものには、吾は、くみせず、必や、事に臨て、懼れ、謀を好て成さんものにこそ、ほしけれと、さて、此懼の字は、徒に、こはがる、怯病のことには、あらず、其事を、敬に、とりはからひ、かるはづみなく、前後の、手あてを、なし、かくあれば、かくせんと、謀を好み、其事の過ちなく、成就せんとするの義なり、本条のことばよくかなへり、○凡そ、士たるもの、生質の、動、静なる別あれども、平生、とにかく、しとやかにして、ふつごうならざる、心がけ肝要なり、最も急なる、一変に、あふことあらば、猶更、いそがわしき中にて、腹のそこまで、智を、めぐらし、前後の決断あるべし、うろたへ、あわてぬれば、いよ〱物事、手間どる、ものなり、おちつきて、図に応ずる、機転を発するに、あらざれば、急用の間に、あひがたきこと、近くは、剣、鎗の、つかひかたにて、試み知るべし、常にも、不覚悟に、かさつなる形を、専とし、利口がましく、言葉を、あらゝげ、刀、脇指、一身のまわり、実義の、ぎんみなく、只、人まねに、飾り、気性、浮景気を、つくらふは、多くは、恥しらぬ、やからにあり、此等の人、相手強き時は、左右へ、へりはづし、面目を、かきても、其頬を、押拭ひ、其人の、みざる所へ、立まわり、陰弁慶と云ことをなし、女童子の類、弱きに向ふ力顔、眼を、ひろげ、牙を、かみ、肱をはり、刀の、そりを、かへし、或は、そらすきなど、さま〱、おかしき装あるは、鼠とらざる、野猫に、ひとし、是を、武士の本心なき、おくびやうものと、云なり、此条、一々針砭するほど、こたゆる、ことばどもなり、わかき人、常に、心得べきこと、なるべし、
書き下し
按ずるに、論語に、子路問ふ、夫子、もし三軍のことを、行ふ時は、いかやうの人を、用ひ玉ふやと、孔子の對に、暴虎、馮河、死すとも、悔ひざるやうの、ものには、吾は、くみせず、必や、事に臨て、懼れ、謀を好て成さんものにこそ、ほしけれと、さて、此懼の字は、徒に、こはがる、怯病のことには、あらず、其事を、敬に、とりはからひ、かるはづみなく、前後の、手あてを、なし、かくあれば、かくせんと、謀を好み、其事の過ちなく、成就せんとするの義なり、本條のことばよくかなへり、○凡そ、士たるもの、生質の、動、靜なる別あれども、平生、とにかく、しとやかにして、ふつごうならざる、心がけ肝要なり、最も急なる、一變に、あふことあらば、猶更、いそがわしき中にて、腹のそこまで、智を、めぐらし、前後の決斷あるべし、うろたへ、あわてぬれば、いよ〱物事、手間どる、ものなり、おちつきて、圖に應ずる、機轉を發するに、あらざれば、急用の間に、あひがたきこと、近くは、劔、鎗の、つかひかたにて、試み知るべし、常にも、不覺悟に、かさつなる形を、專とし、利口がましく、言葉を、あらゝげ、刀、脇指、一身のまわり、實義の、ぎんみなく、只、人まねに、飾り、氣性、浮景氣を、つくらふは、多くは、恥しらぬ、やからにあり、此等の人、相手強き時は、左右へ、へりはづし、面目を、かきても、其頬を、押拭ひ、其人の、みざる所へ、立まわり、陰辨慶と云ことをなし、女童子の類、弱きに向ふ力顏、眼を、ひろげ、牙を、かみ、肱をはり、刀の、そりを、かへし、或は、そらすきなど、さま〱、おかしき裝あるは、鼠とらざる、野猫に、ひとし、是を、武士の本心なき、おくびやうものと、云なり、此條、一々針砭するほど、こたゆる、ことばどもなり、わかき人、常に、心得べきこと、なるべし、
現代語訳
考えてみると、論語に、子路が「先生がもし三軍(大軍)を率いるときは、どのような人を用いられますか」と問い、孔子は「虎に素手で立ち向かい、河を歩いて渡り、死んでも悔いないような者には、私は与しない。必ず、事に臨んで懼れ、謀を好んで成し遂げようとする者がよい」と答えました。この「懼」の字は、いたずらに怖がる怯病のことではありません。その事を慎重に取り計らい、軽はずみがなく、前後の手当てをし、こうあればこうしようと謀を好み、その事に過ちなく成就させようとする義です。この箇条の言葉は、よくそれにかなっています。(別条)そもそも士たる者は、生まれつきに動的・静的の違いがあっても、平生、とにかくしとやかで不都合でない心がけが肝要です。最も急な一変に遭うことがあれば、なおさら慌ただしい中でも腹の底まで知恵をめぐらせ、前後の決断をするべきです。うろたえ慌てれば、いよいよ物事は手間どるものです。落ち着いて、場に応じた機転を働かせるのでなければ、急用の間に合いがたいことは、身近には剣・槍の使い方で試して知るべきです。普段からも、不覚悟で粗雑な様子を専らにし、利口ぶって言葉を荒らげ、刀・脇差など一身のまわりに実義の吟味もなく、ただ人まねに飾り、気性や浮ついた景気を作り上げるのは、多くは恥を知らない連中です。こうした人は、相手が強いときは左右へ身を引き外し、面目を失っても頬をぬぐって、その人の見ない所へ立ち回り、陰弁慶ということをし、女子供の類、弱い者に向かっては力んで、目を見開き、牙を噛み、肘を張り、刀の反りを返し、あるいは反らし透かしなど、さまざまな可笑しな装いをするのは、鼠を捕らない野良猫と同じです。これを、武士の本心がない臆病者と言います。この箇条は、一々針で刺すほど身にこたえる言葉ばかりです。若い人は、常に心得るべきことでしょう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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