武学啓蒙 / 論・陣触れに慌てぬ覚悟と質素の理由
按ずるに、太平記に載たる、さしも名高き、六波羅、沒落の條下、苦集滅道より、醒井の、ありさま、飾り本意なし、武士の、般鹽に、備ふべし、近古、戰國にて、ありし代、東國の士に、岡野何某とてあり、其時、人の陣ぶれに、驚さ、あわてたるを、みて、唉ひけるは、さても、各々、かねて、のふ、はやし、連歌、茶の湯、碁、將棊と、たわれあそぶ故、陣ぶれを、さい〱、めつたに、いそがしと、みへたり、われらは、日夜、常に、かくごすれば、別に支度にも、及ばずとなん、其時さへ、ゆだんせし人、多く、ありしにや、方今、昇平年久し、武家、子弟の折檻、尋常にしては、ゆきとゞかざるべし、○武士の高祿を願ふは、榮曜に、ほこり、左右侍妾を、多くし、飲食の、華美を盡さんためにはあらず、事ある時、手勢多く、器械そなわりて、いさぎよき働きせんことを、ほつすればなり、さらば、武士の住居は、美を好まずして、朴實堅固なるを要とすべし、衣服も、少し野なるに近しとも、きやしやなるは忌むべし、長短の裁縫も、かねて、武用の心がけあるべし、朝夕の食事など、隨分、そまつなるに習ふべし、時々、獵漁の、魚鳥類、あるに、まかせて、下々と、同じく、是を食する法なり、常々甘苦寒暖を、與にし、恩惠憐恕を、なすは、別のことに、あらず、我に、よく忠義をなさしむる道なりと、知べし、
新字:按ずるに、太平記に載たる、さしも名高き、六波羅、没落の条下、苦集滅道より、醒井の、ありさま、飾り本意なし、武士の、般塩に、備ふべし、近古、戦国にて、ありし代、東国の士に、岡野何某とてあり、其時、人の陣ぶれに、驚さ、あわてたるを、みて、唉ひけるは、さても、各々、かねて、のふ、はやし、連歌、茶の湯、碁、将棋と、たわれあそぶ故、陣ぶれを、さい〱、めつたに、いそがしと、みへたり、われらは、日夜、常に、かくごすれば、別に支度にも、及ばずとなん、其時さへ、ゆだんせし人、多く、ありしにや、方今、昇平年久し、武家、子弟の折檻、尋常にしては、ゆきとゞかざるべし、○武士の高禄を願ふは、栄曜に、ほこり、左右侍妾を、多くし、飲食の、華美を尽さんためにはあらず、事ある時、手勢多く、器械そなわりて、いさぎよき働きせんことを、ほつすればなり、さらば、武士の住居は、美を好まずして、朴実堅固なるを要とすべし、衣服も、少し野なるに近しとも、きやしやなるは忌むべし、長短の裁縫も、かねて、武用の心がけあるべし、朝夕の食事など、随分、そまつなるに習ふべし、時々、猟漁の、魚鳥類、あるに、まかせて、下々と、同じく、是を食する法なり、常々甘苦寒暖を、与にし、恩恵憐恕を、なすは、別のことに、あらず、我に、よく忠義をなさしむる道なりと、知べし、
書き下し
按ずるに、太平記に載たる、さしも名高き、六波羅、沒落の條下、苦集滅道より、醒井の、ありさま、飾り本意なし、武士の、般鹽に、備ふべし、近古、戰國にて、ありし代、東國の士に、岡野何某とてあり、其時、人の陣ぶれに、驚さ、あわてたるを、みて、唉ひけるは、さても、各々、かねて、のふ、はやし、連歌、茶の湯、碁、將棊と、たわれあそぶ故、陣ぶれを、さい〱、めつたに、いそがしと、みへたり、われらは、日夜、常に、かくごすれば、別に支度にも、及ばずとなん、其時さへ、ゆだんせし人、多く、ありしにや、方今、昇平年久し、武家、子弟の折檻、尋常にしては、ゆきとゞかざるべし、○武士の高祿を願ふは、榮曜に、ほこり、左右侍妾を、多くし、飲食の、華美を盡さんためにはあらず、事ある時、手勢多く、器械そなわりて、いさぎよき働きせんことを、ほつすればなり、さらば、武士の住居は、美を好まずして、朴實堅固なるを要とすべし、衣服も、少し野なるに近しとも、きやしやなるは忌むべし、長短の裁縫も、かねて、武用の心がけあるべし、朝夕の食事など、隨分、そまつなるに習ふべし、時々、獵漁の、魚鳥類、あるに、まかせて、下々と、同じく、是を食する法なり、常々甘苦寒暖を、與にし、恩惠憐恕を、なすは、別のことに、あらず、我に、よく忠義をなさしむる道なりと、知べし、
現代語訳
思いますに、『太平記』に載っている、あの名高い六波羅没落の条で、苦集滅道から醒井の様子は、飾るばかりで本意がなく、武士の『般鹽』に備えるべきです。近古の戦国の代に、東国の武士に岡野何某という者がいました。その時、人が陣触れ(出陣の触れ)に驚き慌てるのを見て、笑って言ったことには、「さても各々は、かねてから能・囃子・連歌・茶の湯・碁・将棋とたわむれ遊んでいるから、陣触れをたびたび、むやみに忙しいと見える。我らは日夜、常に覚悟しているので、別に支度にも及ばない」ということでした。その時でさえ、油断した人が多くいたのでしょうか。今は太平の世が年久しく、武家の子弟への折檻(厳しい戒め)は、普通のやり方では行き届かないでしょう。○武士が高い禄を願うのは、栄華を誇り、側に侍妾を多く置き、飲食の華美を尽くすためではありません。事あるときに、手勢が多く、器械がそなわり、いさぎよい働きをしようと望むからです。それならば、武士の住まいは美を好まず、飾り気なく堅固であることを要とすべきです。衣服も、やや野暮に近くても、きゃしゃなものは避けるべきです。長短の裁縫もかねて武用の心がけがあるべきです。朝夕の食事なども、なるべく粗末なものに慣れなさい。ときどき、猟や漁の魚や鳥があれば、それにまかせて、下々の者と同じくこれを食する法です。常に苦楽や寒暖をともにし、恩恵と思いやりをかけるのは、別のことではなく、自分によく忠義をなさしめる道だと知りなさい。
解説

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