葉隠 / 聞書第二
權之丞殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合點してゐる故、そ今日御前へ召出され、「これ〜の儀を、そこにて云つて見よ。」と仰付けられ候時、多分迷惑なるべし。上方にて置くといふは、終に御前にても、公儀の御城にて公方樣の御前にても、さつぱりと云つて濟ます樣に、慶間の隅にて言ひ習うて置く事なり。萬事斯くの如きなり。准じて吟味すべし。今日の不覺悟、皆知らる〜かとなり。
新字:権之丞殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合点してゐる故、そ今日御前へ召出され、「これ〜の儀を、そこにて云つて見よ。」と仰付けられ候時、多分迷惑なるべし。上方にて置くといふは、終に御前にても、公儀の御城にて公方様の御前にても、さつぱりと云つて済ます様に、慶間の隅にて言ひ習うて置く事なり。万事斯くの如きなり。准じて吟味すべし。今日の不覚悟、皆知らる〜かとなり。
書き下し
権之丞(ごんのじょう)殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合点している故(ゆえ)、そ、今日御前(ごぜん)へ召出(めしいだ)され、「これこれの儀を、そこにて云うて見よ。」と仰付(おおせつ)けられ候時、多分迷惑なるべし。上方(かみがた)にて置くというは、終(つい)に御前にても、公儀(こうぎ)の御城にて公方様(くぼうさま)の御前にても、さっぱりと云うて済ます様に、広間(ひろま)の隅にて言い習うて置く事なり。万事かくの如きなり。准(じゅん)じて吟味すべし。今日の不覚悟、皆知らるるかとなり。
現代語訳
「今がその時、その時が今」――この二つを別々のものと考えてはならない。権之丞殿への話に、今がその時であり、その時が今なのだ。今と本番を二つに分けて考えているから、いざ主君の御前に召し出され、「これこれの件をここで言ってみよ」と命じられたとき、たいてい困り果ててしまう。前もって準備しておくというのは、最終的に御前でも、公儀の城で将軍の御前でも、すらすらと言ってのけられるように、日頃から広間の隅ででも言い慣らしておくことである。万事この通りだ。これに準じてよく吟味せよ。日頃の覚悟のなさは、いざというときにすべて露呈してしまうのだから。
解説
この章句が説くこと
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『配所残筆』配所殘筆(15)然ども軍法兵法之議論被仕候者、其方前にて口の明可申樣者不存候、就夫當年五十三歲に至り耻入候得共、今日初て誓詞仕、其方兵學の弟子に成申度由御申候故、私申候者、私事左樣に被思召被下候事、別而忝奉存候、古戰物語武功者度々御咄承候て、拙者儀不淺大慶仕候、何事にも御相傳など有之儀者不存寄候由申候得共、達而御望故、任御意宗古老御誓詞候、其時分林九郎右衞門事彌三郎と申候て、宗古念頃にて居被申候故、能可被存候、寬文六年午十月三日未上刻北條安房守殿より手紙被差越候、 切紙自筆 可相尋御用之事候間、早々私宅迄可被參候以上、 十月三日 北條安房守 山鹿甚五左衞門殿 切紙之御答御手紙被成下、謹而奉拜見候、御尋可被成御用之儀御坐候間、早々貴宅迄參上可仕候旨、畏奉存候、追付參上可仕候、以上、 十月三日 山鹿甚五左衞門 房州樣如斯相認遣候、夕料理未被下候故、食事心快認候而行水仕、定而只事にて有之間敷存、乍立遺書相調殘置候、尤死罪被仰付候はゞ公儀へ一通差上可相果、是又相認令懷中候、此外五六ヶ所へ小翰相調、態と老母方へ不申遣、宗三寺へ參詣仕、下人成程はぶき、若黨兩人召連、馬上にて房州公へ參候、四日には津輕公へ可被召寄兼約御座候つるを、
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葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
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『武士訓』卷二・第13段うまれつき勇敢の人なりとも。かねてものごとに覺悟なければ。ゆきあたりて。憶するやうにも見へ。おもはぬ不覺ともなることあり。むかし袴垂といふ盗賊。禁獄せられしが。大赦にあふて出しかども。立よるべきところなかりしかば。關山にゆきて。道のかたはらに裸にてそら死してふしたりける。しかるところに。道を往來するものども。これはいかにして死たるにや。きずもなきなどゝ。いひのゝしりける。それとはしらず。騎馬のさふらひ通りけるが。かくときゝて。弓取なをし。馬をおしたてゝ。死人のかたに目をかけ。用心して過ければ。みる人手をうつて。たばかりいかめしきさふらひの。死人に向て。用心するおかしさよとわらひけり。そのゝち往來の人すくなくなりけるとき。
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『酔古堂剣掃』集峭・生死の關先づ破る窮通の境未だ遭はざるに、主持の局已に定まり;老病の勢未だ催さざるに、生死の關先づ破る。之を今の世に求むるに、誰か此れを語るに堪へん。
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『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
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