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葉隠 / 聞書第二

「只今がその時、その時が只今」二つに合點してはならぬ權之丞殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合點してゐる故、そ今日御前へ召出され、「これ〜の儀を、そこにて云つて見よ。」と仰付けられ候時、多分迷惑なるべし。上方にて置くといふは、終に御前にても、公儀の御城にて公方樣の御前にても、さつぱりと云つて濟ます樣に、慶間の隅にて言ひ習うて置く事なり。萬事斯くの如きなり。准じて吟味すべし。今日の不覺悟、皆知らる〜かとなり。

新字:「只今がその時、その時が只今」二つに合点してはならぬ権之丞殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合点してゐる故、そ今日御前へ召出され、「これ〜の儀を、そこにて云つて見よ。」と仰付けられ候時、多分迷惑なるべし。上方にて置くといふは、終に御前にても、公儀の御城にて公方様の御前にても、さつぱりと云つて済ます様に、慶間の隅にて言ひ習うて置く事なり。万事斯くの如きなり。准じて吟味すべし。今日の不覺悟、皆知らる〜かとなり。

書き下し

「只今(ただいま)がその時、その時が只今」二つに合点(がてん)してはならぬ。権之丞(ごんのじょう)殿へ話に、只今がその時、その時が只今なり。二つに合点している故(ゆえ)、そ、今日御前(ごぜん)へ召出(めしいだ)され、「これこれの儀を、そこにて云うて見よ。」と仰付(おおせつ)けられ候時、多分迷惑なるべし。上方(かみがた)にて置くというは、終(つい)に御前にても、公儀(こうぎ)の御城にて公方様(くぼうさま)の御前にても、さっぱりと云うて済ます様に、広間(ひろま)の隅にて言い習うて置く事なり。万事かくの如きなり。准(じゅん)じて吟味すべし。今日の不覚悟、皆知らるるかとなり。

現代語訳

「今がその時、その時が今」――この二つを別々のものと考えてはならない。権之丞殿への話に、今がその時であり、その時が今なのだ。今と本番を二つに分けて考えているから、いざ主君の御前に召し出され、「これこれの件をここで言ってみよ」と命じられたとき、たいてい困り果ててしまう。前もって準備しておくというのは、最終的に御前でも、公儀の城で将軍の御前でも、すらすらと言ってのけられるように、日頃から広間の隅ででも言い慣らしておくことである。万事この通りだ。これに準じてよく吟味せよ。日頃の覚悟のなさは、いざというときにすべて露呈してしまうのだから。

解説

「只今がその時、その時が只今」――日常の一瞬と、いざという本番とを切り離すな、という教えです。本番だけ特別に構えようとするから、実際に呼び出されると言葉に詰まる。だから普段から、御前でもすらすら言えるよう日頃に稽古を積んでおけというのです。日常こそが本番であり、平時の準備の質が、そのまま非常時の働きに現れる。現代でも、大事なプレゼンや面接で日頃の積み重ね以上のものは出せません。「今」と「その時」を地続きに捉え、平生の一瞬一瞬を本番のつもりで生きよという、普遍的な備えの心得です。

この章句が説くこと

葉隠日常即本番備え平生の稽古覚悟武士道

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