武学啓蒙 / 論・王蠋の義死と二君論への反論
滿足の義にあらざらんことを、且つ本條、ふだい相傳の士の人知らぬ内心にて、多年の恩義に報ゆる段、人をして、涙を催さしむべし、古語に、古の君子は、交絶てども、惡聲を出さず、忠臣、國を去り、其名を潔せずと、いへるに、併せ考べし、さて、二君に仕るを、恥る古訓、史にのす、昔齊の國危き時、王蠋と云丈夫、ひとり義を振ひ、衆を招く、敵國より蠋を降さんとすれども、降らざる故、蠋に、せまり殺さんとす、蠋少しも、心を變ぜずして云、忠臣は、二君に、つかへず、正女は、兩夫に、まみへず、我生て居るは、義を、立んが、ためなり、義を、立得ずんば、此軀何かせんと、遂に、自裁して死せり、こゝによりて、齊國、義心うすかりし猥狽臣まで、俄に驚悟、蠋が義死に、はげまされ、大に、もちなをせしとぞ、一文人あり、此言を論じ云、忠臣二君につかへずとは、一時、二人の君に、つかへざるの義なり、是を、いとま、とりても再び、他姓に、つかへざることゝ、心得たるは、武辨の文盲よりせまく了簡せしなりと、予は謂らく、なることにもせよ、此國へも、彼國へも、俗諺の、内股膏藥やうは、先、おもしろからざる業なれども、吾儕孤陋、しひては、いわず、唯、女に至て、いかど論ぜしにや、文人の文盲も、また笑ふべし、今本條を、とく、つひで、武辨とある嘲を解なり、(本條、奉公の字義、旁通なれども、まだ、道理あり、)
新字:満足の義にあらざらんことを、且つ本条、ふだい相伝の士の人知らぬ内心にて、多年の恩義に報ゆる段、人をして、涙を催さしむべし、古語に、古の君子は、交絶てども、悪声を出さず、忠臣、国を去り、其名を潔せずと、いへるに、併せ考べし、さて、二君に仕るを、恥る古訓、史にのす、昔斉の国危き時、王蠋と云丈夫、ひとり義を振ひ、衆を招く、敵国より蠋を降さんとすれども、降らざる故、蠋に、せまり殺さんとす、蠋少しも、心を変ぜずして云、忠臣は、二君に、つかへず、正女は、両夫に、まみへず、我生て居るは、義を、立んが、ためなり、義を、立得ずんば、此躯何かせんと、遂に、自裁して死せり、こゝによりて、斉国、義心うすかりし猥狽臣まで、俄に驚悟、蠋が義死に、はげまされ、大に、もちなをせしとぞ、一文人あり、此言を論じ云、忠臣二君につかへずとは、一時、二人の君に、つかへざるの義なり、是を、いとま、とりても再び、他姓に、つかへざることゝ、心得たるは、武弁の文盲よりせまく了簡せしなりと、予は謂らく、なることにもせよ、此国へも、彼国へも、俗諺の、内股膏薬やうは、先、おもしろからざる業なれども、吾儕孤陋、しひては、いわず、唯、女に至て、いかど論ぜしにや、文人の文盲も、また笑ふべし、今本条を、とく、つひで、武弁とある嘲を解なり、(本条、奉公の字義、旁通なれども、まだ、道理あり、)
書き下し
滿足の義にあらざらんことを、且つ本條、ふだい相傳の士の人知らぬ内心にて、多年の恩義に報ゆる段、人をして、涙を催さしむべし、古語に、古の君子は、交絶てども、惡聲を出さず、忠臣、國を去り、其名を潔せずと、いへるに、併せ考べし、さて、二君に仕るを、恥る古訓、史にのす、昔齊の國危き時、王蠋と云丈夫、ひとり義を振ひ、衆を招く、敵國より蠋を降さんとすれども、降らざる故、蠋に、せまり殺さんとす、蠋少しも、心を變ぜずして云、忠臣は、二君に、つかへず、正女は、兩夫に、まみへず、我生て居るは、義を、立んが、ためなり、義を、立得ずんば、此軀何かせんと、遂に、自裁して死せり、こゝによりて、齊國、義心うすかりし猥狽臣まで、俄に驚悟、蠋が義死に、はげまされ、大に、もちなをせしとぞ、一文人あり、此言を論じ云、忠臣二君につかへずとは、一時、二人の君に、つかへざるの義なり、是を、いとま、とりても再び、他姓に、つかへざることゝ、心得たるは、武辨の文盲よりせまく了簡せしなりと、予は謂らく、なることにもせよ、此國へも、彼國へも、俗諺の、内股膏藥やうは、先、おもしろからざる業なれども、吾儕孤陋、しひては、いわず、唯、女に至て、いかど論ぜしにや、文人の文盲も、また笑ふべし、今本條を、とく、つひで、武辨とある嘲を解なり、(本條、奉公の字義、旁通なれども、まだ、道理あり、)
現代語訳
満足のいく義ではないでしょう。そのうえ、前の条の、代々相伝の家臣が人知れず内心に持ち、多年の恩義に報いるという一段は、人に涙を催させるほどです。古語に、「古の君子は、交わりが絶えても悪口を言わず、忠臣は、国を去っても自分の名を潔白に保とうとしない(ことさら身を飾らない)」と言うのと、あわせて考えなさい。さて、二君に仕えることを恥とする古い教えは、史書に載っています。昔、斉の国が危うかったとき、王蠋という立派な男がひとり義を奮い、人々を招きました。敵国は蠋を降伏させようとしましたが降らないので、蠋に迫って殺そうとしました。蠋は少しも心を変えずに言いました。「忠臣は二君に仕えず、貞女は二夫にまみえない。私が生きているのは、義を立てるためである。義を立てられないのなら、この身は何の役に立とうか」と、ついに自ら命を絶ちました。これにより、斉の国は、義心の薄かった狼狽する臣下までが急に驚いて目覚め、蠋の義死に励まされ、大いに持ち直したということです。ある文人がこの言葉を論じて言うには、「忠臣は二君に仕えずとは、同時に二人の君に仕えないという義である。これを、暇を取っても再び他の姓の者に仕えないと心得ているのは、武弁(武人)が文に疎いために狭く解釈したのである」と。私は思います。どうあれ、此の国にも彼の国にも仕えるのは、俗諺にいう「内股膏薬」のようで、まず面白くない業ですが、私のような孤陋の者が、無理に言いはしません。ただ、女のことになるとどう論じたものか、文人の文盲もまた笑うべきです。今、本条を解き、続いて武弁という嘲りを解くのです。(本条は、奉公の字義にあたり、広く通じる説ですが、まだ道理があります。)
解説

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本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。