武学啓蒙 / 武士の恥べき十七箇條・十七箇条の結びと古風に学ぶ心
十七には、我身少し仕合よき時は、おごり、少し雌手なれば、めいること、一旦の、ふりあひに、あわてゝ、武士道、確平たる所の、心の守なきを、恥とするなるべし、右條々、今の世より、みれば、いかゞなる語も、あれども、昔の質朴、却て旨あり、況や恥を知るは、勇に近き聖訓、武士の古風を學ぶ、一端とすべし、又こゝには、與からざれども、先人嘗て、不肖に語りき、我、學文の道は、知らず、常に、人の話をきゝ、或は國字書に、載たるを、よむにも、此事は、かゝるわけにやと、再思し、人の、かんなん、苦行の如きも、及ばずながら、我、もし此事義に、あはゞ、いかゞと、前後、道行の、苦勞を、思ひやりて、みると、誠に此意を以て、これらを、よまば、張良が、老人を敬して、授かりし、素書にも、劣らざるほどの、ありがたき、箇條とも云べし、
新字:十七には、我身少し仕合よき時は、おごり、少し雌手なれば、めいること、一旦の、ふりあひに、あわてゝ、武士道、確平たる所の、心の守なきを、恥とするなるべし、右条々、今の世より、みれば、いかゞなる語も、あれども、昔の質朴、却て旨あり、況や恥を知るは、勇に近き聖訓、武士の古風を学ぶ、一端とすべし、又こゝには、与からざれども、先人嘗て、不肖に語りき、我、学文の道は、知らず、常に、人の話をきゝ、或は国字書に、載たるを、よむにも、此事は、かゝるわけにやと、再思し、人の、かんなん、苦行の如きも、及ばずながら、我、もし此事義に、あはゞ、いかゞと、前後、道行の、苦労を、思ひやりて、みると、誠に此意を以て、これらを、よまば、張良が、老人を敬して、授かりし、素書にも、劣らざるほどの、ありがたき、箇条とも云べし、
書き下し
十七には、我身少し仕合よき時は、おごり、少し雌手なれば、めいること、一旦の、ふりあひに、あわてゝ、武士道、確平たる所の、心の守なきを、恥とするなるべし、右條々、今の世より、みれば、いかゞなる語も、あれども、昔の質朴、却て旨あり、況や恥を知るは、勇に近き聖訓、武士の古風を學ぶ、一端とすべし、又こゝには、與からざれども、先人嘗て、不肖に語りき、我、學文の道は、知らず、常に、人の話をきゝ、或は國字書に、載たるを、よむにも、此事は、かゝるわけにやと、再思し、人の、かんなん、苦行の如きも、及ばずながら、我、もし此事義に、あはゞ、いかゞと、前後、道行の、苦勞を、思ひやりて、みると、誠に此意を以て、これらを、よまば、張良が、老人を敬して、授かりし、素書にも、劣らざるほどの、ありがたき、箇條とも云べし、
現代語訳
十七には、自分の身が少し仕合わせのよい時は驕り、少し不利になれば気落ちすること。一時の巡り合わせにあわてて、武士道の確乎たる心の守りがないのを恥とするのでしょう。右の条々は、今の世から見れば、いかがかと思う語もありますが、昔の質朴にはかえって趣旨があります。まして恥を知るのは勇に近いという聖人の教えがあります。武士の古風を学ぶ一端とすべきです。また、ここには関わりませんが、先人がかつて私に語ったことがあります。「私は学問の道は知らないが、常に人の話を聞き、あるいは国字書(かな書き)に載っているのを読むにも、このことはこういう訳か、と再び考え、人の艱難・苦行などについても、及ばずながら、私がもしこの事・義に当たったらどうであろうと、前後・道行きの苦労を思いやってみる。誠にこの心でこれらを読めば、張良が老人を敬って授かった素書にも劣らないほどありがたい箇条とも言えよう」と。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
徒然草・第167段一道に携はる人、あらぬ道の席に臨みて、「あはれ我が道ならましかば、かくよそに見侍らじものを。」といひ、心にも思へる事、常のことなれど、世にわろく覚ゆるなり。知らぬ道の羨ましく覚えば、「あな羨まし、などか習はざりけむ。」と言ひてありなむ。我が智を取り出でて人に争ふは、角あるものの角をかたぶけ、牙あるものの牙を噛み出す類なり。人としては善にほこらず、物と争はざるを徳とす。他に勝る事のあるは大きなる失なり。品の高さにても、才芸のすぐれたるにても、先祖の誉にても、人にまされりと思へる人は、たとひ詞に出でてこそいはねども、内心に若干の科あり。謹みてこれを忘るべし。をこにも見え、人にもいひけたれ、禍ひをも招くは、たゞこの慢心なり。一道にもまことに長じぬる人は、みづから明らかにその非を知るゆゑに、志常に満たずして、つひに物に誇ることなし。
-
『法句経』第十九 住法の部 二七一・二七二 意を安んずる勿れ二七一 我は唯禁戒を持ち、或は復多く学び、又は心の安定を得、或は閑静処に住みて、 二七二 (此に由つて)凡夫の習はざる出離楽を証せず、比丘よ、未だ心中の穢を尽さずんば意を安んずる勿れ。
-
『正法眼蔵随聞記』巻四古人云く、奢て上賢にひとしからんと思ふことなかれ、賤ふして下賤にひとしからんと思ふことなかれと、云こゝろは、共に慢心なり、高ふしても下らんことを忘るゝことなかれ、安ふしても危からんことを忘るゝことなかれ、今日存するとも明日もと思ふことなかれ、死の至てちかくあやふきこと脚下にあり、
-
『翁問答』下卷之本体充曰、魔境へおち入とは、いかやうなるを申候や。師の曰、或は贋の学問にふけり或は学問せざれども暗処に魔を来しぬれば、自満の心根かたくなり枝葉しげりて異風になり、人をば生るむしとも思はず、天下にわれをこすべきものなしと、人もゆるさぬ高満を鼻にあて、親おやかたの愚痴なるをさげしみおかしく思ひ、主君をそしり朋友をあざけりて、孝悌忠信の生道をさまたげ邪魔に相通じ悪魔と作法をあはするを魔境に陥ると云なり、うまれつき利根無欲けなげなる人此やまひ多し。
-
『翁問答』下卷之本体充曰、にせの学問をする人に、世間の交りをむづかしがり、閑居を好み或は心気やみなどの如く、引こもりなどするものあるは、何としたることにて候や。師の曰、それが即ち魔境におち入たるにて候高満の魔心ふかき故に、本来非もなきせけんを非にみて、親のする事も兄弟のする事も、主君のあてがひも朋友のなす業もみなわけもなき妄作なりと得心するによつて、右を見るも左を見るも、皆おのれが心にかなはぬ事ばかりなる故に、世間の交をいとひ、ひとり居る事を好むと知べし。
-
史記 秦本紀其の秋、甘茂・庶長封をして宜陽を伐たしむ。四年、宜陽を抜き、首を斬ること六万。河を渉り、武遂に城く。魏の太子来朝す。武王力有りて戯を好む。力士任鄙・烏獲・孟説皆大官に至る。王孟説と鼎を挙げ、臏を絶つ。八月、武王死す。孟説を族す。武王魏の女を取りて后と為すも、子無し。異母弟を立つ。是を昭襄王と為す。昭襄の母は楚人にして、姓は羋氏、宣太后と号す。武王の死せし時、昭襄王燕に質為り。燕人送り帰し、立つを得たり。昭襄王の元年、厳君疾相と為る。甘茂出でて魏に之く。二年、彗星見る。庶長壮大臣・諸侯・公子と逆を為し、皆誅せらる。恵文后に及ぶまで皆良死を得ず。悼武王の后出でて魏に帰る。三年、王冠す。楚王と黄棘に会し、楚に上庸を与ふ。四年、蒲阪を取る。彗星見る。五年、魏王来たりて応亭に朝す。復た魏に蒲阪を与ふ。六年、蜀侯煇反き、司馬錯蜀を定む。庶長奐楚を伐ち、首を斬ること二万。涇陽君斉に質たり。日食し、昼晦し。七年、新城を抜く。樗里子卒す。八年、将軍羋戎をして楚を攻めしめ、新市を取る。斉は章子をして、魏は公孫喜をして、韓は暴鳶をして共に楚の方城を攻めしめ、唐眛を取る。趙中山を破り、其の君亡げ、竟に斉に死す。魏の公子勁・韓の公子長諸侯と為る。九年、孟嘗君薛文来たりて秦に相たり。奐楚を攻め、八城を取り、其の将景快を殺す。十年、楚の懐王入りて秦に朝す。秦之を留む。薛文金を以て免るるを受く。楼緩丞相と為る。十一年、斉・韓・魏・趙・宋・中山の五国共に秦を攻め、塩氏に至りて還る。秦韓・魏に河北及び封陵を与へて以て和す。彗星見る。楚の懐王走りて趙に之く。趙受けず、之を秦に還す。即ち死し、帰葬す。十二年、楼緩免ぜられ、穣侯魏冉相と為る。楚に粟五万石を予ふ。