武学啓蒙 / 武士の恥べき十七箇條・恥ずべき十七箇条その十から十六まで
凡そ、上下ともに、身の疵を發し家の禍を引出す、女色に、溺るゝより、甚きはなし、されば、楚の項羽、吾邦にて、何某の名將の如きすら、女色に迷ひて、戰場の機期を、はづせるなど、いへることあり、まして、功業もなき、小身もの、からす、うのまねと、やらん、上々の人、及び豪雄の族、左右妃妾の、あまたなるを羨み、元來、妻子を忘れて、戰といふ、武士の、もちまへなる、身のほど知らず、女色に溺るゝを、恥とし戒むるなるべし、わけて年少き人、器量、ほど、そなわりたるも、此一條にて、崩れ去るもの多し、いざ、志を立んとならば、女色と、酒との愼、きつと心を用べし、十一には、何ごとにも、ひいき、ある、ところにて、つよみを、いたすこと、人に依頼して、ことをなし、己が見識なき、みれんの、ありさまを、恥とするなるべし、十二には、手にたゝざるほどの、弱あひてに、かさつなること、鳥なき里に、蝙蝠南面がほする類を、恥とするなるべし、十三には、武へんの位を、わきまへずして、少しの、ことを仕、大分の働と、じまんすること、井の中の蛙、大海あることを知らず、誇言する類を、恥とするなるべし、十四には、義理を外にし、たゞ貪欲ばかりにて、婚儀、縁類を、求むること、事にふれ、物により、黑き心の、ふるまひを、恥とするなるべし、十五には、主君の、おふせなりとて、受まじき義あるをも、ことわりなく、或は、いとま受べき筋なれども、とかくして、こらへ居ること、諫爭する器量なく、唾辱せられても、退かず、ひたすら俸祿のみに執着し、進退不決斷にして、うぢ〱する向東向西境界を、恥とするなるべし、十六には、仕合よき人には、あしきことをも、ほめ、さのみ、屈すまじき時も、平伏し、又仕合よからざる人をば、よきことなれども、そしり、あがむべき子細あれども、あなどること、人の風なみを、うかゞひて、とりあつかひに、義氣うすきを、恥とするなるべし、
新字:凡そ、上下ともに、身の疵を発し家の禍を引出す、女色に、溺るゝより、甚きはなし、されば、楚の項羽、吾邦にて、何某の名将の如きすら、女色に迷ひて、戦場の機期を、はづせるなど、いへることあり、まして、功業もなき、小身もの、からす、うのまねと、やらん、上々の人、及び豪雄の族、左右妃妾の、あまたなるを羨み、元来、妻子を忘れて、戦といふ、武士の、もちまへなる、身のほど知らず、女色に溺るゝを、恥とし戒むるなるべし、わけて年少き人、器量、ほど、そなわりたるも、此一条にて、崩れ去るもの多し、いざ、志を立んとならば、女色と、酒との慎、きつと心を用べし、十一には、何ごとにも、ひいき、ある、ところにて、つよみを、いたすこと、人に依頼して、ことをなし、己が見識なき、みれんの、ありさまを、恥とするなるべし、十二には、手にたゝざるほどの、弱あひてに、かさつなること、鳥なき里に、蝙蝠南面がほする類を、恥とするなるべし、十三には、武へんの位を、わきまへずして、少しの、ことを仕、大分の働と、じまんすること、井の中の蛙、大海あることを知らず、誇言する類を、恥とするなるべし、十四には、義理を外にし、たゞ貪欲ばかりにて、婚儀、縁類を、求むること、事にふれ、物により、黒き心の、ふるまひを、恥とするなるべし、十五には、主君の、おふせなりとて、受まじき義あるをも、ことわりなく、或は、いとま受べき筋なれども、とかくして、こらへ居ること、諫争する器量なく、唾辱せられても、退かず、ひたすら俸禄のみに執着し、進退不決断にして、うぢ〱する向東向西境界を、恥とするなるべし、十六には、仕合よき人には、あしきことをも、ほめ、さのみ、屈すまじき時も、平伏し、又仕合よからざる人をば、よきことなれども、そしり、あがむべき子細あれども、あなどること、人の風なみを、うかゞひて、とりあつかひに、義気うすきを、恥とするなるべし、
書き下し
凡そ、上下ともに、身の疵を發し家の禍を引出す、女色に、溺るゝより、甚きはなし、されば、楚の項羽、吾邦にて、何某の名將の如きすら、女色に迷ひて、戰場の機期を、はづせるなど、いへることあり、まして、功業もなき、小身もの、からす、うのまねと、やらん、上々の人、及び豪雄の族、左右妃妾の、あまたなるを羨み、元來、妻子を忘れて、戰といふ、武士の、もちまへなる、身のほど知らず、女色に溺るゝを、恥とし戒むるなるべし、わけて年少き人、器量、ほど、そなわりたるも、此一條にて、崩れ去るもの多し、いざ、志を立んとならば、女色と、酒との愼、きつと心を用べし、十一には、何ごとにも、ひいき、ある、ところにて、つよみを、いたすこと、人に依頼して、ことをなし、己が見識なき、みれんの、ありさまを、恥とするなるべし、十二には、手にたゝざるほどの、弱あひてに、かさつなること、鳥なき里に、蝙蝠南面がほする類を、恥とするなるべし、十三には、武へんの位を、わきまへずして、少しの、ことを仕、大分の働と、じまんすること、井の中の蛙、大海あることを知らず、誇言する類を、恥とするなるべし、十四には、義理を外にし、たゞ貪欲ばかりにて、婚儀、縁類を、求むること、事にふれ、物により、黑き心の、ふるまひを、恥とするなるべし、十五には、主君の、おふせなりとて、受まじき義あるをも、ことわりなく、或は、いとま受べき筋なれども、とかくして、こらへ居ること、諫爭する器量なく、唾辱せられても、退かず、ひたすら俸祿のみに執着し、進退不決斷にして、うぢ〱する向東向西境界を、恥とするなるべし、十六には、仕合よき人には、あしきことをも、ほめ、さのみ、屈すまじき時も、平伏し、又仕合よからざる人をば、よきことなれども、そしり、あがむべき子細あれども、あなどること、人の風なみを、うかゞひて、とりあつかひに、義氣うすきを、恥とするなるべし、
現代語訳
おおよそ、上下ともに、身に疵を負い家の禍を引き出すことは、女色に溺れるより甚だしいものはありません。そこで、楚の項羽や、わが国のある名将のような者ですら、女色に迷って戦場の好機を外したなどと言われます。まして功業もない小身の者が、烏の真似とやら、上々の人や豪雄の族が左右に妃妾の多いのを羨み、もとより妻子を忘れて戦うのが武士の持ち前であるのに、身のほど知らず女色に溺れるのを恥とし戒めるのでしょう。とりわけ年若い人は、器量が備わっていても、この一条で崩れ去る者が多いのです。いざ志を立てようとするなら、女色と酒の慎みにきっと心を用いなさい。十一には、何事にも贔屓のあるところで強みを出すこと。人に依頼して事を成し、自分の見識がない未練のありさまを恥とするのでしょう。十二には、手に立たぬほどの弱い相手に乱暴すること。鳥なき里の蝙蝠が南面顔をする類を恥とするのでしょう。十三には、武辺の位をわきまえず、少しのことをして大きな働きと自慢すること。井の中の蛙が大海のあることを知らず誇言する類を恥とするのでしょう。十四には、義理をよそに、ただ貪欲だけで婚儀・縁類を求めること。事にふれ物により、黒い心の振る舞いを恥とするのでしょう。十五には、主君の仰せだからといって、受けてはならない義があるのにも断りなく、あるいは暇を受けるべき筋なのに、何とかして堪えていること。諫争する器量がなく、唾辱されても退かず、ひたすら俸禄にだけ執着し、進退が不決断でぐずぐずする、東を向くか西を向くかの境界を恥とするのでしょう。十六には、仕合わせのよい人には悪いことをもほめ、さほど屈する必要のない時にも平伏し、また仕合わせのよくない人には、よいことでもそしり、崇めるべき子細があってもあなどること。人の風向きをうかがって取り扱い、義気の薄いのを恥とするのでしょう。
解説

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『春秋左氏伝』桓公十三年 莫敖屈瑕の敗死十三年春、楚の屈瑕羅を伐つ。鬬伯比之を送る。還りて、其の禦に謂ひて曰く、「莫敖必ず敗れん。趾を舉ぐること高し、心固からず」と。遂に楚子に見えて曰く、「必ず師を濟せ」と。楚子焉を辭す。入りて夫人鄧曼に告ぐ。鄧曼曰く、「大夫は其れ眾の謂に非ず。其れ君の小民を撫するに信を以てし、諸司を訓ふるに德を以てし、而して莫敖を威すに刑を以てするを謂ふなり。莫敖は蒲騷の役に狃れ、將に自ら用ゐんとす。必ず羅を小とせん。君若し鎮撫せずんば、其れ備へを設けざらんか。夫れ固より君の眾を訓へて好く之を鎮撫し、諸司を召して之に勸むるに令德を以てし、莫敖を見て諸に天の假易せざるを告げよと謂ふなり。然らずんば、夫れ豈に楚の師の盡く行くを知らざらんや」と。楚子賴人をして之を追はしむ。及ばず。莫敖師に徇へしめて曰く、「諫むる者は刑有り」と。鄢に及び、次を亂して以て濟る。遂に次無く、且つ備へを設けず。羅に及ぶ。羅と盧戎と兩つながら之に軍す。大いに之を敗る。莫敖荒谷に縊れ、群帥冶父に囚へられて以て刑を聽く。楚子曰く、「孤の罪なり」と。皆之を免す。宋多く賂を鄭に責む。鄭命に堪へず。故に紀・魯を以て齊及び宋・衛・燕と戰ふ。戰ふ所を書せざるは、後るればなり。鄭人來りて好を修めんことを請ふ。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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史記 秦本紀繆公聞き、怒りて曰く、「孤兵を発して子沮みて吾が軍を哭するは、何ぞや」と。二老曰く、「臣敢へて君の軍を沮むに非ず。軍行くに、臣の子与に往く。臣老いたり、遅く還らば相見ざらんことを恐る、故に哭するのみ」と。二老退きて、其の子に謂ひて曰く、「汝の軍即し敗れなば、必ず殽の阨に於てせん」と。三十三年春、秦の兵遂に東し、晋の地を更り、周の北門を過ぐ。周の王孫満曰く、「秦の師礼無し、敗れずして何をか待たん」と。兵滑に至る。鄭の販売の賈人弦高、十二牛を持ちて将に之を周に売らんとす。秦の兵を見て、死虜を恐れ、因りて其の牛を献じて、曰く、「大国将に鄭を誅せんとすと聞く。鄭君謹んで守御の備へを修め、臣をして牛十二を以て軍士を労はしむ」と。秦の三将軍相謂ひて曰く、「将に鄭を襲はんとす。鄭今已に之を覚る、往くも及ぶ無し」と。滑を滅ぼす。滑は、晋の辺邑なり。是の時に当たり、晋の文公の喪尚ほ未だ葬らず。太子襄公怒りて曰く、「秦我が孤を侮り、喪に因りて我が滑を破る」と。遂に衰絰を墨くし、
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史記 燕召公世家燕の兵独り北ぐるを追ひ、入りて臨淄に至り、尽く斉の宝を取り、其の宮室宗廟を焼く。斉の城の下らざる者は、独り唯だ聊・莒・即墨のみ。其の余は皆燕に属すること、六歳。昭王三十三年にして卒し、子の恵王立つ。恵王の太子為りし時、楽毅と隙有り。即位するに及びて、毅を疑ひ、騎劫をして代はりて将たらしむ。楽毅亡げて趙に走る。斉の田単即墨を以て撃ちて燕の軍を敗り、騎劫死し、燕の兵引き帰り、斉悉く復た其の故城を得たり。閔王莒に死し、乃ち其の子を立てて襄王と為す。恵王七年にして卒す。韓・魏・楚共に燕を伐つ。燕の武成王立つ。武成王の七年、斉の田単我を伐ち、中陽を抜く。十三年、秦趙を長平に敗ること四十余万。十四年、武成王卒し、子の孝王立つ。孝王の元年、秦の邯鄲を囲む者解き去る。三年にして卒し、子の今王喜立つ。今王喜の四年、秦の昭王卒す。燕王相の栗腹に命じて歓を趙に約し、五百金を以て趙王の酒と為さしむ。還りて燕王に報じて曰く、「趙王の壮者は皆長平に死し、其の孤は未だ壮ならず、伐つべきなり」と。王、昌国君楽間を召して之を問ふ。対へて曰く、「趙は四戦の国なり。其の民兵に習ふ。伐つべからず」と。王曰く、「吾五を以て一を伐たん」と。対へて曰く、「不可なり」と。燕王怒り、群臣皆以て可と為す。卒に二軍を起こし、車二千乗、栗腹将として鄗(こう)を攻め、卿秦代を攻む。唯だ独り大夫将渠燕王に謂ひて曰く、「人と関を通じ交はりを約し、五百金を以て人の王に飲ましめ、使者報じて反って之を攻むるは、不祥なり。兵に成功無からん」と。燕王聴かず、自ら偏軍を将ゐて之に随ふ。将渠燕王の綬を引きて之を止めて曰く、「王必ず自ら往くこと無かれ。往くも成功無からん」と。王之を蹵(け)るに足を以てす。将渠泣きて曰く、「臣は以て自らの為にするに非ず、王の為なり」と。燕の軍宋子に至る。趙廉頗をして将たらしめ、撃ちて栗腹を鄗に破る。楽乗卿秦を代に破る。
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『春秋左氏伝』昭公十二年 摩厲して以って須つ楚是を以って分無く、而して彼皆有り。今周と四國と、君王に服事し、將に唯だ命に是れ從はんとす。豈に其れ鼎を愛まんや」と。王曰く、「昔我が皇祖伯父昆吾、舊許に是れ宅す。今鄭人其の田を貪賴して、我に與へず。我若し之を求めば、其れ我に與へんか」と。對へて曰く、「君王に與へんかな。周すら鼎を愛まず、鄭敢へて田を愛まんや」と。王曰く、「昔諸侯我を遠ざけて晉を畏る。今我大いに陳・蔡・不羹に城き、賦皆千乘なり。子も與りて勞有り。諸侯其れ我を畏れんか」と。對へて曰く、「君王を畏れんかな。是の四國なる者、專ら畏るるに足るなり。又之に加ふるに楚を以ってす。敢へて君王を畏れざらんや」と。工尹路請ひて曰く、「君王圭を剝きて以って鏚柲を為らしむ。敢へて命を請ふ」と。王入りて之を視る。析父子革に謂ふ、「吾子は、楚國の望なり。今王と言ふこと響の如し。國其れ之を若何せん」と。子革曰く、「摩厲して以って須つ。王出でなば、吾が刃將に斬らんとす」と。