武道初心集 / 頭支配
番頭支配頭の下に付て。奉公勤る小身の武士。我が頭たる面々の心入。又は組あたりの善惡の義は。其身に引受。能合點致し罷在るに付。我々など若も武士の冥理に叶ひ立身を遂げて。組をも預る仕合にも罷成に於ては。組下の面々を。形の如く勞はり懷けて。主君の御用に相立べし。勿論依怙最屓などは。毛頭も仕るまじき物をと。人々存ずる物に候。然れども其身段々立身致して。番頭支配頭になり上り候へば。前方の心入とは相違致すものにて候。織田家の佐久間。羽柴家の魚住など申す輩。小身の時は。隨分の好武士に候ひしが。大身と成て後。分別相違致して。主君の見かぎりを蒙り。身上亡び候。是等よき先證と存候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:番頭支配頭の下に付て。奉公勤る小身の武士。我が頭たる面々の心入。又は組あたりの善悪の義は。其身に引受。能合点致し罷在るに付。我々など若も武士の冥理に叶ひ立身を遂げて。組をも預る仕合にも罷成に於ては。組下の面々を。形の如く労はり懐けて。主君の御用に相立べし。勿論依怙最屓などは。毛頭も仕るまじき物をと。人々存ずる物に候。然れども其身段々立身致して。番頭支配頭になり上り候へば。前方の心入とは相違致すものにて候。織田家の佐久間。羽柴家の魚住など申す輩。小身の時は。随分の好武士に候ひしが。大身と成て後。分別相違致して。主君の見かぎりを蒙り。身上亡び候。是等よき先証と存候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
番頭支配頭の下に付て。奉公勤る小身の武士。我が頭たる面々の心入。又は組あたりの善惡の義は。其身に引受。能合點致し罷在るに付。我々など若も武士の冥理に叶ひ立身を遂げて。組をも預る仕合にも罷成に於ては。組下の面々を。形の如く勞はり懷けて。主君の御用に相立べし。勿論依怙最屓などは。毛頭も仕るまじき物をと。人々存ずる物に候。然れども其身段々立身致して。番頭支配頭になり上り候へば。前方の心入とは相違致すものにて候。織田家の佐久間。羽柴家の魚住など申す輩。小身の時は。隨分の好武士に候ひしが。大身と成て後。分別相違致して。主君の見かぎりを蒙り。身上亡び候。是等よき先證と存候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
番頭や支配頭の下について奉公を勤める小身の武士は、自分の頭である人々の心がけや、組の扱いの善し悪しについて、わが身に引き受けてよくわきまえています。そこで、自分たちももし武士の冥加にかなって立身を遂げ、組を預かる身になったなら、組下の者たちを型どおりにいたわり、なつけて、主君の御用に役立てよう、もちろんえこひいきなどは少しもするまい、と人々は思うものです。けれども、自分が次第に立身して番頭や支配頭になり上がると、以前の心がけとは違ってしまうものです。織田家の佐久間、羽柴家の魚住などと申す者たちは、小身のときはたいへんな好武士でしたが、大身になった後は考えが違ってしまい、主君に見限られて身上を滅ぼしました。これらはよい先例だと思います。初心の武士の心得のために、以上のとおりである。
解説
この章句が説くこと
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