武道初心集 / 懈惰一
主君を持たる武士。初條にも申述る如く。今日在て。明日を知らぬ身命に候得ば。日毎にけふを奉公のいたし納めとさへ覺悟仕れば。物に退屈もなく。諸事を投やりにも不仕。何事も皆其日拂ひに仕るを以て。不念失念と申義も無之道理に候。然るに行末永き奉公と存ずるから事起りて。物に退屈仕り。それより心もゆるみ氣も怠り。事の緩やかなる義は申すに及ばず。たとひきはきはと相談を遂て。埒を明ずしては叶はざる事も。それは明日の義。是は重ねての事と。打やり投やりに仕り。或は同役仲間にても。彼方へはね。此方へぬり。誰ひとり身に引受て世話のやき手もなければ。諸事はいやが上にかさなりつかへて。不埒なる事のみ多く成行候は。是皆行末の月日を。頼みに存ずるより起る過ちにて。尤恐れ愼しむべき事に候。たとへば月幾日と。番日の定れる勤めならば。
新字:主君を持たる武士。初条にも申述る如く。今日在て。明日を知らぬ身命に候得ば。日毎にけふを奉公のいたし納めとさへ覚悟仕れば。物に退屈もなく。諸事を投やりにも不仕。何事も皆其日払ひに仕るを以て。不念失念と申義も無之道理に候。然るに行末永き奉公と存ずるから事起りて。物に退屈仕り。それより心もゆるみ気も怠り。事の緩やかなる義は申すに及ばず。たとひきはきはと相談を遂て。埒を明ずしては叶はざる事も。それは明日の義。是は重ねての事と。打やり投やりに仕り。或は同役仲間にても。彼方へはね。此方へぬり。誰ひとり身に引受て世話のやき手もなければ。諸事はいやが上にかさなりつかへて。不埒なる事のみ多く成行候は。是皆行末の月日を。頼みに存ずるより起る過ちにて。尤恐れ慎しむべき事に候。たとへば月幾日と。番日の定れる勤めならば。
書き下し
主君を持たる武士。初條にも申述る如く。今日在て。明日を知らぬ身命に候得ば。日毎にけふを奉公のいたし納めとさへ覺悟仕れば。物に退屈もなく。諸事を投やりにも不仕。何事も皆其日拂ひに仕るを以て。不念失念と申義も無之道理に候。然るに行末永き奉公と存ずるから事起りて。物に退屈仕り。それより心もゆるみ氣も怠り。事の緩やかなる義は申すに及ばず。たとひきはきはと相談を遂て。埒を明ずしては叶はざる事も。それは明日の義。是は重ねての事と。打やり投やりに仕り。或は同役仲間にても。彼方へはね。此方へぬり。誰ひとり身に引受て世話のやき手もなければ。諸事はいやが上にかさなりつかへて。不埒なる事のみ多く成行候は。是皆行末の月日を。頼みに存ずるより起る過ちにて。尤恐れ愼しむべき事に候。たとへば月幾日と。番日の定れる勤めならば。
現代語訳
主君を持つ武士は、初めの条にも述べたとおり、今日あっても明日を知れない身の上ですから、毎日、今日を奉公の最後と覚悟していれば、物事に飽きることもなく、何事もなげやりにはしません。何でも皆その日のうちに済ませることで、不念や失念ということも起こらない道理です。ところが、行く末長い奉公だと思うから、事が起きて物事に飽き、そこから心もゆるみ気も怠り、ゆるやかなことは言うまでもなく、たとえきびきびと相談をして片づけなければならないことでさえ、それは明日のこと、これは重ねてのこと、と放っておき、あるいは同役の仲間でも、あちらへはね、こちらへ塗りつけ、誰ひとり自分で引き受けて世話を焼く者もないので、諸事はいよいよ重なりつかえて、不始末なことばかり多くなっていきます。これはみな、将来の月日をあてにすることから起こる過ちで、まことに恐れ慎むべきことです。たとえば、月に何日と、当番の日が決まっている勤めであれば、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』懈惰(二)我が宿所よりの道法と日の長短とを考へ計り。交代の時刻より。少し早めに出候樣に心得べく候。迚も出べき勤番所へ。出からかひを仕り。茶を一服。煙草を一ぷくと申てぶらつき。或は女房子供と。一口づゝの雜談に時を移して。宿を遲く出ては俄に狼狽。行違ふ人の見さかひもなき程道を急き。大汗を流して番所へ馳付。寒中にも扇を遣ひながら。ちと不叶用事有りて遲く罷出候などゝ。利口がましく申すなどは。空氣たる事と可申候。武士の勤番と申すは警衛の義なれば。何樣の義たりといふ共。私用を以て遲參に及ぶべき義は無之候。扨又右の心得を以て。我が身はいつとても早く出勤致すといへ共。相手替りの傍輩の遲く出るを待兼。もゝ尻に成りて大欠を仕り。主君の御舘の內には。しばらくも居る事をいやがり。歸りいそぎを仕るも。近頃見苦しきものに候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』總論(一)武士たらむものは。正月元日の朝。雜煮の餅を祝ふとて。箸を取初るより。其年の大晦日の夕べに至るまで。日々夜々死を常に心にあつるを以て。本意の第一と仕り候。死をさへ常に心にあて候へば。忠孝の二つの道にも相叶ひ。萬の惡事災難をも遁れ。其身無病息災にして。壽命長久に。剩へ其人柄までもよろしく罷成。其德おほき事に候。其仔細を申に。總じて人間の命をば夕部の露。あしたの霜になぞらへ。隨分はかなき物に致し置候中にも。殊更危きは武士の身命にて候を。人々おのれが心すましに。いつまでも長生を仕る了簡なるに依て。主君へも末永き御奉公。親々への孝養も。末久しき義なりと存ずるから事起りて。主君へも不奉公を仕り。親々への孝行も。疎略には罷成にて候。今日在て明日を知らぬ身命とさへ。覺悟仕り候に於ては。主君の御前へ罷出て御用を承るも。親々の顔を見上るも。是をかぎりと罷成事もやと。存ずる心あひに相成候ゆゑ。主親へ眞實の思ひ入れと罷成らずしてはかなはず候。去に依て。忠孝の二つの道にも相叶ふとは申にて候。
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『武道初心集』述懷奉公仕る武士。何事にてもあれ。主君の御爲に對し。一廉ある奉公を仕り。我が心にも。天晴一奉公をば勤めたりと存じ。人も感じ譽るといへ共。主君の御心には左程の事とも思召入られざるにや。又は御心底には感じ思召といへ共。何ぞ外に相障る事も有之やらん。異なる御恩賞もなく。功勞空しく埋るゝに付心底に不足を挾さみ。御情なき事と述懷たらだらにて。身に染ぬ奉公を致す者は。兎角に及ばず。心得違の事に候。戰國の武士の一生の間。幾度といふ事なく軍に立。主君大將の御爲に身命を拋ち。手柄高名を極めたる前に於ては。中々口のさかるゝ義にては無之候。子細は何を申しても治國の奉公と申すは。疊の上を這廻り。互ひに手の甲をさすり。舌先三寸の勝負を爭ふのみの善惡にて。身命をかけそくの働とては。先づは無之事に候。尤忠義の志に於ては。戰國にても治國にても。替る事は無之。勿論奉公する武士の役義に候。それを奇特と有て御賞美可被成も。被成間敷も。其段は主君の御心次第にて。自分は自分の役義を務るとさへ覺悟致し候得ば。事相濟。何にても不足述懷と申義無之道理に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』出家士(二)いまだ年若き者も妻子を持ち。朝寢晝寢を業と致し。士の常法たる。兵法をさへ學び務めず候からは。ましてや手遠なる。軍法戰法の事は。思ひがけもなくて。一日ぬらりに年月を送る內に。そろ〳〵髭白毛も生ひ出。額口も禿上りて。何樣尤らしき年齡に見ゆるを以て。役ぬけの撰擧に預り。譬へば使番などになり候ても。早當座から行あたり。同役仲間の介抱を以て。何とか相勤め罷在內に。常に無之遠國使など有之時は。俄に胸をつき。旅行の支度にとりまぜて。先輩の口傳を受け。古來の控覺書など借用して。漸々と其塲を勤め候は。幸にして免れたると申すものにて。本道の事とは申されず候。子細を申に。武家の諸役儀大形定り有ものなれば。其身無役の內。連々心にかけ。役義馴れたる功者に參會の序毎には。無益の雜談を相止め。向後の心付にも可罷成と。思ひ寄たる事共をば。幾度も問尋ねて。委細に聞覺え。或は古き控覺書。繪圖等までも借りあつめ寫し置き。勤方の大筋を呑込候得ば。何時何役に成り候ても。務り易き道理に候。其上先輩同役に便りて事を習ひ。介抱に預りて事を濟すも。常式の時の儀に候。萬一世の變に至り候ては。人の介抱引廻しに預る事はならざる事に候間。善くも惡くも我獨分別にて。埒を明るより外は無之候。
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『武道初心集』言辭(一)奉公仕る武士。主君より大切の仕もの。放討など仰付らるゝ時は。御家中人多き中に。今度の御用を私へ仰付らるゝ段。武士の冥理に相叶ひ。忝次第に存ずる旨。成程潔よく御請を申上る心得尤に候。然るを生溫き御請に及ぶは。以ての外宜しからず候。子細を申すに。內心には勇氣を勵し。天晴仕すまして御目に懸べきと存じ詰候ても。勝負は時の運によれば討損じ。剩へ返り討に逢事も有之候。何れも後日に至り。諸傍輩の中において善惡の批判有べき事に候。其首尾好ければ。いかさま御請の砌より。仕り乘まじき氣色に見えたるが。能は仕濟したりと申して。もし又仕損じて返り討に逢候時は。右の御請の次第を申出て。中々仕り損ずる樣なる者にては無かりしが。如何致して討損じけるぞと申して。各悔みて惜み申候。扨又少しにても鈍き御請を仕り候時は。たとひ好首尾に致し濟し候ても。
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『武道初心集』總論(二)儲又死を忘れて油斷致す心より。物に慎しみなく。人の氣に障る事をも云て口論に及び。聞捨に仕りて事濟儀をも。聞答めて物云に仕なし。或は無益なる遊山見物の場所。人込の中といふ遠慮もなく。ありきまはり。ゑしれぬ馬鹿者などにも出逢不慮の喧嘩に及び。身命を果て主君の御名を出し。親兄弟に難儀を懸る事皆常に死を心にあてぬ油斷より起る禍ひに候。死を常に心に當る時は。物をいふも。人の物云返答を致すも。武士の身にては。一言の甲乙を大事と心得るを以て。譯もなき口論などを不仕。勿論むさと致したる場所へは。人が誘ひても行ざるゆへ。不慮の首尾に出合ふべき様も是なく候。爰を以て萬の惡事災難をも遁るゝとは申にて候。貴きも賤しきも。人は死を忘るゝゆゑに。常に過食大酒淫欲等の不養生を致し。脾腎の煩を仕出し。思ひの外なる若死をも致し。たとひ存命にても。何の用に立ざる病者とはなり果候。死を常に心にあつるときは。其身の年も若く。無病息災なりといへども。兼て補養の心得を致し。飲食を節に仕り。色の道をも遠ざけ。たしなみ愼しみ候故に。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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