武道初心集 / 聚歛二
城下の町人には過役をあて。鄕村の百姓には高免を仕懸。或は向後仕置の邪魔に成り。民の煩となるならず考へにも及ばず。當分眼前の利潤と見ゆる義のみを工夫仕出し。分別不足なる家老年寄出頭人などを。だまし勸めて是を呑込せ。其取成を以て。筋なき加增褒美を申受。もしも其新法不益にして不調法になる時は。件の家老年寄の差圖損ひの如く仕なして。己は其人の陰に隱れて罪科をのがれ。迷惑致さぬ分別を仕る。如此なるを名付て聚歛の臣と申候。右に申す盜臣の義は。武士に似合ざる主君の物を盜み取。不屆沙汰を限りたる義とは申ながらも。天罰を蒙り。それが顯はれ候て。身命を喪ぼし。其者壹人獨り轉びをさへ仕れば。事濟埒も明て。諸人の難義迷惑となる事もなく。勿論仕置の邪魔。國土の煩にも罷成義は。左のみ無之ものにて候。聚歛の臣と申す者は。普く人の傷みになる義をあみ出し。重ねて致し直しの成兼る樣なる。
新字:城下の町人には過役をあて。郷村の百姓には高免を仕懸。或は向後仕置の邪魔に成り。民の煩となるならず考へにも及ばず。当分眼前の利潤と見ゆる義のみを工夫仕出し。分別不足なる家老年寄出頭人などを。だまし勧めて是を呑込せ。其取成を以て。筋なき加增褒美を申受。もしも其新法不益にして不調法になる時は。件の家老年寄の差図損ひの如く仕なして。己は其人の陰に隠れて罪科をのがれ。迷惑致さぬ分別を仕る。如此なるを名付て聚歛の臣と申候。右に申す盗臣の義は。武士に似合ざる主君の物を盗み取。不届沙汰を限りたる義とは申ながらも。天罰を蒙り。それが顕はれ候て。身命を喪ぼし。其者壱人独り転びをさへ仕れば。事済埒も明て。諸人の難義迷惑となる事もなく。勿論仕置の邪魔。国土の煩にも罷成義は。左のみ無之ものにて候。聚歛の臣と申す者は。普く人の傷みになる義をあみ出し。重ねて致し直しの成兼る様なる。
書き下し
城下の町人には過役をあて。鄕村の百姓には高免を仕懸。或は向後仕置の邪魔に成り。民の煩となるならず考へにも及ばず。當分眼前の利潤と見ゆる義のみを工夫仕出し。分別不足なる家老年寄出頭人などを。だまし勸めて是を呑込せ。其取成を以て。筋なき加增褒美を申受。もしも其新法不益にして不調法になる時は。件の家老年寄の差圖損ひの如く仕なして。己は其人の陰に隱れて罪科をのがれ。迷惑致さぬ分別を仕る。如此なるを名付て聚歛の臣と申候。右に申す盜臣の義は。武士に似合ざる主君の物を盜み取。不屆沙汰を限りたる義とは申ながらも。天罰を蒙り。それが顯はれ候て。身命を喪ぼし。其者壹人獨り轉びをさへ仕れば。事濟埒も明て。諸人の難義迷惑となる事もなく。勿論仕置の邪魔。國土の煩にも罷成義は。左のみ無之ものにて候。聚歛の臣と申す者は。普く人の傷みになる義をあみ出し。重ねて致し直しの成兼る樣なる。
現代語訳
城下の町人には過重な負担を課し、郷村の百姓には高い年貢を取り立て、あるいは今後の仕置の邪魔になり、民の煩いとなるかならないかを考えることもなく、当座の目先の利益と見えることだけを工夫して持ち出し、分別の足りない家老・年寄・出頭人などをだまし勧めて、これを呑み込ませ、その取りなしで、筋のない加増や褒美を受け取り、もしもその新法が益にならず不都合になるときは、さきの家老・年寄の指図の失敗のように仕立てて、自分はその人の陰に隠れて罪科を逃れ、迷惑がかからないよう算段をします。このような者を名づけて、聚歛の臣と申します。右に申した盗臣のことは、武士にふさわしくない、主君の物を盗み取るけしからぬ振る舞いの極みとはいえ、天罰を受け、それが露見して身命を滅ぼし、その者一人が転ぶだけで、事は済み埒があいて、人々の難儀迷惑となることもありません。もちろん仕置の邪魔、国土の煩いになることも、さほどないものです。聚歛の臣という者は、広く人の痛みになることを編み出し、重ねて直すことのできないような、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・子張篇陳子禽、子貢に謂いて曰く、「子は恭を為すなり。仲尼豈に子より賢らんや。」子貢曰く、「君子は一言以て知と為し、一言以て不知と為す。言は慎まざる可からざるなり。夫子の及ぶ可からざるや、猶お天の階して升る可からざるがごときなり。夫子の邦家を得たらば、所謂『之を立つれば斯に立ち、之を道けば斯に行き、之を綏んずれば斯に来たり、之を動かせば斯に和す。其の生くるや栄え、其の死するや哀しむ』。之を如何ぞ其れ及ぶ可けんや。」
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尉繚子・兵教上民をして国門の限を背にし、死生の分を決せしめ、之に死して疑はざるを教ふる者は、以有るなり。守る者をして必ず固く、戦ふ者をして必ず闘ひ、奸謀作らず、姦民語らず、令行はれて変無く、兵行はれて猜無く、軽き者は霆の若く、敵に奮ふこと驚くが若くせしむ。功を挙げ徳を別つこと、明らかなること白黒の如く、
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『甲陽軍鑑』品第四十爰におひて高坂弾正いはく、人をほむるも、そしるも我位ほどさたする時は被官といへども、よき者へは悪大将心ざし及ばさる故、めもさながらとゞかぬなり、惣別よき大将は三万·四万の人数をつれても五千の敵に気遣給ふ事、主の小人数にて大軍を引請、どこぞのつがひに切てとらんと思ふたる大身のむかしより、いかほど大きく成給ひて後までも気遣なさるゝ事、我意地にあてがひてかくの分なり、
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『大和俗訓』巻之五・言語一人をほめ毀ること、つつしんで過不及なかるべし。人の小悪を大悪に言ひなし、小過を大過に言ひなし、虚なることを実に言ひなすは、讒言なり。又左程なきことを、甚しく人をほめ過すも、正直の道にあらず。へつらひて其人に私するなり。誉めそしること、かるがるしくすべからず。たとへば権量を以て、物の軽重をはかるが如くなるべし。一毫もかろくし重くして、過不及あるべからず。誉むべからざる人をほめ、毀るべからざる人をそしり、或はほめ過し、そしり過すは、ともに不智なり。論語に子貢曰、君子は一言以て智とし、一言以て不智とす。言慎まずんばあるべからずといへり。よき人は、許可をつつしむとて、人をみだりにゆるしほめず。されども、小善をもすてず、一芸をも用ふるは、君子のする所なり。
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『幽夢影』巻下・君子の鄙しむ所と爲る毋れ寧ろ小人の罵る所と爲るも、君子の鄙しむ所と爲る毋れ。寧ろ盲主司の擯棄する所と爲るも、諸名宿の知らざる所と爲る毋れ。
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史記 趙世家四卿恐れ、遂に共に出公を攻む。出公斉に奔り、道に死す。知伯乃ち昭公の曾孫驕を立つ、是を晋の懿公と為す。知伯益々驕る。地を韓・魏に請ふ。韓・魏之に与ふ。地を趙に請ふ。趙与へず。其の鄭を囲みしときの辱めを以てなり。知伯怒り、遂に韓・魏を率ゐて趙を攻む。趙襄子懼れ、乃ち奔りて晋陽を保つ。原過従ふ。後れて、王沢に至り、三人を見る。帯より以上は見るべく、帯より以下は見るべからず。原過に竹二節を与ふ。通ずる莫し。曰く、「我が為に是を以て趙毋卹に遺れ」と。原過既に至り、以て襄子に告ぐ。襄子斉すること三日、親ら自ら竹を剖く。朱書有りて曰く、「趙毋卹、余は霍泰山山陽侯の天使なり。三月丙戌、余将に女をして反りて知氏を滅ぼさしめんとす。女も亦我が百邑を立てよ。余将に女に林胡の地を賜はんとす。後世に至りて、且に伉王有らんとす。赤黒く、龍面にして鳥噣、鬢麋髭髯、大膺大胸、修下にして馮、左袵界乗、奄ひて河宗を有ち、休溷の諸貉に至り、南のかた晋の別を伐ち、北のかた黒姑を滅ぼさん」と。襄子再拝し、三神の令を受く。三国晋陽を攻むること歳余、汾水を引きて其の城に灌ぐ。城の浸らざる者三版。城中釜を懸けて炊ぎ、子を易へて食らふ。群臣皆外心有り、礼益々慢る。唯だ高共のみ敢へて礼を失はず。襄子懼れ、乃ち夜に相の張孟同をして私かに韓・魏に於てせしむ。韓・魏与に合謀し、三月丙戌を以て、三国反りて知氏を滅ぼし、共に其の地を分つ。是に於て襄子賞を行ふ。高共を上と為す。張孟同曰く、「晋陽の難に、唯だ共のみ功無し」と。襄子曰く、「晋陽の急なるに方りて、群臣皆懈る。惟だ共のみ敢へて人臣の礼を失はず。是を以て之を先にす」と。是に於て趙は北に代を有ち、南に知氏を并せ、韓・魏より彊し。遂に三神を百邑に祠り、原過をして霍泰山の祠祀を主らしむ。其の後空同氏を娶り、五子を生む。
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