武道初心集 / 臨終三
急度遺言を仕り候は眞の武士の正義に候聖人の詞にも。人の將に死なむとする。其云ふこと善と哉らん有之げに候。右のごとくにてこそ。武士の最期共可被申候。然るに迚も本復のならぬ病氣といふ思慮もなく。死がらかひを致し。病躰を人が輕くさへいへば悅び。重くいふをいやがり。あれのこれのと醫者問着を仕り。叶はぬ祈念願立など申して。狼狽分別と成り。病氣は次第に重るといへ共。何を一言申置事をも致さず。悉皆犬猫の死も同然の有樣にて。一生一度の臨終の致し損じを仕るは。此書の始に申し斷り候。死を常に心に當ることを仕らず。人の死を聞ては忌々敷と存じ。おのれはいつまでも此世に在る筈の樣に覺ゑ。欲深く。生を貪る心より起る死ぞこなひに候。斯のごとき卑怯の意地にて。戰塲に臨み。忠義の一圖を以て。晴なる討死などの。罷成べき義にては無之候。爰を以て武士をたしなむものは。疊の上に於て病死を遂るを。一生一度の大事とは申すにて候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:急度遺言を仕り候は真の武士の正義に候聖人の詞にも。人の将に死なむとする。其云ふこと善と哉らん有之げに候。右のごとくにてこそ。武士の最期共可被申候。然るに迚も本復のならぬ病気といふ思慮もなく。死がらかひを致し。病体を人が軽くさへいへば悦び。重くいふをいやがり。あれのこれのと医者問着を仕り。叶はぬ祈念願立など申して。狼狽分別と成り。病気は次第に重るといへ共。何を一言申置事をも致さず。悉皆犬猫の死も同然の有様にて。一生一度の臨終の致し損じを仕るは。此書の始に申し断り候。死を常に心に当ることを仕らず。人の死を聞ては忌々敷と存じ。おのれはいつまでも此世に在る筈の様に覚ゑ。欲深く。生を貪る心より起る死ぞこなひに候。斯のごとき卑怯の意地にて。戦塲に臨み。忠義の一図を以て。晴なる討死などの。罷成べき義にては無之候。爰を以て武士をたしなむものは。畳の上に於て病死を遂るを。一生一度の大事とは申すにて候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
急度遺言を仕り候は眞の武士の正義に候聖人の詞にも。人の將に死なむとする。其云ふこと善と哉らん有之げに候。右のごとくにてこそ。武士の最期共可被申候。然るに迚も本復のならぬ病氣といふ思慮もなく。死がらかひを致し。病躰を人が輕くさへいへば悅び。重くいふをいやがり。あれのこれのと醫者問着を仕り。叶はぬ祈念願立など申して。狼狽分別と成り。病氣は次第に重るといへ共。何を一言申置事をも致さず。悉皆犬猫の死も同然の有樣にて。一生一度の臨終の致し損じを仕るは。此書の始に申し斷り候。死を常に心に當ることを仕らず。人の死を聞ては忌々敷と存じ。おのれはいつまでも此世に在る筈の樣に覺ゑ。欲深く。生を貪る心より起る死ぞこなひに候。斯のごとき卑怯の意地にて。戰塲に臨み。忠義の一圖を以て。晴なる討死などの。罷成べき義にては無之候。爰を以て武士をたしなむものは。疊の上に於て病死を遂るを。一生一度の大事とは申すにて候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
きっぱりと遺言をするのが、まことの武士の正義です。聖人の言葉にも、人が死のうとするとき、その言うことは善いものだとあるようです。右のとおりにしてこそ、武士の最期と申すことができます。ところが、とても本復しない病気だという思慮もなく、死を茶化したり、病状を人が軽く言えば喜び、重く言えばいやがり、あれこれと医者に問いただし、かなうはずもない祈念や願掛けを言い立てて狼狽し、病気は次第に重くなるのに、何も一言言い置くこともせず、すっかり犬猫の死に方と同じありさまで、一生に一度の臨終をしくじるのは、この書の初めにお断りしたとおり、死を常に心にあてることをせず、人の死を聞いては忌まわしく思い、自分はいつまでもこの世にいるはずのように思い、欲が深く、生を貪る心から起こる死にそこないです。このような卑怯な心根で、戦場に臨み、忠義の一途をもって、晴れやかな討ち死になどが、できるはずもありません。このことから、武士をたしなむ者は、畳の上で病死を遂げるのを、一生一度の大事と申すのです。初心の武士の心得のために、以上のとおりです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公十七年 余皇を奪い返す吳楚を伐つ。陽匄令尹為り。戰を卜して吉ならず。司馬子魚曰く、「我上流を得たり。何の故に吉ならざる。且つ楚の故、司馬龜に令す。我請ふ改めて卜せん」と。令して曰く、「魴や、其の屬を以て之に死せん。楚師之に繼ぎ、尚はくは大いに之に克たん」と。吉なり。長岸に戰ふ。子魚先づ死す。楚師之に繼ぎ、大いに吳師を敗り、其の乘舟餘皇を獲たり。隨人と後れて至る者とをして之を守らしむ。環りて之に塹し、泉に及ぶ。其の隧に炭を盈たし、陳して以て命を待つ。吳の公子光其の衆に請ひて曰く、「先王の乘舟を喪ふは、豈に唯だ光の罪のみならんや。衆も亦た焉に有り。請ふ藉りて之を取り、以て死を救はん」と。衆許す。長鬣なる者三人をして、舟の側に潛伏せしめて曰く、「我皇と呼ばば則ち對へよ」と。師夜之に從ふ。三たび呼べば皆迭ひに對ふ。楚人從ひて之を殺す。楚師亂る。吳人大いに之を敗り、餘皇を取りて以て歸る。
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『文武訓』武訓下一或武人、敵と我、両人戦ふ時のこころをよめる拙き歌あり。身は捨てつ心ばかりははふらさじ人のうごきを待ちてぞ打つべきいふ意は、敵と戦ふに臨まば、身は捨つべし。身をのがれんと思へば、心みだれおそれひるみて、敵に勝つべき力なし。されど、心ひとつは失ふべからず。敵と戦ふ時に、つねの如くにして心を動すべからず。我方よりみだりにかからず、こらへて早くうつべからず、人の動をまちて、其隙を見て早くうつべし。是敵に勝つの道なりといへり。一士となる者、平生は温厚和平にして、いかりをおさへ色をはげしくすべからず。みづから楽み人を愛すべし。されども、常に志をたもち気を養ひて、義理にいさむべし。変にあひては、平生の志を守りて、勇剛を失ふべからず。
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『驢鞍橋』卷下彼人思ひ入たる道理計りを云つて聞きうけす、無理に剃髪を乞ふ。師曰く、夫れならば力及はす、其方次第也。我処にては、総して出家させず、何方にても剃りめされんず迄よ。夫れはともあれ、後にいきあたりめさるゝな。今云つて聞かせ申すぞ。御公儀より御穿鑿あらん時、別に云分有るへからす。某世間いやに御座有るに仍て、此の体に罷り成る也。曲事に思召さば、御成敗有るべしと云つて罷出て、腹切らんと思定めめさればすらるべし、是れ一つ。又出家しても食はでもならず、着でもならず、草履鼻紙も使はでならず、何としても一年に金三両ほどは入らんずと思ひめされよ。不観にひよつとすつて後、餓鬼に成りめさるゝな。覚悟有らばすりめされよ。寺に入り大事の施物を食ふも非義也。又親類衆纔かの知行を以て、世間を間に合はせて行かんとするを貪らんと思ふも比興也。夫れよりは此の身を主君に抛て、奉公して食ひたるかよき也。総而片ふしんに思にならぬ物也。我と自分過きするやうにする物也。是れ一つ。右の旨覚らば、御辺次第也。後に行当りめさるゝな。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・かねて無き身と思い知らずば故に毫も外物の窘迫する所とならず、常に他を容れて、多々益す弁ずるものあるなり。史に伝ふ、江戸城の開祖たる太田道灌、かつて戦場に若武者の首級を獲るや、惻然として之を憫み、「かかる時さこそ命の惜しからめ、かねて無き身と思ひ知らずば」の和歌を詠じて之を弔せり。然るに後、道灌の讒に会ひて、浴室に刺さるるや、神色変ぜず、手づから槍幹を抑へ、「昨日まで、まま妄執を入れおきし、へんなし袋、今やぶりけん」と、一首の狂歌を吟じて絶命せりと云ふ。道灌たるもの、亦た自から、かねて無き身と思ひ知らずば、いかでか能くかくの如きを得んや。丈夫の心中、常に磊々落々たるものあり、凡夫の一大事は勇士の一笑事に過ぎず。されば古への戦に、両雄陣に臨み、剣戟を交ふるに当りて、なお且つ連歌を闘はしたるのためしも尠からず。
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