武道初心集 / 臨終二
今生に心懸りなる事の無之樣に致し。重き職役をも相勤るに於ては。勿論の儀。たとひ輕き奉公の身たりといふとも。物のいはるゝ內。支配頭を招請致し。年來上の御厚恩に預り候得ば。いか樣一度は御用に相立申度と。常々心懸罷在候處。如此く重病に懸り。最はや本復難仕次第に罷成。近頃殘念に存候得共。今更是非に不及候。愈相果候に於ては。只今迄の御厚恩あり難き仕合に奉存旨。御家老中迄被仰上被下候樣にと申述尤に候。其義を濟したる上にて。一家朋友などへも。最後の暇乞を致し候刻み。子供をも呼出し。我等義多年上の御厚恩を蒙りながら。病死を致すは。武士の本意に非ずといへ共。其段は是非に及ばざる所なり。其方共義は年若ければ。我等が志を受繼。若自然の義も有之に於ては。是非上の御用に可相立と覺悟致し。常に忠義の志を勵まし。御奉公に精出し勤むべく候。もし此遺言に違ひ。不忠不義の仕形有之に於ては。草葉の陰に於ても。勘當と心得べしなど。
新字:今生に心懸りなる事の無之様に致し。重き職役をも相勤るに於ては。勿論の儀。たとひ軽き奉公の身たりといふとも。物のいはるゝ内。支配頭を招請致し。年来上の御厚恩に預り候得ば。いか様一度は御用に相立申度と。常々心懸罷在候処。如此く重病に懸り。最はや本復難仕次第に罷成。近頃残念に存候得共。今更是非に不及候。愈相果候に於ては。只今迄の御厚恩あり難き仕合に奉存旨。御家老中迄被仰上被下候様にと申述尤に候。其義を済したる上にて。一家朋友などへも。最後の暇乞を致し候刻み。子供をも呼出し。我等義多年上の御厚恩を蒙りながら。病死を致すは。武士の本意に非ずといへ共。其段は是非に及ばざる所なり。其方共義は年若ければ。我等が志を受継。若自然の義も有之に於ては。是非上の御用に可相立と覚悟致し。常に忠義の志を励まし。御奉公に精出し勤むべく候。もし此遺言に違ひ。不忠不義の仕形有之に於ては。草葉の陰に於ても。勘当と心得べしなど。
書き下し
今生に心懸りなる事の無之樣に致し。重き職役をも相勤るに於ては。勿論の儀。たとひ輕き奉公の身たりといふとも。物のいはるゝ內。支配頭を招請致し。年來上の御厚恩に預り候得ば。いか樣一度は御用に相立申度と。常々心懸罷在候處。如此く重病に懸り。最はや本復難仕次第に罷成。近頃殘念に存候得共。今更是非に不及候。愈相果候に於ては。只今迄の御厚恩あり難き仕合に奉存旨。御家老中迄被仰上被下候樣にと申述尤に候。其義を濟したる上にて。一家朋友などへも。最後の暇乞を致し候刻み。子供をも呼出し。我等義多年上の御厚恩を蒙りながら。病死を致すは。武士の本意に非ずといへ共。其段は是非に及ばざる所なり。其方共義は年若ければ。我等が志を受繼。若自然の義も有之に於ては。是非上の御用に可相立と覺悟致し。常に忠義の志を勵まし。御奉公に精出し勤むべく候。もし此遺言に違ひ。不忠不義の仕形有之に於ては。草葉の陰に於ても。勘當と心得べしなど。
現代語訳
この世に心残りのないようにし、重い職務を勤めている場合はもちろんのこと、たとえ軽い奉公の身であっても、物が言えるうちに支配頭を招き、「長年主君の厚いご恩にあずかってきましたので、いつか一度はお役に立ちたいと常々心がけておりましたところ、このように重い病にかかり、もはや本復はできそうにもなくなり、まことに残念ではございますが、今さら仕方がありません。いよいよ死んだときは、これまでのご厚恩をありがたい幸せと存じておりますことを、御家老衆までお伝えください」と申し述べるのがもっともです。その義を済ませたうえで、一族や友人などへも最後の暇乞いをし、そのとき子供も呼び出して、「われらは多年主君の厚いご恩をこうむりながら、病死するのは武士の本意ではないが、それはどうにもならないことだ。そなたたちは年が若いので、われらの志を受け継ぎ、もし万一のことがあれば、ぜひ主君の御用に立つ覚悟をして、常に忠義の志を励まし、奉公に精を出して勤めるように。もしこの遺言に背いて不忠不義の行いがあれば、草葉の陰からでも勘当と心得よ」などと、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』臨終(三)急度遺言を仕り候は眞の武士の正義に候聖人の詞にも。人の將に死なむとする。其云ふこと善と哉らん有之げに候。右のごとくにてこそ。武士の最期共可被申候。然るに迚も本復のならぬ病氣といふ思慮もなく。死がらかひを致し。病躰を人が輕くさへいへば悅び。重くいふをいやがり。あれのこれのと醫者問着を仕り。叶はぬ祈念願立など申して。狼狽分別と成り。病氣は次第に重るといへ共。何を一言申置事をも致さず。悉皆犬猫の死も同然の有樣にて。一生一度の臨終の致し損じを仕るは。此書の始に申し斷り候。死を常に心に當ることを仕らず。人の死を聞ては忌々敷と存じ。おのれはいつまでも此世に在る筈の樣に覺ゑ。欲深く。生を貪る心より起る死ぞこなひに候。斯のごとき卑怯の意地にて。戰塲に臨み。忠義の一圖を以て。晴なる討死などの。罷成べき義にては無之候。爰を以て武士をたしなむものは。疊の上に於て病死を遂るを。一生一度の大事とは申すにて候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』臨終(一)武士たらむものは。大小上下に限らず。第一の心掛たしなみと申すは。其身の果際の善惡に止り申候。常々何程口をきゝ。利根才覺に見え候者も。今を限りの時に臨み。前後不覺に取亂し最期惡しく候ては。前方の善行は皆々水に成り。心ある人の下墨に預り。大きに恥かしき事にて候。武士の戰塲に臨みて。武邊手柄の働を仕り。高名を極るも。兼て討死と覺悟を極め置たる上の事にて候。去るに依て。時の運惡しく勝負に仕負。敵に首を取らるゝ時。我名を敵に問れては愷かに姓名を名乘り。莞爾と笑て首をわたし。毛頭もわるびれたる氣色なく。或は外科の療治に叶はぬ程の深手を負ても。正氣さへあれば。番頭。組頭。諸傍輩の閒前にて。愷に物をも申し手負ぶりをたしなみ。尋常に相果候は。武士の正義第一の所に候。爰を以て考へ候得ば。靜謐の時代たり共。武士をたしなむものは。其身老人ならば申すに及ばず。たとひ年若く候ても。大病を受候に於ては。覺悟を極め。
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『武道初心集』總論(一)武士たらむものは。正月元日の朝。雜煮の餅を祝ふとて。箸を取初るより。其年の大晦日の夕べに至るまで。日々夜々死を常に心にあつるを以て。本意の第一と仕り候。死をさへ常に心にあて候へば。忠孝の二つの道にも相叶ひ。萬の惡事災難をも遁れ。其身無病息災にして。壽命長久に。剩へ其人柄までもよろしく罷成。其德おほき事に候。其仔細を申に。總じて人間の命をば夕部の露。あしたの霜になぞらへ。隨分はかなき物に致し置候中にも。殊更危きは武士の身命にて候を。人々おのれが心すましに。いつまでも長生を仕る了簡なるに依て。主君へも末永き御奉公。親々への孝養も。末久しき義なりと存ずるから事起りて。主君へも不奉公を仕り。親々への孝行も。疎略には罷成にて候。今日在て明日を知らぬ身命とさへ。覺悟仕り候に於ては。主君の御前へ罷出て御用を承るも。親々の顔を見上るも。是をかぎりと罷成事もやと。存ずる心あひに相成候ゆゑ。主親へ眞實の思ひ入れと罷成らずしてはかなはず候。去に依て。忠孝の二つの道にも相叶ふとは申にて候。
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『武道初心集』總論(三)其身も壯健に候。儲こそ無病息災にて。壽命までも長久なりとは申にて候。其上此世の逗留を永く存するに付。色々の望みも出來。欲心深くなり候て。人の物といへば欲しがり。我が物をば惜しみ。悉皆町人體の意地あひのごとくには罷成にて候。死を常に心にあつる時は。貪欲の心もおのづから薄くなり。ほしきおしきのむさき意地あひも左のみさし出ざる道理に候。去に依て。其人柄までも宜しくなるとは申にて候。但し死をいかに心に當ればとて。吉田の兼好がつれ〳〵草に書置たる。心戒と申比丘がごとく。二六時中死期を待心にて。いつもたゞうづくまりてのみ罷在候は。出家沙門の修行にはいかんも候へ。武道修行の本意には相叶ひ不申候。左樣に死をあて候ては。主親へ忠孝の道も捨り。武士の家業も欠果申なれば。大きに宜しからず候。晝夜を限らず。公私の諸用を仕廻ひ。しばらくも身の暇ありて。心靜なる時は。死の一字を思ひ出し。懈怠なく心にあてよと申事にて候。楠正成が子息正行に申敎へし言葉にも。常に死をならへと有之由承り傳へ候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』總論(二)儲又死を忘れて油斷致す心より。物に慎しみなく。人の氣に障る事をも云て口論に及び。聞捨に仕りて事濟儀をも。聞答めて物云に仕なし。或は無益なる遊山見物の場所。人込の中といふ遠慮もなく。ありきまはり。ゑしれぬ馬鹿者などにも出逢不慮の喧嘩に及び。身命を果て主君の御名を出し。親兄弟に難儀を懸る事皆常に死を心にあてぬ油斷より起る禍ひに候。死を常に心に當る時は。物をいふも。人の物云返答を致すも。武士の身にては。一言の甲乙を大事と心得るを以て。譯もなき口論などを不仕。勿論むさと致したる場所へは。人が誘ひても行ざるゆへ。不慮の首尾に出合ふべき様も是なく候。爰を以て萬の惡事災難をも遁るゝとは申にて候。貴きも賤しきも。人は死を忘るゝゆゑに。常に過食大酒淫欲等の不養生を致し。脾腎の煩を仕出し。思ひの外なる若死をも致し。たとひ存命にても。何の用に立ざる病者とはなり果候。死を常に心にあつるときは。其身の年も若く。無病息災なりといへども。兼て補養の心得を致し。飲食を節に仕り。色の道をも遠ざけ。たしなみ愼しみ候故に。
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『武道初心集』臣職(三)或は其塲を一足も引退かずして。晴なる討死をも遂なん。此義に於ては摩利支尊天も照覽あれ。人にさせては見まじき物をと、口廣くこそいはね。我が心一つに覺悟を極め罷在を。武士の奉公の奧意とは申候。扱右の如く奧意を極むるうへは。我が身も命も我が物に非ずいつ何時主君の御用有べきも難計からは。彌身命を大切にかけ。大食大酒淫欲等の不養生を愼しみ。疊の上の病死をさへも本意と思はず。ましてや喧嘩口論など仕出して友傍輩を打果し。我が身命を失ふ類ひの不忠不義は。深く愼しむべき事に候。其愼の致方は。むざと口をきかぬがよく候。口をきくから起りて口論あり。口論がつのりては必ず雜言あり。武士と武士との出會にて。互ひの雜言に及びて後。無事なる事は。千萬に一つも無之候。去るに依て。最初口論に及ぶ時。其心得を致し。兼て主君へ捧げ置たる身命といふ義を存じ出し。抑へ控へを仕るを忠義の武士共申し。又は分別者共申にて候。初心の武士心得のため仍如件。
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