武道初心集 / 名譽
武士たらんものは。常に古き記錄を披見致して。其身の覺悟を相極め尤に候。子細を申すに。世の人のもてはやし候。甲陽軍鑑。信長記。大閤記など申す書の中に。合戰の次第を記し置候にも。名譽の働を遂たる輩の義は。誰がし何某と其姓名を顯はし。此外討死都合何千何百と相記し有之候。右何千何百と申す人數の內には。大身の士いか程も可有之候へ共。させる働も無之を以て。其名を書記すに及ばず候。小身にても。勝れたる武邊有之武士ばかりは擇拔て。姓名を書顯はしたる物にて候。右姓名も殘らぬ程の討死を致すも。又末世末代まで譽れを殘す討死を遂るも。敵に首を渡す時の苦痛に替りとては無之道理に候。爰を能々分別致し。逆も捨る身命ならば。諸手に勝れたる働を仕り討死を遂。敵味方の耳目を驚かし。主君大將の御惜みにも預り。子孫永々の面目にも備へむと心懸るこそ。武士の本意にて候。然るに意地きたなくして。懸る時は人の後。退く時は人の先とばかり心を働かせ。或は敵城を攻る砌も。矢玉の劇しき所にては。傍輩を楯につき。其陰にかゞみ居り。遁れぬ運の矢には中りて伏倒れ。剩さへ味方の踏草にまで成りて。犬死を仕り。大切の身命を失ひ候は。無念の至り。口惜き次第にて。武士の不覺此上有るべからず候。此旨能々思量致し。朝思暮練の工夫あるべき事に候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:武士たらんものは。常に古き記録を披見致して。其身の覚悟を相極め尤に候。子細を申すに。世の人のもてはやし候。甲陽軍鑑。信長記。大閤記など申す書の中に。合戦の次第を記し置候にも。名誉の働を遂たる輩の義は。誰がし何某と其姓名を顕はし。此外討死都合何千何百と相記し有之候。右何千何百と申す人数の内には。大身の士いか程も可有之候へ共。させる働も無之を以て。其名を書記すに及ばず候。小身にても。勝れたる武辺有之武士ばかりは択抜て。姓名を書顕はしたる物にて候。右姓名も残らぬ程の討死を致すも。又末世末代まで誉れを残す討死を遂るも。敵に首を渡す時の苦痛に替りとては無之道理に候。爰を能々分別致し。逆も捨る身命ならば。諸手に勝れたる働を仕り討死を遂。敵味方の耳目を驚かし。主君大将の御惜みにも預り。子孫永々の面目にも備へむと心懸るこそ。武士の本意にて候。然るに意地きたなくして。懸る時は人の後。退く時は人の先とばかり心を働かせ。或は敵城を攻る砌も。矢玉の劇しき所にては。傍輩を楯につき。其陰にかゞみ居り。遁れぬ運の矢には中りて伏倒れ。剰さへ味方の踏草にまで成りて。犬死を仕り。大切の身命を失ひ候は。無念の至り。口惜き次第にて。武士の不覚此上有るべからず候。此旨能々思量致し。朝思暮練の工夫あるべき事に候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
武士たらんものは。常に古き記錄を披見致して。其身の覺悟を相極め尤に候。子細を申すに。世の人のもてはやし候。甲陽軍鑑。信長記。大閤記など申す書の中に。合戰の次第を記し置候にも。名譽の働を遂たる輩の義は。誰がし何某と其姓名を顯はし。此外討死都合何千何百と相記し有之候。右何千何百と申す人數の內には。大身の士いか程も可有之候へ共。させる働も無之を以て。其名を書記すに及ばず候。小身にても。勝れたる武邊有之武士ばかりは擇拔て。姓名を書顯はしたる物にて候。右姓名も殘らぬ程の討死を致すも。又末世末代まで譽れを殘す討死を遂るも。敵に首を渡す時の苦痛に替りとては無之道理に候。爰を能々分別致し。逆も捨る身命ならば。諸手に勝れたる働を仕り討死を遂。敵味方の耳目を驚かし。主君大將の御惜みにも預り。子孫永々の面目にも備へむと心懸るこそ。武士の本意にて候。然るに意地きたなくして。懸る時は人の後。退く時は人の先とばかり心を働かせ。或は敵城を攻る砌も。矢玉の劇しき所にては。傍輩を楯につき。其陰にかゞみ居り。遁れぬ運の矢には中りて伏倒れ。剩さへ味方の踏草にまで成りて。犬死を仕り。大切の身命を失ひ候は。無念の至り。口惜き次第にて。武士の不覺此上有るべからず候。此旨能々思量致し。朝思暮練の工夫あるべき事に候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
武士たる者は、常に古い記録を披見して、その身の覚悟を定めるのがもっともです。その訳は、世の人がもてはやす『甲陽軍鑑』『信長記』『太閤記』などという書物の中に、合戦の次第を記してあるにも、名誉の働きを遂げた者は「誰それ何某」とその姓名を顕し、そのほか討ち死に合計何千何百と記してあります。この何千何百という人数の中には、大身の士もいくらもいたはずですが、たいした働きもなかったので、その名を書き記すに及ばず、小身でも優れた武辺のある武士だけを選び抜いて、姓名を書き顕したものです。姓名も残らないほどの討ち死にをするのも、また末世末代まで誉れを残す討ち死にを遂げるのも、敵に首を渡すときの苦痛に変わりはない道理です。このことをよくよく考え、どうせ捨てる身命ならば、諸手に優れた働きをして討ち死にし、敵味方の耳目を驚かし、主君大将にも惜しまれ、子孫永々の面目にも備えようと心がけるのが、武士の本意です。ところが意地汚くて、駆けかかるときは人の後、退くときは人の先とばかり心を働かせ、あるいは敵城を攻めるときも、矢玉の激しい所では同輩を楯にして、その陰にかがみ居て、逃れられぬ運の矢に当たって倒れ伏し、あまつさえ味方の踏み草にまでなって、犬死にをし、大切な身命を失うのは、無念の至り、口惜しい次第で、武士の不覚、これ以上のものはありません。この旨をよくよく考え、朝思暮練の工夫をすべきことです。初心の武士の心得のために、以上のとおりである。
解説
この章句が説くこと
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人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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