武道初心集 / 廉耻
五六十年以前までは。諸浪人の身上をかせぎ候言葉に。乘替の壹疋も繋ぎ申す程に無之てはと申すは。知行五百石以上ならばと申義に候。責て瘦馬壹疋も繋ぎ申す樣にといふは。三百石ほどならばと。云ぬ計りの口上に候。錆鎗の壹本も持せ候樣にと申すは。百石にても。知行取といふ名に。望を懸たる言葉に候。其時代までは武士の古風殘り。我が口より何百石などゝ。員數を定めては申出間敷との。意地より出たる言葉に候。鷹は飢ても穗を啄ず。武士は喰ねど高楊枝など申すも。其時代の世話にて。年若き人は。勝手損德の話。物の直段などをば口にいはず。女色の話を聞ては。赤面する樣に候ひき。士たらむものは及ばぬまでも。古風の武士偏義を慕ひ學び度事にて候。たとひ鼻は曲りても。息さへ出ればよきといふ意地合に罷成候ては。是非に及ばず候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:五六十年以前までは。諸浪人の身上をかせぎ候言葉に。乗替の壱疋も繋ぎ申す程に無之てはと申すは。知行五百石以上ならばと申義に候。責て痩馬壱疋も繋ぎ申す様にといふは。三百石ほどならばと。云ぬ計りの口上に候。錆鎗の壱本も持せ候様にと申すは。百石にても。知行取といふ名に。望を懸たる言葉に候。其時代までは武士の古風残り。我が口より何百石などゝ。員数を定めては申出間敷との。意地より出たる言葉に候。鷹は飢ても穂を啄ず。武士は喰ねど高楊枝など申すも。其時代の世話にて。年若き人は。勝手損徳の話。物の直段などをば口にいはず。女色の話を聞ては。赤面する様に候ひき。士たらむものは及ばぬまでも。古風の武士偏義を慕ひ学び度事にて候。たとひ鼻は曲りても。息さへ出ればよきといふ意地合に罷成候ては。是非に及ばず候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
五六十年以前までは。諸浪人の身上をかせぎ候言葉に。乘替の壹疋も繋ぎ申す程に無之てはと申すは。知行五百石以上ならばと申義に候。責て瘦馬壹疋も繋ぎ申す樣にといふは。三百石ほどならばと。云ぬ計りの口上に候。錆鎗の壹本も持せ候樣にと申すは。百石にても。知行取といふ名に。望を懸たる言葉に候。其時代までは武士の古風殘り。我が口より何百石などゝ。員數を定めては申出間敷との。意地より出たる言葉に候。鷹は飢ても穗を啄ず。武士は喰ねど高楊枝など申すも。其時代の世話にて。年若き人は。勝手損德の話。物の直段などをば口にいはず。女色の話を聞ては。赤面する樣に候ひき。士たらむものは及ばぬまでも。古風の武士偏義を慕ひ學び度事にて候。たとひ鼻は曲りても。息さへ出ればよきといふ意地合に罷成候ては。是非に及ばず候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
五、六十年前までは、浪人たちが身の振り方を求めて言った言葉に、「乗り替え馬一匹も繋ぐほどでなくては」と言うのは、知行五百石以上ならば、という意味でした。「せめて痩せ馬一匹でも繋ぐほどに」と言うのは、三百石ほどならば、と言わないばかりの口上です。「錆び鎗一本も持たせるほどに」と言うのは、百石でも知行取りという名に望みをかけた言葉です。その時代までは武士の古風が残り、自分の口から「何百石」などと員数を定めて言い出すまいという意地から出た言葉でした。「鷹は飢えても穂を啄まず」「武士は食わねど高楊枝」などと言うのも、その時代の言い習わしで、年若い人は、暮らしの損得の話や物の値段などを口にせず、女色の話を聞けば赤面するものでした。士たる者は、及ばぬまでも、古風な武士の一徹な義(偏義)を慕い学びたいものです。「たとえ鼻は曲がっても息さえ出ればよい」という根性になってしまっては、仕方がありません。初心の武士の心得のために、以上のとおりである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』馬術(一)昔の武士の義は。弓馬と申候て大身小身共に弓を射馬に乘を以て。武藝の最上と仕りたる由に候。近代の武士の義は。太刀鎗扨は馬術を肝要と心掛て稽古仕り候。其外弓鐵炮居合和術など申す萬の武藝共。に年若き武士は。朝暮の勤と致し。習ひ學び尤に候。年ふけ候ては。何を習ひ度と存じ候ても。心に任せぬものにて候。偖小身の武士は。別して馬をよく乘習ひ。たとひ過もの。又は手を嫌ふ馬といふとも。是をあまさず乘こなし申樣にあり度事に候。子細を申すに。乘あひよくて馬形も宜敷馬は。世間に稀に候。たとひ有之候ても。大身武士の乘料となるを以て。小身武士の馬屋に繫ぐ事は成兼申候。其身馬術にさへ達し候へば。是はよき馬なれ共。過物とか。又は一癖有て。人の手を嫌ふ類の馬を見立て。馬代下直に買ひ求め。乘料と致す時は。いつとても身上に過たる馬を持て罷在候。總じて馬の毛色毛疵を吟味致すも。大身武士の事にて候。小身の武士は。我性に合ぬ毛色の馬をも厭はず。毛疵有て。人のいやがる馬をも嫌ふことなく。
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『武道初心集』儉畜(一)奉公仕る武士は。大身小身に限らず。常に儉約を用ゐて。隨分勝手をすり切不申分別尤に候。但し知行高を取武士の義は。たとひ一度勝手をすり切候ても。早く思案を致しかへて。爰をつめ彼所をちゞめ。諸事に氣を付て簡畧をさへ致候へば。程なく勝手を取直し申義も罷成候は。身上に餘計あるを以ての義に候。小身にて大身の眞似を致し。無用の義に物を入れ。勝手を仕損じ候ては。身上の餘計無之に付。萬事跡ひけになり。何程簡略致し候ても補ひ兼。後々は跡へも先へも行兼る。大すり切と罷成るは必定に候。人々勝手に成るぞ成らぬぞとは申すは內證の義にて。奉公を致す身には。傍輩一列の格合有之。止事を得ざる物入もなくては叶はず。左樣の刻み爲方なければ。種々の才覺手段に及び。云まじき事をもいひ。仕間敷事をも仕りて。生れも付ざる不律義もの。大はつ者の名取を仕るも。畢竟不勝手より起る過失に候。爰を以て前かたより其覺悟を定め。
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『武道初心集』交誼(一)武士たらむものゝ。頼母しき。意地有之と申すは。武道の正義に候。然りといへ共。譯もなく頼母しだてを致し。懸も搆はぬ所へもさし出、我が苦勞に成まじき事をも。荷なひ取持候をばさし出者共申し。又は物に懸りなどゝも沙汰仕り。大きに宜しからず候。是は少し搆ひてもと存ずる事なりとも。人が頼まぬ事ならば。かまわぬ程好事は無之候。子細を申すに。小事はいふに及ばず。たとひいか樣のむつかしき事たり共。武士の上に於て。既に頼むぞ頼まるゝぞと申すに至り候ては。我が身に引懸。苦勞に不仕しては不叶候。事の首尾によりては。主君親兄弟の爲にさへ。無差と捨ぬ一命をも。是非なく相果す儀も有まじきに非ず。爰を以て譯もなき頼母しだてを。無用とは申にて候。古き武士は。人に物を頼まれ候へば。成る筋。成らぬ筋を勘辨仕りて。成まじきと存ずる事をば。最初より請負不申。可成筋の義と存ずる義も。篤と思案致して後。其義を受負申に付。既に受負候ほどの義は相調ひ。首尾不合の義とては無之物にて候。去るに依て。人も埒明哉と申して。譽事にも仕るにて候。然るに其考なしに。人が物をさへ頼めば。心易く受負。首尾不合なれども。それを何共不存候時は。不埒者といふ名取を仕り候。扨又人に我が思ひ寄を申し。
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『武道初心集』奉公(一)奉公を勤る武士。我が頼み奉る主君。何ぞ大きなる御物入さし集ひて。御勝手向ひしと廻りかね。何共可被成樣無之に至りて。常々家中へ下し置るゝ知行切符の內を。いか程づゝ何が年が間。御借川に被成度などゝ有之義もなくては不叶候。其多少によらず。畏りて御請を申上るより初ては。他人の義は申すに及ばず。たとひ女房子供の寄合雜談の中に於ても。是は難義の至り。迷惑の仕合など。言葉の端にも申出すは。武士の本意に非ず候。子細を申すに。昔が今に至るまで。主君の御難義をば家來共が打寄て是を見屆け奉り。家來の難義をば。主君の御力を以て救ひ被下候は。是皆定れる武家の作法に候。頼み奉る主君の御內證御さし詰り。御手づかへ申すに至りては。公界へ懸り。是は大名役にて不被成しては叶はざる義までも。大形はさし止められ。萬事を御勘忍被成候を見奉るに付ては。御家來の身にて。氣の毒にも。口惜しくも存間敷樣とては無之候。但常式の義は成次第とも可申候。只明日にも天下の國端に於て。不慮の騷動有之刻。相定れる軍役を以て。近日彼地へ發向あられ候樣にとの上意下り。すはや其支度あるに及ても。先づ入用のものは金銀に候。然れば其才覺と有ても。何方よりも出所無之。石にて手を詰たると申す喩のごとくにて。跡へも先へも行乘る難義の內に。同刻の大名衆は。用意相調ひ。
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『武道初心集』義不義(三)恥入て。不義をなさず。義を行ひつけ候得ば。自然とそれが習と成て。後々は義に從ふことを好み。不義を行ふ事をいやに存ずる意地合に罷成候物に候。扱又武勇の道に於ても。生得の勇者と申は。戰塲に臨み。いか程矢鐵砲の劇しき塲所をも何とも思はず。忠と義との二つにはまる其身を的になして。進み行く心の勇氣は。形にも顯はるゝ故。其ふり合の美事さ。兎角申されざる物に候。或は扨も危なき事かな。これはいかゞ致して善からむと。胸も轟き。膝節も顫ふといへども。人も行るればこそ行中に。我獨り行ずしては。味方の諸人の見る目もあれば。後日に至りて口のきかれぬ所なりと。是非なく思ひ切。勇者と相ならびて進み行ものも有之。右に申す生得の勇者と並べては。遙に劣り候得共。幾度も左樣の首尾に出合て。塲を踏み重ね物馴候へば。後々は心も定まり。生得の勇者にもさして劣る事なき。譽れの剛の武士とも罷成候。然れば義を行ひ勇を勵むに付ても。兎角恥を知ると申より外に。心得とては無之候。よし人は不義ともいへ。大事なしと云て不義を行ひ。扨も腰ぬけかなと申て笑はゞ笑へ。大事なしと云て臆病をはたらく者には。何を申敎ゆべき樣も無之候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』臣職(二)殘し置れずしては叶はず候。去るに依て。常々はさして御入用も無之樣に候得共。大身小身へかけ。數多の士を抱へ置被成。家中多き中には不器量沙汰の限り。或は五體不具なる生れ付。又は心行不足に見ゆる者をも。大目に御覽被成て。父祖の知行を相違なく下し置るゝ事に候。然れば御家來の身にて勘辨致すべきは。日本國中國主城主多き中に。いかなる宿緣ありてか主從の約をなし。似合相應の祿を賜り。譬ば百石と申す少知にても。十年には千石の米高に罷成候を。先祖の代より其身の代まで幾十年ともなく。拜領致し來りたる俵子を積り候はゝ。凡如何程に可相成や。此君恩の深きに報謝し奉らんには。常々の番役供役使役などは。治世の只居り役と申物にて。世並人並の義なれば。押立たる奉公とは申難し。只明日にもすはといふ時。平塲の迫合ならば壹番鎗。敵城を攻るに於ては一番乘。もし味方利を失ひ引退く刻は殿。或は品に寄り敵の射る矢おもてに立塞りて。主君大將の御身代りにも罷立。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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