武道初心集 / 交誼一
武士たらむものゝ。頼母しき。意地有之と申すは。武道の正義に候。然りといへ共。譯もなく頼母しだてを致し。懸も搆はぬ所へもさし出、我が苦勞に成まじき事をも。荷なひ取持候をばさし出者共申し。又は物に懸りなどゝも沙汰仕り。大きに宜しからず候。是は少し搆ひてもと存ずる事なりとも。人が頼まぬ事ならば。かまわぬ程好事は無之候。子細を申すに。小事はいふに及ばず。たとひいか樣のむつかしき事たり共。武士の上に於て。既に頼むぞ頼まるゝぞと申すに至り候ては。我が身に引懸。苦勞に不仕しては不叶候。事の首尾によりては。主君親兄弟の爲にさへ。無差と捨ぬ一命をも。是非なく相果す儀も有まじきに非ず。爰を以て譯もなき頼母しだてを。無用とは申にて候。古き武士は。人に物を頼まれ候へば。成る筋。成らぬ筋を勘辨仕りて。成まじきと存ずる事をば。最初より請負不申。可成筋の義と存ずる義も。篤と思案致して後。其義を受負申に付。既に受負候ほどの義は相調ひ。首尾不合の義とては無之物にて候。去るに依て。人も埒明哉と申して。譽事にも仕るにて候。然るに其考なしに。人が物をさへ頼めば。心易く受負。首尾不合なれども。それを何共不存候時は。不埒者といふ名取を仕り候。扨又人に我が思ひ寄を申し。
新字:武士たらむものゝ。頼母しき。意地有之と申すは。武道の正義に候。然りといへ共。訳もなく頼母しだてを致し。懸も搆はぬ所へもさし出、我が苦労に成まじき事をも。荷なひ取持候をばさし出者共申し。又は物に懸りなどゝも沙汰仕り。大きに宜しからず候。是は少し搆ひてもと存ずる事なりとも。人が頼まぬ事ならば。かまわぬ程好事は無之候。子細を申すに。小事はいふに及ばず。たとひいか様のむつかしき事たり共。武士の上に於て。既に頼むぞ頼まるゝぞと申すに至り候ては。我が身に引懸。苦労に不仕しては不叶候。事の首尾によりては。主君親兄弟の為にさへ。無差と捨ぬ一命をも。是非なく相果す儀も有まじきに非ず。爰を以て訳もなき頼母しだてを。無用とは申にて候。古き武士は。人に物を頼まれ候へば。成る筋。成らぬ筋を勘弁仕りて。成まじきと存ずる事をば。最初より請負不申。可成筋の義と存ずる義も。篤と思案致して後。其義を受負申に付。既に受負候ほどの義は相調ひ。首尾不合の義とては無之物にて候。去るに依て。人も埒明哉と申して。誉事にも仕るにて候。然るに其考なしに。人が物をさへ頼めば。心易く受負。首尾不合なれども。それを何共不存候時は。不埒者といふ名取を仕り候。扨又人に我が思ひ寄を申し。
書き下し
武士たらむものゝ。頼母しき。意地有之と申すは。武道の正義に候。然りといへ共。譯もなく頼母しだてを致し。懸も搆はぬ所へもさし出、我が苦勞に成まじき事をも。荷なひ取持候をばさし出者共申し。又は物に懸りなどゝも沙汰仕り。大きに宜しからず候。是は少し搆ひてもと存ずる事なりとも。人が頼まぬ事ならば。かまわぬ程好事は無之候。子細を申すに。小事はいふに及ばず。たとひいか樣のむつかしき事たり共。武士の上に於て。既に頼むぞ頼まるゝぞと申すに至り候ては。我が身に引懸。苦勞に不仕しては不叶候。事の首尾によりては。主君親兄弟の爲にさへ。無差と捨ぬ一命をも。是非なく相果す儀も有まじきに非ず。爰を以て譯もなき頼母しだてを。無用とは申にて候。古き武士は。人に物を頼まれ候へば。成る筋。成らぬ筋を勘辨仕りて。成まじきと存ずる事をば。最初より請負不申。可成筋の義と存ずる義も。篤と思案致して後。其義を受負申に付。既に受負候ほどの義は相調ひ。首尾不合の義とては無之物にて候。去るに依て。人も埒明哉と申して。譽事にも仕るにて候。然るに其考なしに。人が物をさへ頼めば。心易く受負。首尾不合なれども。それを何共不存候時は。不埒者といふ名取を仕り候。扨又人に我が思ひ寄を申し。
現代語訳
武士たる者の頼もしい意地があるというのは、武道の正義です。とはいえ、わけもなく頼もしだてをし、かまわないはずのところにも差し出て、自分が苦労にならないはずのことまでも担い取り持つのを、「差し出者」と言い、または「物に懸かり」などと噂して、大いによくないことです。これは少し関わってもと思うことであっても、人が頼まないことならば、関わらないに越したことはありません。その訳は、小事は言うまでもなく、たとえどんなに難しいことでも、武士の身で、すでに頼む、頼まれたと言うに至ってしまえば、我が身に引き受けて苦労しなければならず、事の首尾によっては、主君・親・兄弟のためにさえむやみに捨てない一命を、やむなく果たす場合もないとは言えないからです。こういうわけで、わけもない頼もしだてを無用と申すのです。古い武士は、人に物を頼まれると、成る筋か成らぬ筋かを考え、成るまいと思うことは最初から請け負わず、成る筋だと思うことも、よく思案したのちに引き受けたので、請け負ったほどのことは整い、首尾が合わないことはなかったのです。そのため人も「埒が明く人だ」と言って、誉め事にもしたのです。ところが、その考えなしに、人が物を頼みさえすれば気安く請け負い、首尾が合わなくてもそれを何とも思わないときは、「不埒者」という名を取ります。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公十六年 孔張、位を失う二月、晉の韓起鄭に聘す。鄭伯之を享す。子產戒めて曰く、「苟くも朝に位有らば、共恪せざる有る無かれ」と。孔張後れて至り、客の間に立つ。執政之を禦ぐ。客の後に適く。又之を禦ぐ。縣の間に適く。客從ひて之を笑ふ。事畢はり、富子諫めて曰く、「夫れ大國の人は、慎まざる可からざるなり。幾ど之が笑ひと為りて、我を陵がざらんや。我皆禮有るも、夫れ猶ほ我を鄙しむ。國にして禮無くんば、何を以ってか榮を求めん。孔張位を失ふは、吾子の恥なり」と。子產怒りて曰く、「命を發するの衷ならず、令を出だすの信ならず、刑の頗類、獄の放紛、會朝の敬せず、使命の聽かれず、陵ぎを大國に取り、民を罷らせて功無く、罪及べども知らざるは、僑の恥なり。孔張は、君の昆孫、子孔の後なり、執政の嗣なり。嗣大夫と為り、命を承けて以って使ひし、諸侯に周し。國人の尊ぶ所、諸侯の知る所なり。朝に立ちて家に祀り、國に祿有り、軍に賦有り、喪祭に職有り、脤を受け賑を歸す。其の祭は廟に在り、已に著位有り。位に在ること數世、世々其の業を守る。而るに其の所を忘る。僑焉んぞ之を恥ぢんや。辟邪の人、而して皆執政に及ばば、是れ先王に刑罰無きなり。子寧ろ他を以って我を規せ。
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