武道初心集 / 馬術一
昔の武士の義は。弓馬と申候て大身小身共に弓を射馬に乘を以て。武藝の最上と仕りたる由に候。近代の武士の義は。太刀鎗扨は馬術を肝要と心掛て稽古仕り候。其外弓鐵炮居合和術など申す萬の武藝共。に年若き武士は。朝暮の勤と致し。習ひ學び尤に候。年ふけ候ては。何を習ひ度と存じ候ても。心に任せぬものにて候。偖小身の武士は。別して馬をよく乘習ひ。たとひ過もの。又は手を嫌ふ馬といふとも。是をあまさず乘こなし申樣にあり度事に候。子細を申すに。乘あひよくて馬形も宜敷馬は。世間に稀に候。たとひ有之候ても。大身武士の乘料となるを以て。小身武士の馬屋に繫ぐ事は成兼申候。其身馬術にさへ達し候へば。是はよき馬なれ共。過物とか。又は一癖有て。人の手を嫌ふ類の馬を見立て。馬代下直に買ひ求め。乘料と致す時は。いつとても身上に過たる馬を持て罷在候。總じて馬の毛色毛疵を吟味致すも。大身武士の事にて候。小身の武士は。我性に合ぬ毛色の馬をも厭はず。毛疵有て。人のいやがる馬をも嫌ふことなく。
新字:昔の武士の義は。弓馬と申候て大身小身共に弓を射馬に乗を以て。武芸の最上と仕りたる由に候。近代の武士の義は。太刀鎗扨は馬術を肝要と心掛て稽古仕り候。其外弓鉄炮居合和術など申す万の武芸共。に年若き武士は。朝暮の勤と致し。習ひ学び尤に候。年ふけ候ては。何を習ひ度と存じ候ても。心に任せぬものにて候。偖小身の武士は。別して馬をよく乗習ひ。たとひ過もの。又は手を嫌ふ馬といふとも。是をあまさず乗こなし申様にあり度事に候。子細を申すに。乗あひよくて馬形も宜敷馬は。世間に稀に候。たとひ有之候ても。大身武士の乗料となるを以て。小身武士の馬屋に繋ぐ事は成兼申候。其身馬術にさへ達し候へば。是はよき馬なれ共。過物とか。又は一癖有て。人の手を嫌ふ類の馬を見立て。馬代下直に買ひ求め。乗料と致す時は。いつとても身上に過たる馬を持て罷在候。総じて馬の毛色毛疵を吟味致すも。大身武士の事にて候。小身の武士は。我性に合ぬ毛色の馬をも厭はず。毛疵有て。人のいやがる馬をも嫌ふことなく。
書き下し
昔の武士の義は。弓馬と申候て大身小身共に弓を射馬に乘を以て。武藝の最上と仕りたる由に候。近代の武士の義は。太刀鎗扨は馬術を肝要と心掛て稽古仕り候。其外弓鐵炮居合和術など申す萬の武藝共。に年若き武士は。朝暮の勤と致し。習ひ學び尤に候。年ふけ候ては。何を習ひ度と存じ候ても。心に任せぬものにて候。偖小身の武士は。別して馬をよく乘習ひ。たとひ過もの。又は手を嫌ふ馬といふとも。是をあまさず乘こなし申樣にあり度事に候。子細を申すに。乘あひよくて馬形も宜敷馬は。世間に稀に候。たとひ有之候ても。大身武士の乘料となるを以て。小身武士の馬屋に繫ぐ事は成兼申候。其身馬術にさへ達し候へば。是はよき馬なれ共。過物とか。又は一癖有て。人の手を嫌ふ類の馬を見立て。馬代下直に買ひ求め。乘料と致す時は。いつとても身上に過たる馬を持て罷在候。總じて馬の毛色毛疵を吟味致すも。大身武士の事にて候。小身の武士は。我性に合ぬ毛色の馬をも厭はず。毛疵有て。人のいやがる馬をも嫌ふことなく。
現代語訳
昔の武士は、弓馬と言って、大身も小身も弓を射て馬に乗ることを、武芸の最上としていたそうです。近ごろの武士は、太刀・槍、さらに馬術を肝要と心がけて稽古しています。そのほか弓・鉄砲・居合・柔術など、さまざまな武芸を、特に年の若い武士は朝晩の務めとして習い学ぶのがよいのです。年をとってからは、何を習いたいと思っても、思うようにならないものです。さて、小身の武士は特に馬をよく乗り習い、たとえ手に余る馬や、人の手を嫌う馬であっても、乗りこなせるようにありたいものです。そのわけを申せば、乗り心地がよくて見栄えもよい馬は世間に稀で、たとえあっても大身の武士の乗用となり、小身の武士の馬屋につなぐことはできません。自分が馬術に達していれば、これはよい馬だが手に余る、または一癖あって人の手を嫌うといった類の馬を見立て、馬の代金を安く買い求めて乗用にすれば、いつでも身分以上の馬を持っていられます。総じて馬の毛色や毛疵を吟味するのも、大身の武士のすることです。小身の武士は、自分の性に合わない毛色の馬でも嫌わず、毛疵があって人のいやがる馬も嫌うことなく、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』馬術(三)尾をさゝせじとては尾筋を切り。生れもつかぬ片輪馬となして悅び候は。悉皆武士道不案內より起る物數奇に候。子細を申に。四足の筋をのべたる馬は山坂へ懸り。長途を乘。或は川を涉す時。早く草臥て用に立ず。尾筋をのべたる馬は。溝堀切などを乘越るに。定りて尻還はづれ。後脚の廣過たるは。細道を乘るに宜しからずと申傳へ候。且又武士の馬數奇にも。善惡の二つ有之候。昔の武士の馬數奇と申すは。具足を着し。指物をさし。身重く成ての懸引は。馬に非ずしては不叶候。然れば我兩足のかはりを勤る馬也。其上事の樣子により。馬も深手を負て。命を落す儀も有まじきに非ず。畜生ながら不便の至りと思ふを以て。常の飼料なではたけにも念を入れ。心を用ひたる事にて候。今時の馬數奇と申すは。癖馬を下直に買求めて。其癖を乘直し。或は田舍立の駒を見出して。足をのり付。望む者を待て。髙直段に賣拂ふを以て。本意と仕り候。是は伯樂中次の意地合なれば。一向馬數奇をせぬには劣りに候。初心の武士心得のため仍如件。
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『文武訓』武訓上一武士たる人は、武芸を知らずんばあるべからず。弓馬、刀剣、鎗長刀、鳥銃、拳法なども、其法をならはずしては、戦にのぞみて功をなしがたし。中について、弓馬を尤まなぶべし。弓馬の二は、ことさら学ばずしては、ちからつよしとても、妄に其術行はれず。他の武芸はよく習ひても、治世に生れては、一生の間一度も其わざ用に立たざることあり。弓馬は、治世にても日用のことなり。殊に馬は日々乗る物なれば、よく学ぶべし。
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『武道初心集』軍法戰法(一)武士たらむものは。假令小身たり共。然るべき武者師を撰びて。兵法の傳授を致し。軍法戰法の奧秘に至るまで。委細に覺悟仕り罷在べき事に候。小身武士の軍法だて。不相應に思はるゝなど。申す者も有之候へ共。それは大きなる不吟味と可申候。子細を申すに。古今國郡の守護と仰がれ。良將の名を得玉ふ人々の中には。微賤孤獨より起りて。大業を立玉へる方々。いか程も有之候。然れば今とても。小身より仕出て立身を遂。一方の將とも罷成事の有間敷に非ず候。其上兵學を學び候へば。元來賢き者は益賢くなり。少々鈍き生れ付の者も。左のみ鈍なる事を申さぬ程には罷成物にて候。然れば武士は必ず兵學を仕るべき事に候。然りといへ共。兵法の修行を惡く仕り損ひ候へば功者づき候程我が智に高ぶり。寄障る人を見こなし。實理にもあらぬ。
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『文武訓』武訓上一軍器三十六あり。弓を上首とす。武芸十八あり。射を第一とす。是、兵録に見えたり。中華の書なり。日本にても射を重んじて、武士を弓とりといふ。中華にて、武芸には騎射を重しとし、日本にても、弓馬を武芸の宗とす。太刀鎗の類は、其術知らざる人もみだりにたたかふ人多し。弓馬はならはざれば、かりにも弓を射馬に騎ることかなはず。しかれば武芸多き内にも、弓馬はことに知らずんばあるべからず。
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『秘本玉くしげ』下 織豊の軍に学ぶ此二つはいかにも弓の肝要にはあれども、実用はあながちこれらのみにも限るべからず。其外にも敵をうけたるとき、ふせぐにも攻るにもこれを用ひて利方おほからんやうを考ふべし。又馬を乗とても、ただ馬にばかりいかほどよく乗ても実用には益すくなし。ただ馬上にての働きを心がくべし。馬に乗ほどの人は、今の火消などの如く、ただ下知ばかりをしてすむものと思ひても大に違ふべし。軍書を見て、むかしの馬上の働きをしるべき也。すべて武術を稽古するには、何によらずみな此心がけ肝要たるべき也。武道軍術のためには、とかく軍談の書を常々見るがよき也。それも源平盛衰記、太平記などの類は、おもしろくはあれども、よほど時代ふるきゆゑに、近世とはもやうの違ひたる事多し。ただ足利の代の末つかたの戦のやうをよく考ふべし。殊に織田豊臣の御時代の軍は、古今にすぐれてたぐひなく功者なるもの也。大がい武士は、つねづねかの時代に在て、かの戦の中にまじり居る心持になりて、武道をば心がくべき事也。
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『武道初心集』文雅(一)武士道は。剛強の意地あるを第一と仕るは。勿論の義に候得共。片向に强さ計りにては。何とやらん農人上りの武士を見る樣にて不可然候。學問は勿論。其餘暇には。歌學。茶の湯など。少しづゝは相心得罷在度事にて候。先學問無之候ては。古今の道理を辨へ可申樣無之に付。其身何ほど世智賢くさし當り利發にても。事に臨み差支多きものに候。異國本朝の義を粗々覺悟いたし。時と所と位との三つをよく考へ合せて。其宜さに隨ひ。事を取計らひ候へば。物に致し毀ひと申義は。左のみ無之ものに候。爰を以て學問は勿論とは申にて候。但し心得惡しく候へば。大方は我慢になり。無學文盲なる者をば。目八分に見こなし。其上異國最負をいたし。何もかも唐流を善と心得。たとひ道理は善にもせよ。本朝の今時には。用ひ難さといふ勘辨もなく。片情を張りて物を申す樣なるは。散々の事に候。爰を分別致して學問尤に候。次に歌學の義は。和朝の風俗にして。古今の名將勇士の中に。歌道の達人も有之候。然れば小身の武士たりとも。歌道に立入。折にふれたる腰折の一首も。綴り候程にはあり度事に候。
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