武道初心集 / 義不義一
武士たらむものは。義不義の二つをとくと心に會得仕り。專ら義を務めて。不義を戒しむべきとさへ覺悟仕り候へば。武士道は相立申候。義不義と申は善惡の二つにして。義は即善。不義は即惡に候。凡そ人として善惡義不義の辨への無と申事は無之候得共。義を行ひ善に勸む事は。窮窟にして太儀に思はれ。不義を行ひ惡を爲す事は。面白く心安きを以て。ひたすら不義惡事の方へのみ流れて。義を行ひ善に勸む事は。いやに罷成事に候。其身一向のうつけものにて。善惡義不義の差別無之は論に及ばず候。既に不義惡事と了簡をば仕りながら。義理を違へて不義を行ひ候ば。武士の意地に非ず。近頃未練の至りに候。其本は物に堪忍情の薄さがゆゑとも可申候。堪忍情の薄さと申せば。聞よき樣に候得共。其根元を尋ね候へば。臆病よりおこる事に候。去るに依て。武士は常に不義を愼み。義に從ふを以て肝要とは申にて候。扱義を行ふに付て。三段の樣子有之候。譬へば我近付のものと同道して。他所へ行事あるに。其つれの者百兩の金子を所持致し。是を懷中いたしありくも苦勞に候間。後刻罷歸候まで。爰許に預け置度と申候に付。其金子を預り。人の不知樣に納め置て。其者とつれ立參りたる向に於て。件の連の者大食傷。
新字:武士たらむものは。義不義の二つをとくと心に会得仕り。専ら義を務めて。不義を戒しむべきとさへ覚悟仕り候へば。武士道は相立申候。義不義と申は善悪の二つにして。義は即善。不義は即悪に候。凡そ人として善悪義不義の弁への無と申事は無之候得共。義を行ひ善に勧む事は。窮窟にして太儀に思はれ。不義を行ひ悪を為す事は。面白く心安きを以て。ひたすら不義悪事の方へのみ流れて。義を行ひ善に勧む事は。いやに罷成事に候。其身一向のうつけものにて。善悪義不義の差別無之は論に及ばず候。既に不義悪事と了簡をば仕りながら。義理を違へて不義を行ひ候ば。武士の意地に非ず。近頃未練の至りに候。其本は物に堪忍情の薄さがゆゑとも可申候。堪忍情の薄さと申せば。聞よき様に候得共。其根元を尋ね候へば。臆病よりおこる事に候。去るに依て。武士は常に不義を慎み。義に従ふを以て肝要とは申にて候。扱義を行ふに付て。三段の様子有之候。譬へば我近付のものと同道して。他所へ行事あるに。其つれの者百両の金子を所持致し。是を懐中いたしありくも苦労に候間。後刻罷帰候まで。爰許に預け置度と申候に付。其金子を預り。人の不知様に納め置て。其者とつれ立参りたる向に於て。件の連の者大食傷。
書き下し
武士たらむものは。義不義の二つをとくと心に會得仕り。專ら義を務めて。不義を戒しむべきとさへ覺悟仕り候へば。武士道は相立申候。義不義と申は善惡の二つにして。義は即善。不義は即惡に候。凡そ人として善惡義不義の辨への無と申事は無之候得共。義を行ひ善に勸む事は。窮窟にして太儀に思はれ。不義を行ひ惡を爲す事は。面白く心安きを以て。ひたすら不義惡事の方へのみ流れて。義を行ひ善に勸む事は。いやに罷成事に候。其身一向のうつけものにて。善惡義不義の差別無之は論に及ばず候。既に不義惡事と了簡をば仕りながら。義理を違へて不義を行ひ候ば。武士の意地に非ず。近頃未練の至りに候。其本は物に堪忍情の薄さがゆゑとも可申候。堪忍情の薄さと申せば。聞よき樣に候得共。其根元を尋ね候へば。臆病よりおこる事に候。去るに依て。武士は常に不義を愼み。義に從ふを以て肝要とは申にて候。扱義を行ふに付て。三段の樣子有之候。譬へば我近付のものと同道して。他所へ行事あるに。其つれの者百兩の金子を所持致し。是を懷中いたしありくも苦勞に候間。後刻罷歸候まで。爰許に預け置度と申候に付。其金子を預り。人の不知樣に納め置て。其者とつれ立參りたる向に於て。件の連の者大食傷。
現代語訳
武士たる者は、義と不義の二つをしっかりと心に会得し、もっぱら義を務めて不義を戒めるとさえ覚悟すれば、武士道は成り立ちます。義不義というのは善悪の二つで、義はすなわち善、不義はすなわち悪です。そもそも人として、善悪や義不義のわきまえがないということはありませんが、義を行い善を勧めることは窮屈で大儀に思われ、不義を行い悪をなすことは面白く気楽なので、ひたすら不義悪事の方へばかり流れて、義を行い善を勧めることは嫌になるものです。その身がまったくのうつけ者で、善悪や義不義の区別がない者は論じるまでもありません。すでに不義悪事と分かっていながら、義理を違えて不義を行うのは、武士の意地ではなく、近ごろの未練の至りです。その本は、物に堪忍する情の薄さのためとも言えましょう。堪忍の情が薄いと言えば聞こえはよいのですが、その根元を尋ねれば、臆病から起こることです。そのため、武士は常に不義を慎み、義に従うことが肝要だと申すのです。さて、義を行うについて、三段の様子がございます。たとえば、親しい者と同道して他所へ行くことがあるとき、その連れの者が百両の金子を所持していて、これを懐中して歩くのも苦労なので、後刻帰るまでここに預けておきたいと言うので、その金子を預かり、人に知られないよう納めておいて、その者と連れ立って出かけた先で、件の連れの者が大食傷……(本文はここで途切れています)
解説
この章句が説くこと
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『格言聯璧』悖凶類・何を苦しみて必ず惡を為す使し惡を為して父母之を愛し、兄弟之を悅び、子孫之を榮とし、宗族鄉黨之を敬信せば、此の如くにして惡を為すは、可なり。 惡を為せば則ち父母之を怒り、兄弟之を怨み、子孫之を羞ぢ、宗族鄉黨之を賤しみ惡む、何を苦しみて必ず惡を為す。
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『格言聯璧』悖凶類・奢を以て福有りと為す奢を以て福有りと為し、殺を以て祿有りと為し、淫を以て緣有りと為し、詐を以て謀有りと為し、貪を以て為す有りと為し、吝を以て守る有りと為し、爭を以て氣有りと為し、嗔を以て威有りと為し、賭を以て技有りと為し、訟を以て才有りと為す。
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『幽夢影』巻下・善を爲し惡を爲すの四生教へを待たずして善を爲し惡を爲す者は、胎生なり。必ず教へを待ちて後に善を爲し惡を爲す者は、卵生なり。偶一事の感觸に因りて、突然として善を爲し惡を爲す者は、濕生なり。(周處・戴淵の過ちを改め、李懷光の反叛するの類の如し。)前後判として兩截の若きも、究に一日の故に非ざるは、化生なり。(唐の玄宗・衞の武公の類の如し。)
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『格言聯璧』悖凶類・鬼神も亦た陰かに之を相く善を為すの人は、獨り其の宗族親戚之を愛し、朋友鄉黨之を敬ふのみに非ず、鬼神と雖も亦た陰かに之を相く。 惡を為すの人は、獨り其の宗族親戚之に叛き、朋友鄉黨之を怨むのみに非ず、鬼神と雖も亦た陰かに之を殛す。
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『関聖帝君覚世真経』第四段・善悪両途、禍福攸に分かる神明鑒察して、毫髪も紊れず。善悪両途、禍福攸に分かる。善を行へば福報あり、悪を作せば禍臨む。我れ斯の語を作す、人の奉行せんことを願ふ。言は浅近なりと雖も、大いに身心に益あり。
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『初学訓』巻之五一尚書に、善をすれば、天より百の祥を降し、不善をすれば、百の禍を降し給ふといへり。又、善悪のむくい、影の形に随ひ、響の音に応ずるが如く、必ず其しるし有ることを、聖人説き給ふ。又、天道は善に福し、淫に禍すといへり。天より、善人には福をあたへ、悪人には禍し給ふなり。易にも、積善の家には、必ず余慶あり、積不善の家には必ず余殃ありといへり。久しく善をつめる家にはさいはひ多く、久しく悪をつめる家には禍多しといふ意なり。是、天道の常理なることを説き給ふ。是皆、聖人のをしへなれば、いつはり違あるべからず。必ず其しるしあり、疑ふべからず。又古語に、天道は好還といへり。天道は、善人に幸し悪人に禍し給ふ道理にて、善悪ともに、必ず其報を好み給ふを、かへすことを好むといへり。
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