武道便蒙録 / 卷之三・一君一夫に仕える者への思いやり
○臣事一君、婦事一夫と、定れる法なり、白樂天が語に、人生勿作婦人身、百年苦樂因他人といへり、豈それ婦人のみならんや、臣の君にをけるも又同じ、臣の一君を頼み、婦の一夫を頼みて、身を終るをおもふに、其心最もあはれむべし、○世間に子を養へるの後實子出來ぬれば、たちまちに心をひるがへして、養子にあらぬ難をつけて、もどす者あり、不仁の甚しき、言語に堪たり、若し養子して其者あしくば、天より我が家をほろぼし玉ふと思ひて、一生を終ふべし、又近世妻を娶ものを聞くに、或は容色すぐれざれば、事を左右によせて去り、或は妻を娶らざる前より、つかへる妾女がさがしらを信じて、妻を去のたぐひ、あげてかぞへがたし、他の愛子をこひうけ、はづかしめて、一生をすてしむるは、罪惡もつとも甚し、妻の父兄たるもの、七去の品ありて、去れるか、いなやを聞とゞけて、受取るべし、是又心得べきことなり、
新字:○臣事一君、婦事一夫と、定れる法なり、白楽天が語に、人生勿作婦人身、百年苦楽因他人といへり、豈それ婦人のみならんや、臣の君にをけるも又同じ、臣の一君を頼み、婦の一夫を頼みて、身を終るをおもふに、其心最もあはれむべし、○世間に子を養へるの後実子出来ぬれば、たちまちに心をひるがへして、養子にあらぬ難をつけて、もどす者あり、不仁の甚しき、言語に堪たり、若し養子して其者あしくば、天より我が家をほろぼし玉ふと思ひて、一生を終ふべし、又近世妻を娶ものを聞くに、或は容色すぐれざれば、事を左右によせて去り、或は妻を娶らざる前より、つかへる妾女がさがしらを信じて、妻を去のたぐひ、あげてかぞへがたし、他の愛子をこひうけ、はづかしめて、一生をすてしむるは、罪悪もつとも甚し、妻の父兄たるもの、七去の品ありて、去れるか、いなやを聞とゞけて、受取るべし、是又心得べきことなり、
書き下し
○臣事一君、婦事一夫と、定れる法なり、白樂天が語に、人生勿作婦人身、百年苦樂因他人といへり、豈それ婦人のみならんや、臣の君にをけるも又同じ、臣の一君を頼み、婦の一夫を頼みて、身を終るをおもふに、其心最もあはれむべし、○世間に子を養へるの後實子出來ぬれば、たちまちに心をひるがへして、養子にあらぬ難をつけて、もどす者あり、不仁の甚しき、言語に堪たり、若し養子して其者あしくば、天より我が家をほろぼし玉ふと思ひて、一生を終ふべし、又近世妻を娶ものを聞くに、或は容色すぐれざれば、事を左右によせて去り、或は妻を娶らざる前より、つかへる妾女がさがしらを信じて、妻を去のたぐひ、あげてかぞへがたし、他の愛子をこひうけ、はづかしめて、一生をすてしむるは、罪惡もつとも甚し、妻の父兄たるもの、七去の品ありて、去れるか、いなやを聞とゞけて、受取るべし、是又心得べきことなり、
現代語訳
「臣は一君に仕え、婦は一夫に仕える」と定められた法です。白楽天の語に「人生、婦人の身となること勿かれ、百年の苦楽は他人による」とあります。これは婦人だけのことでしょうか。臣が君に対するのも同じです。臣が一君を頼み、婦が一夫を頼んで、身を終えることを思うと、その心はたいそう哀れむべきものです。○世間で子を養った後に実子が生まれると、たちまち心をひるがえして、養子の落ち度でもない非難をつけて戻す者がいます。不仁の甚だしさは、言葉にできません。もし養子にした者が悪ければ、天が自分の家を滅ぼしなさるのだと思って一生を終えるべきです。また近ごろ妻を娶る者を聞くと、容姿が優れないといって事を左右によせて去らせたり、妻を娶る前から仕えている妾女の讒言を信じて妻を去らせたりする類は、数えあげられません。他人の愛する子を乞い受け、辱めて一生を捨てさせるのは、罪悪がもっとも甚だしいことです。妻の父兄である者は、七去の事情があって去らせたのかどうかを聞き届けて受け取るべきです。これも心得るべきことです。
解説

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