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武道便蒙録 / 卷之三・愛馬の送葬と新参の心得と目前の危うさ

○源義經の郞等、佐藤繼信が能登守敎經の箭にあたりて死しける時、義經愛馬を送葬に、ひかせられしかば、士これを見て、此君の爲に命を捨んと、風塵よりも輕しと思へり、一疋の馬を以て、萬卒の心をなびかせり、末世の將たる人、士をつかふに、此心あるべし、○俗の諺に、いつも新參といふことあり、王渙之曰、仕官常以其不遇處之、則無事也と、右の諺にひとし、君につかふるものは、つねに新參の如くに思ひて、たとへ遇するとも、不遇のこゝろを以て、身をつゝしまば、生涯まつたかるべし、なれてこゝろやすく思ふより、はからざるあやまち出來るなり、○詩曰、不敢暴虎、不敢馮河、人知其一、莫知其他、この詩の意は、虎を暴にするときは、却て虎に害せられんことを畏れて、いさんでせず、河水の廣さを徒にてわたる時は、溺れ沈んことを畏れて、すゝんでわたらず、これは目前に見へたることなるゆへ危みて愼でせず、人たゞ目前の近く見へたる危きことの一つばかりを知て、その外の今日目に見へぬ國の大事に及ことの、出來るを愼むことを知ることなしと也、

新字:○源義経の郎等、佐藤継信が能登守教経の箭にあたりて死しける時、義経愛馬を送葬に、ひかせられしかば、士これを見て、此君の為に命を捨んと、風塵よりも軽しと思へり、一疋の馬を以て、万卒の心をなびかせり、末世の将たる人、士をつかふに、此心あるべし、○俗の諺に、いつも新参といふことあり、王渙之曰、仕官常以其不遇処之、則無事也と、右の諺にひとし、君につかふるものは、つねに新参の如くに思ひて、たとへ遇するとも、不遇のこゝろを以て、身をつゝしまば、生涯まつたかるべし、なれてこゝろやすく思ふより、はからざるあやまち出来るなり、○詩曰、不敢暴虎、不敢馮河、人知其一、莫知其他、この詩の意は、虎を暴にするときは、却て虎に害せられんことを畏れて、いさんでせず、河水の広さを徒にてわたる時は、溺れ沈んことを畏れて、すゝんでわたらず、これは目前に見へたることなるゆへ危みて慎でせず、人たゞ目前の近く見へたる危きことの一つばかりを知て、その外の今日目に見へぬ国の大事に及ことの、出来るを慎むことを知ることなしと也、

書き下し

○源義經の郞等、佐藤繼信が能登守敎經の箭にあたりて死しける時、義經愛馬を送葬に、ひかせられしかば、士これを見て、此君の爲に命を捨んと、風塵よりも輕しと思へり、一疋の馬を以て、萬卒の心をなびかせり、末世の將たる人、士をつかふに、此心あるべし、○俗の諺に、いつも新參といふことあり、王渙之曰、仕官常以其不遇處之、則無事也と、右の諺にひとし、君につかふるものは、つねに新參の如くに思ひて、たとへ遇するとも、不遇のこゝろを以て、身をつゝしまば、生涯まつたかるべし、なれてこゝろやすく思ふより、はからざるあやまち出來るなり、○詩曰、不敢暴虎、不敢馮河、人知其一、莫知其他、この詩の意は、虎を暴にするときは、却て虎に害せられんことを畏れて、いさんでせず、河水の廣さを徒にてわたる時は、溺れ沈んことを畏れて、すゝんでわたらず、これは目前に見へたることなるゆへ危みて愼でせず、人たゞ目前の近く見へたる危きことの一つばかりを知て、その外の今日目に見へぬ國の大事に及ことの、出來るを愼むことを知ることなしと也、

現代語訳

源義経の郎等、佐藤継信が能登守教経の矢に当たって死んだとき、義経は愛馬を葬送に引かせました。士たちはこれを見て、この君のために命を捨てることは塵よりも軽いと思いました。一頭の馬で万卒の心をなびかせたのです。末世の将たる人が士を使うときは、この心があるべきです。○世間の諺に、いつも新参ということがあります。王渙之は「仕官は常に不遇の身として処すれば、事なく過ごせる」と言いました。右の諺と同じです。君に仕える者は常に新参のように思い、たとえ厚遇されても不遇の心で身を慎めば、生涯を全うできるでしょう。慣れて気安く思うことから、思いがけない過ちが出てくるのです。○詩経に言います。「敢えて虎を素手で打たず、敢えて河を徒歩で渡らず。人はその一つを知っても、その他を知らない」。この詩の意味は、虎を素手で打つと、かえって虎に害されることを恐れて、勇んでしません。河の広さを徒歩で渡れば、溺れ沈むことを恐れて、進んで渡りません。これは目の前に見えていることなので、危ぶんで慎みます。人はただ目の前の近くに見える危うさの一つだけを知って、そのほかの、今日は目に見えない国の大事に及ぶことが起こるのを慎むことを知らない、ということです。

解説

義経が討死した継信の供養に愛馬を差し出した逸話は、上に立つ者の心遣いが、金銭以上に人の心を動かすことを示しています。後半は、慣れた立場ほどいつも新参の心で慎むこと、目前の危険だけでなく見えにくい大事に備えることを説きます。管理職は、ベテランになるほど気安さや慢心から思わぬ失敗をします。部下の功績や苦労に礼を尽くし、慣れた業務でも基本を疎かにしない姿勢が、チームの信頼と継続的な成果を支えます。
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この章句が説くこと

『武道便蒙録』須賀井正秀義経新参慎み詩経

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