武道便蒙録 / 卷之二・家に欠かせぬ三臣と、英雄を求め続ける心
政道を正し、國を治、私なく、遠きをもんぱかり有て、知辨謀略ある臣下の事、第三に、武道正義の臣下の事、武士道、正義の理に達し、城を取り、陣をしき、備を立、事理ともに相とゝのふる臣下の事、此の三臣は、家になくて不叶ことなり、三略曰、治國安家得人也、亡國破家失人也、とあり、人は英雄なり、賢智才德ある人に國家の事をうちまかせて、道義を本とし仁義を行ふとき、國もよく治り、家も安く寧し、國は天下に通じ、家は諸家萬民に通じて廣く見ることなり、凡そ賢哲の人を得て國を保ち、賢人を失て敗亡するの證據は、あげて云ふに不及、又曰、夫れ主將法、務擥英雄之心とあり、言は、主は主君、將は大將なり、主人たるものゝ、法はと云こと也、務とは晝夜をこたらぬこと也、英雄とは、千人の英、萬人の雄とて、千人萬人にすぐれたる人を云ふなり、君たる人大將たる人の職分は、たへず怠らず、賢人哲人の人に、すぐれたる者の、心の思ひつくやうに、せよとなり、英雄の字義は、戰國策の註に、才出萬人曰英、丹松錄云、草之精秀者爲英、獸之特群者爲雄、故人之文武茂異、取名于此、是故聰明秀出、謂之英、膽力過人、謂之雄、此其大躰之名也、爾雅註疏に云、德過千人曰英、禮記註疏に雄武稱也、獸之特群爲雄、
新字:政道を正し、国を治、私なく、遠きをもんぱかり有て、知弁謀略ある臣下の事、第三に、武道正義の臣下の事、武士道、正義の理に達し、城を取り、陣をしき、備を立、事理ともに相とゝのふる臣下の事、此の三臣は、家になくて不叶ことなり、三略曰、治国安家得人也、亡国破家失人也、とあり、人は英雄なり、賢智才徳ある人に国家の事をうちまかせて、道義を本とし仁義を行ふとき、国もよく治り、家も安く寧し、国は天下に通じ、家は諸家万民に通じて広く見ることなり、凡そ賢哲の人を得て国を保ち、賢人を失て敗亡するの証拠は、あげて云ふに不及、又曰、夫れ主将法、務擥英雄之心とあり、言は、主は主君、将は大将なり、主人たるものゝ、法はと云こと也、務とは昼夜をこたらぬこと也、英雄とは、千人の英、万人の雄とて、千人万人にすぐれたる人を云ふなり、君たる人大将たる人の職分は、たへず怠らず、賢人哲人の人に、すぐれたる者の、心の思ひつくやうに、せよとなり、英雄の字義は、戦国策の註に、才出万人曰英、丹松録云、草之精秀者為英、獣之特群者為雄、故人之文武茂異、取名于此、是故聰明秀出、謂之英、胆力過人、謂之雄、此其大体之名也、爾雅註疏に云、徳過千人曰英、礼記註疏に雄武称也、獣之特群為雄、
書き下し
政道を正し、國を治、私なく、遠きをもんぱかり有て、知辨謀略ある臣下の事、第三に、武道正義の臣下の事、武士道、正義の理に達し、城を取り、陣をしき、備を立、事理ともに相とゝのふる臣下の事、此の三臣は、家になくて不叶ことなり、三略曰、治國安家得人也、亡國破家失人也、とあり、人は英雄なり、賢智才德ある人に國家の事をうちまかせて、道義を本とし仁義を行ふとき、國もよく治り、家も安く寧し、國は天下に通じ、家は諸家萬民に通じて廣く見ることなり、凡そ賢哲の人を得て國を保ち、賢人を失て敗亡するの證據は、あげて云ふに不及、又曰、夫れ主將法、務擥英雄之心とあり、言は、主は主君、將は大將なり、主人たるものゝ、法はと云こと也、務とは晝夜をこたらぬこと也、英雄とは、千人の英、萬人の雄とて、千人萬人にすぐれたる人を云ふなり、君たる人大將たる人の職分は、たへず怠らず、賢人哲人の人に、すぐれたる者の、心の思ひつくやうに、せよとなり、英雄の字義は、戰國策の註に、才出萬人曰英、丹松錄云、草之精秀者爲英、獸之特群者爲雄、故人之文武茂異、取名于此、是故聰明秀出、謂之英、膽力過人、謂之雄、此其大躰之名也、爾雅註疏に云、德過千人曰英、禮記註疏に雄武稱也、獸之特群爲雄、
現代語訳
政道を正し、国を治め、私がなく、遠くを慮りがあり、知弁謀略のある臣下の事。第三に、武道正義の臣下の事。武士道・正義の理に達し、城を取り、陣を敷き、備えを立て、事と理がともに整った臣下の事。この三臣は、家になくては叶わないことです。『三略』にいいます。「国を治め家を安んずるのは人を得るからである。国を亡ぼし家を破るのは人を失うからである」。人とは英雄です。賢智・才徳のある人に国家の事を任せ、道義を本として仁義を行うとき、国もよく治まり、家も安らかになります。国は天下に通じ、家は諸家・万民に通じて広く見ることです。およそ賢哲の人を得て国を保ち、賢人を失って敗れ亡びた証拠は、挙げて言うに及びません。また『三略』にいいます。「そもそも主将の法は、務めて英雄の心を擥ることである」。言うところは、主は主君、将は大将です。主人たるものの法は、ということです。務とは昼夜怠らないことです。英雄とは、千人の英、万人の雄といって、千人・万人にすぐれた人をいいます。君たる人、大将たる人の職分は、絶えず怠らず、賢人哲人の、人にすぐれた者の心が思いつくように、せよということです。英雄の字義は、『戦国策』の注に、「才が万人に出ずるを英という」とあります。『丹鉛録』にいいます。「草の精秀なるを英とし、獣の群を特に抜くを雄とする。ゆえに人の文武が茂り異なるものは、名をここに取る。このゆえに聡明が秀で出たものを英といい、胆力が人に過ぎたものを雄という。これがその大体の名である」。『爾雅』の注疏にいいます。「徳が千人に過ぎるを英という」。『礼記』の注疏に、「雄は武の称である。獣の群を特に抜くものを雄とする。
解説

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