武道便蒙録 / 卷之一・今日を一大事と心得て、苦い良薬を選ぶ
○新甫先生、常に諸生を戒る語に、此時今年今月今日と云、時にあふと云事はふたゝびならぬ事也、然れば、今日の天地、今日の日月、今日の君長、父母、夫婦、兄弟、師弟、親戚、朋友、は一日の賓客と心得て大節に相待すべし、明日の命は誰か知らん、たとひ百年の長命を得て、末々忠孝を盡す日在りと云とも、其以前何の年號、何の月日に、不忠、不孝、不仁、不義、の事ありしを思ひ出ては、口をしくも、面目なくもあらん、唯一日を一大事の、修行と心がくべし、古人も時を偸むの損は財を偸るゝよりも甚し、財は再びつむことありとも、時はふたゝび得べからずといへり、官務のいとまあらんには、寸陰をおしみて、書を讀、藝を講ずべし、若し今日はかゝるさはりあり、明日よりなどゝ思ふ心出ば、大敵內におこると知て、自いましめこらすべし、朱文公、勸學文曰、勿謂今日不學而有來日、勿謂今年不學而有來年、日月逝矣、歲不我延、嗚呼老矣、是誰之愆、○人はたゞ、勉て己れが、いやなることをなして、心よき事を好むべからず、書を讀み、義理をきはむるは、快ざれども、良藥の口に苦くして、病を治するが如し、色にすさみ、味にふけるは、快れども、鴆毒の口に甘くして、身をほろぼすが如し、世俗は唯々富貴にならんことのみを願ふ、家富位貴は、もとより天にあれば求がたし、書を讀、身に行ふは、人にあれば、もとめ安し、求めがたきことに、身をくるしめんより、もとめやすきことに、心を樂しむべし、
新字:○新甫先生、常に諸生を戒る語に、此時今年今月今日と云、時にあふと云事はふたゝびならぬ事也、然れば、今日の天地、今日の日月、今日の君長、父母、夫婦、兄弟、師弟、親戚、朋友、は一日の賓客と心得て大節に相待すべし、明日の命は誰か知らん、たとひ百年の長命を得て、末々忠孝を尽す日在りと云とも、其以前何の年号、何の月日に、不忠、不孝、不仁、不義、の事ありしを思ひ出ては、口をしくも、面目なくもあらん、唯一日を一大事の、修行と心がくべし、古人も時を偸むの損は財を偸るゝよりも甚し、財は再びつむことありとも、時はふたゝび得べからずといへり、官務のいとまあらんには、寸陰をおしみて、書を読、芸を講ずべし、若し今日はかゝるさはりあり、明日よりなどゝ思ふ心出ば、大敵内におこると知て、自いましめこらすべし、朱文公、勧学文曰、勿謂今日不学而有来日、勿謂今年不学而有来年、日月逝矣、歳不我延、嗚呼老矣、是誰之愆、○人はたゞ、勉て己れが、いやなることをなして、心よき事を好むべからず、書を読み、義理をきはむるは、快ざれども、良薬の口に苦くして、病を治するが如し、色にすさみ、味にふけるは、快れども、鴆毒の口に甘くして、身をほろぼすが如し、世俗は唯々富貴にならんことのみを願ふ、家富位貴は、もとより天にあれば求がたし、書を読、身に行ふは、人にあれば、もとめ安し、求めがたきことに、身をくるしめんより、もとめやすきことに、心を楽しむべし、
書き下し
○新甫先生、常に諸生を戒る語に、此時今年今月今日と云、時にあふと云事はふたゝびならぬ事也、然れば、今日の天地、今日の日月、今日の君長、父母、夫婦、兄弟、師弟、親戚、朋友、は一日の賓客と心得て大節に相待すべし、明日の命は誰か知らん、たとひ百年の長命を得て、末々忠孝を盡す日在りと云とも、其以前何の年號、何の月日に、不忠、不孝、不仁、不義、の事ありしを思ひ出ては、口をしくも、面目なくもあらん、唯一日を一大事の、修行と心がくべし、古人も時を偸むの損は財を偸るゝよりも甚し、財は再びつむことありとも、時はふたゝび得べからずといへり、官務のいとまあらんには、寸陰をおしみて、書を讀、藝を講ずべし、若し今日はかゝるさはりあり、明日よりなどゝ思ふ心出ば、大敵內におこると知て、自いましめこらすべし、朱文公、勸學文曰、勿謂今日不學而有來日、勿謂今年不學而有來年、日月逝矣、歲不我延、嗚呼老矣、是誰之愆、○人はたゞ、勉て己れが、いやなることをなして、心よき事を好むべからず、書を讀み、義理をきはむるは、快ざれども、良藥の口に苦くして、病を治するが如し、色にすさみ、味にふけるは、快れども、鴆毒の口に甘くして、身をほろぼすが如し、世俗は唯々富貴にならんことのみを願ふ、家富位貴は、もとより天にあれば求がたし、書を讀、身に行ふは、人にあれば、もとめ安し、求めがたきことに、身をくるしめんより、もとめやすきことに、心を樂しむべし、
現代語訳
新甫先生が常に学生を戒める言葉に、「この時、今年今月今日」というものがあります。時に会うということは二度とないことです。そうであれば、今日の天地、今日の日月、今日の君長、父母、夫婦、兄弟、師弟、親戚、朋友は、一日の賓客と心得て、大切にもてなすべきです。明日の命は誰が知っているでしょう。たとえ百年の長命を得て、末々に忠孝を尽くす日があるとしても、それ以前のどの年号のどの月日に、不忠・不孝・不仁・不義のことがあったかを思い出せば、悔しくも、面目なくもあるでしょう。ただ一日を一大事の修行と心がけるべきです。古人も「時を盗む損は財を盗まれるよりも甚だしい。財は再び積むことができても、時は再び得られない」と言っています。官務の暇があれば、寸陰を惜しんで書を読み、芸を講じるべきです。もし「今日はこういう差し支えがある、明日から」などと思う心が出たら、大敵が内に起こったと知って、自ら戒め懲らしなさい。朱文公(朱熹)の勧学文に「今日学ばなくても来る日があると言ってはならない。今年学ばなくても来年があると言ってはならない。日月は過ぎ去り、年は私のために延びてはくれない。ああ、老いたり。これは誰の咎か」とあります。○人はただ、努めて自分が嫌なことをなし、心地よいことを好んではなりません。書を読み義理を究めることは快くありませんが、良薬は口に苦くて病を治すようなものです。色におぼれ、味にふけることは快いですが、鴆毒が口に甘くて身を滅ぼすようなものです。世俗はただ富貴になることだけを願います。家が富み位が貴いのは、もとより天にあるので求めがたいものです。書を読み、身に行うのは、人にあるので求めやすいものです。求めがたいことに身を苦しめるより、求めやすいことに心を楽しませるべきです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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