武学啓蒙 / 論・気の進まぬ事を先に、楽な誘いは慎む
○大抵、世間なみの生質を、云ときは、己が、いやなることは、つとめて、是をなすに、德あるもの多し、己が、とりつきよきやうなることは、まづ、ひかへめにして、あとさきを、愼むべし、譬ば、書をよみ、藝を講が如きより、志ふかき人に、出會、かしこき人に、從ふは、何とやらん、むつかしく、おもしろからざる、やうなれども、良藥の、口に苦くして、病を治す、功あるが如し、又色にふけり、味に會し、きずい、きまゝの遊戲は、もちろん、奸佞邪道の交り、いづれ其坐は、何とやら、おもしろく、心よきやうなれども、毒酒、口に旨くして、身を亡す、ためし多し、いつまでも、少く壯なるべきにも、あらず、時は、再び、得がたし、官務のいとまあらば、すこしの、あいだをも、よく惜しみ、それ〱の道を、ならひ、身を立、親先祖の、名をも、あらわすやうに、すべし、もし、今日は、まだ我心すゝまず、明日よりなど、思ふ、きざし、あらば、すはや、大敵、内に起りたりと、心得、ふかく是をふせぐべし、ゆだんせば、必、とりかへしがたきことありと知べし、
新字:○大抵、世間なみの生質を、云ときは、己が、いやなることは、つとめて、是をなすに、徳あるもの多し、己が、とりつきよきやうなることは、まづ、ひかへめにして、あとさきを、慎むべし、譬ば、書をよみ、芸を講が如きより、志ふかき人に、出会、かしこき人に、従ふは、何とやらん、むつかしく、おもしろからざる、やうなれども、良薬の、口に苦くして、病を治す、功あるが如し、又色にふけり、味に会し、きずい、きまゝの遊戯は、もちろん、奸佞邪道の交り、いづれ其坐は、何とやら、おもしろく、心よきやうなれども、毒酒、口に旨くして、身を亡す、ためし多し、いつまでも、少く壮なるべきにも、あらず、時は、再び、得がたし、官務のいとまあらば、すこしの、あいだをも、よく惜しみ、それ〱の道を、ならひ、身を立、親先祖の、名をも、あらわすやうに、すべし、もし、今日は、まだ我心すゝまず、明日よりなど、思ふ、きざし、あらば、すはや、大敵、内に起りたりと、心得、ふかく是をふせぐべし、ゆだんせば、必、とりかへしがたきことありと知べし、
書き下し
○大抵、世間なみの生質を、云ときは、己が、いやなることは、つとめて、是をなすに、德あるもの多し、己が、とりつきよきやうなることは、まづ、ひかへめにして、あとさきを、愼むべし、譬ば、書をよみ、藝を講が如きより、志ふかき人に、出會、かしこき人に、從ふは、何とやらん、むつかしく、おもしろからざる、やうなれども、良藥の、口に苦くして、病を治す、功あるが如し、又色にふけり、味に會し、きずい、きまゝの遊戲は、もちろん、奸佞邪道の交り、いづれ其坐は、何とやら、おもしろく、心よきやうなれども、毒酒、口に旨くして、身を亡す、ためし多し、いつまでも、少く壯なるべきにも、あらず、時は、再び、得がたし、官務のいとまあらば、すこしの、あいだをも、よく惜しみ、それ〱の道を、ならひ、身を立、親先祖の、名をも、あらわすやうに、すべし、もし、今日は、まだ我心すゝまず、明日よりなど、思ふ、きざし、あらば、すはや、大敵、内に起りたりと、心得、ふかく是をふせぐべし、ゆだんせば、必、とりかへしがたきことありと知べし、
現代語訳
だいたい世間並みの生まれつきについて言えば、自分が嫌なことでも努めてそれを行うところに徳のある者が多いものです。自分がとりつきやすいようなことは、まず控えめにして前後を慎むべきです。たとえば、書を読み、芸を講じることから、志の深い人に出会い、賢い人に従うことは、何となく面倒でおもしろくないようですが、良薬が口に苦くても病を治す効があるようなものです。また、色にふけり、味(美食)を楽しみ、気ままな遊びは言うまでもなく、よこしまで媚びへつらう道の交わりは、その座は何となくおもしろく心地よいようですが、毒酒が口に旨くて身を滅ぼした例は多いのです。いつまでも若く壮健でいられるわけではなく、時は再び得がたいものです。官務の暇があれば、少しの間をもよく惜しみ、それぞれの道を習い、身を立て、親・先祖の名をも顕すようにすべきです。もし「今日はまだ我が心が進まない、明日から」などと思う兆しがあれば、「さあ、大敵が内に起こった」と心得て、深くこれを防ぐべきです。油断すれば、必ず取り返しのつかないことがあると知るべきです。
解説

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『武学啓蒙』・論・寸陰を惜しみ、大敵は内に起こる按ずるに、書の大甲に、言の汝の心に逆ふあらば、必これ道ならんと、ぎんみすべし、言の汝の心に、あふあらば、必これ道にあらざるかと、ぎんみすべしと、上古の聖賢、すでに、かくの如し、今の人、なみ〱ならずとも、心得べきことなるべし、又晉の陶侃の言に、大禹は、聖人なれども、常に寸陰を惜みたり、今の衆人の如きは、まさに一分の陰をも、ゆだん、すべからず、あに、逸遊荒醉して、生て、何一つも、時に益なく、死して、朽木の、かれたるやうに、名もなく、やむべきことならんやと、又陶淵明も、時の再び、得がたく、此一日は一生に、只一日なることを、のべたり、宋の朱文公、勸學文にも、今日、學ばずして、來日、ありと云ことなかれ、今年、學ばずして、來年ありと云ことなかれ、日月は逝矣、歲□、我を、まちあわす、ものならず、とやかく、云うちに、はや老となる、是、はたして、何ものゝ、ぶちやうほうと、いふべきと、本條よく、云得たり、されば、我も、人も、少壯の時、多くは、ゆだんし、齒ぬけ、眼くらく、てあし、ふじゆうになり、氣力衰へて、今更、大に驚駭し、親います時は、じやまなりと思ひ、歿後、始めて、びつくりし、明師ある日は、等閑にし、學ばず、其人、みへざるに、あたり、東西と、せんぎし、婦女に溺れ、大酒に耽り、過を、引だして、後悔するは、益なし、大敵、内に起ると、用心するわけ、是がためなるべし、論語に、遠き慮なきは、近き患ありと、たれも、知ること、なれども、とかく、大敵に、おそわるゝ、ゆだん、ありやすし、
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『和俗男子訓』・巻一・苦い良薬と時を惜しむ心一人はたゞつとめて、己がいやなることをなして、心よきことを好むべからず、書を讀み理をきはむるは、快ざれども、良藥の口ににがくして、疾を治するがごとし、色にすさみ味にふけるは、快けれども、鴆毒の口にあまくして、身をほろぼすがごとし、古き歌に「ちはやふる神の見るめもいかならん身を思ふとて身をやすつべき」とよめり、(此歌趣意異なれども、下の句をとれり、なぞらへ見るべし、)一古人も、時を偸むの損は、財を偸るゝよりもはなはだし、財は、ふたたびつむことあらとも、時はふたゝび得べからずといへり、官務のいとまあらんには、寸陰をおしみて、書を讀藝を講ずべし、若今日は、かゝるさはりあり、明日よりなど思ふこゝろ出來ば、大敵內におこると知て、みづからいましめこらすべし、一俗間書をよめば、病身になり、異風になるといふもの多し、是一偏の論なり、尤も書を讀ものゝ中にも、病者になり、異風になるも有べし、是書の害にはあらずして、人の罪なり、たま〱かゝるたぐひありとて、すべて書を讀むとを忌は、たとへば、飲食して饐死せる者ありとて、天下の食を禁じ、船に乘て死せしものありとて、天下の船を禁ずるがごとし、愚にあらざれば惑へり、
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『武学啓蒙』・論・常の心がけと不意への備え○凡そ、士たるものは、軍學は、もちろん、何ごとも、今、入用なしとて、打棄べからず、萬一かゝることも、あらばなど、夏の葛衣一つにて、足ぬれど、冬の綿續の、用心ある如く、思慮を、めぐらし、かね〱不意を防ぐ心あるべし、もし、わきまへがたきことあらば、師にも質し、同志朋友にも、相談して、是を、せんさくすべし、是皆、おくれをとらざらんとの、わけなり、世の中は、禍福ともに、思ひがけなき、寢耳に、水の入たるやうのことなしとも、云がたし、とかく、常の心がけにて、一人千騎に、あたるはたらきもあり、又一生の恪勤も、一度に滅却するもあり、さてこそ、其心の用ひやうは、人々、知ることなれども、まづ朝夕閑暇なる時も、なんどき君の命召あらんもと、省み、夜行は、云に及ばず、すべて無益の遊行を、戒め、太刀、鎗、弓馬、砲術の、けいこ、怠らず、休める時は、手に書記を、とるやうにし、ものごとに、厚く深く、志ざすべし、かく、ゆだんなければ、氣性、ほかにゆかずして、不善の念、發動せず、身體も、輕便になること、疑なし、昔より云、人の智慧と、人の筋骨とは、つかふに、したがひ、其妙の出ること、頻に汲る井の水の、いよ〱美が如しとぞ、次に、得道具、馬物の具の、置所、艸鞋、足牛、長手拭、細引、ためしなわ、用囊等の、雜具に、いたるまで、乘てより、氣をくばり察し、手にとり、足にて、とぶのみにはあらず、早業と云道あることを、忘るべからず、近くは、妻子、眷屬、譜第のものより、左右周旋のともがらまで、それ〱の法にて、よく勘辨し、出ては、かりそめ、門の出入より、塀際、山沿、川邊、道すぢの大小、迂曲など、眼の及ぶだけ、萬に心の備をなし、盜賊、又火の急なる時も、猥狽ざるやうに、心がくる、是もまた、つねの、かくごと、知べし、
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『武学啓蒙』・論・先祖の功を知り、平時にも武を忘れずつくしたる子孫に、論なく、殊に西土三代の聖制、封建の、おさめかたにして、各國相應、政事の末にも、與れば、一時の選兵、もしくば、軍團等、同やう無下に卑しきものと、心得ば、其忠節、ゆきとゞかざることあらん、賢能あらば、管仲晏子の功、などか、ゆづらん、元來後の世事物の幹、次弟に、はげしさのみならず、血戰もちまへなる、大武國にて、苦辛したゝかなめたる、歴々武功の由緒を、知得て、事に、おぢつく心なかるべし、是も、本邦武門の子弟に、直銳の氣を育つる、作法の一つなり、昔し、こと〱しく、いひなせし、三世相恩は、いとあさく、今數世相恩なれば、なか〱異域及第のふりあいは、云に及ばず、本邦、中古、主從とよびし士の、名を惜み、義を立しよりも、百倍、獻可替否、諫爭忠死、いづれ、國のためとしては、せざることなき、大精忠、古社稷の臣といふ義、忘るべからず、是も、また、唐と大和と、古と今、其物と則との、あるわけなり、本條の、大内氏の事迹、たとひ、武家に、あらずとも、きわめて危き業なり、書經の伊訓に、もし恆に、亂舞酣歌を事とする、是を巫風といひ、敢て貨食に殉ひ、遊畋を常にする、是を淫風といひ、敢て聖言を侮り、忠直に逆ひ、耆德を遠ざけ、頑童に比く、是を亂風といひぬ、是この、三風、十愆、もし卿士の身に、一つあるも、家必喪び、邦君の身に一つあるも、國必亡ぶ、しかるを、臣下の身として、かゝることを、見ながら、匡ざるものあらば、其刑は、墨すべしと、況、あんじなきことをも、警戒するは、列聖の大訓なるをや、國史にのす、天武帝詔す、凡そ、政の要めは、軍事を、大なりとす、爾今以後、文官諸人といへども、常に、つとめて、兵術を習ひ試むべしと、また況や、今の武家と云もの、武を忘れて、可なりとせんや、
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『武学啓蒙』・論・先覚に従い、時に応じて貴いものが変わる人の藝能、おのづから得手、不得手、あれば、其ことの先覺に、從がひ、學ぶに、しくことなし、又千聞一見に、しかずと云なれば、老武者、もつとも、すてがたきわけあり、學の如き、書をよむに、あれども、人の資稟の賢愚、考索の精粗により、其書の、微旨微言を、窺ひ得ると、得ざるとあり、聰明智慧、一等高ければ、一等の、看破あり、たとへば、高きにある人の、遠きに及ぶが如し、初心の兒輩、徒に、足場ひさゝより、首を、のばし、目を、みはるとも、とゞかざること多し、故に、ものしり顏をやめ、長上、及び、明師に從ひ、道の指南を受るに、しくはなし、もちろん、道を、受るものは、王公も、貴を挾まず、其道を崇敬ありしこと、群籍に、いふものゝ如し、引ところの諺以下、皆道理あり、木を伐るには、斧、衣を縫には、針、中流にして、舟を失へば、一瓠も千金、瓠は、もとより貴きには、あらず、たゞ此時に、あたりて、天下、瓠より外、たつとき、ものなし、戰場に、くみしきて後、やり、なぎなたは、用をなさず、此時に、あたりては、天下、九寸五分の短刀より、貴きものなし、時により、所による帝、よろづに、類推すべし、此もまた、人に上たるもの、知らずんば、あるべからざるの、一義なり、
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『武学啓蒙』・論・友との交わりに礼を忘れず、感情に乗らない○凡そ、人、朋友なきこと、あたわず、道を、たすけ、あふの道具なればなり、今川の戒めにても、水は方圓の器に、したがひ、人は、善惡の友に、よるともあれば、大切の事也、古人、交遊の益損を論ずるもの多し、識者に、よりて、きくべし、又一條の心得あり、諺に、親き際には、垣あれど、心やすく交る中、わけて禮義を、忘るまじきこと、第一なり、大抵、たがひに、心やすく交ること、日久しき時は、おぼへず、禮義も、うすく、なりやすく、自然と、言葉も、不敬猥雜に、流れやすし、且又、人情の常にて、己れの功のみを記て、人の功は、忘れ、やすきわけあれば、彼も、此も、たがひに、おもへらく、いつの時こそ、我かゝる恩をも、きせたればと云底意より、また互に、かほどのこと、ありたればとて、など、自ら高く、ゆるしたるも、事なき、あひだは、波風、さらに、たゝざれども、淵瀨の、かわりあるにあふては、はからざる、ものいひとなり、大害を引出す、ためしあり、小事は、大事のはじめ、心やすだての、そこつ、戲れ、まじりの、かげぐちは、きわめて、愼むべきこと、知べし、次に又の一條あり、交遊、蘊めることもなく、打とけたる場、狎れたる人などに、對しては、七情の動ずる所、大に心を用ゆべし、其時、喜きの餘り、愛きの餘り、怒の餘り、悲しきの餘り、いづれも、勢ひに、のらば、立ても、居ても、とゞまりがたき、ありさま、ものいひしも、なせしことも、けしからぬものあり、日たち、漸やく、心しづまりては、酒の醉の、さめたる心地にて、喜も、怒も、其はじめの半にも、あらざれば、言葉も、たがふこと多く、約せしことも、そむくに、いたるべし、武士たるもの、此所の遠慮、心を、しづめ、言行を、かりそめに、せざるの慎み、常に忘るべからず、