武道便蒙録 / 卷之一・兵は詭道、用いる時を誤らない
○軍術和俗に用る所、流義多しといへども、其國其家其時にあたれる所の、兵術を以て、是を心がくべし、但戰勝の理は、西といひて東をおびやかし、前と見せて、後ろをうつの類を趣意とす、このゆへに、兵は詭道なりといへり、是すなはち、其事に應ずるの權道にして、僞の眞なり、たとへば、文學は水のごとく、兵術は浪のごとし、治世には文を以し、亂世には武を以てせり、士たる者兼學で偏廢すべからず、然れども軍理は亂世に行ふの道にして、治世に行ふの道にあらず、今世軍學をたしむ者の中に、人とまじはるに、僞りはかるの氣象ある多し、是れ學ぶところの軍理を今日に用ゆればなり、是故に、世俗軍者は僞ありとそしれり、是れ軍學の害にはあらず、用るに時をたがゆればなり、
新字:○軍術和俗に用る所、流義多しといへども、其国其家其時にあたれる所の、兵術を以て、是を心がくべし、但戦勝の理は、西といひて東をおびやかし、前と見せて、後ろをうつの類を趣意とす、このゆへに、兵は詭道なりといへり、是すなはち、其事に応ずるの権道にして、偽の真なり、たとへば、文学は水のごとく、兵術は浪のごとし、治世には文を以し、乱世には武を以てせり、士たる者兼学で偏廃すべからず、然れども軍理は乱世に行ふの道にして、治世に行ふの道にあらず、今世軍学をたしむ者の中に、人とまじはるに、偽りはかるの気象ある多し、是れ学ぶところの軍理を今日に用ゆればなり、是故に、世俗軍者は偽ありとそしれり、是れ軍学の害にはあらず、用るに時をたがゆればなり、
書き下し
○軍術和俗に用る所、流義多しといへども、其國其家其時にあたれる所の、兵術を以て、是を心がくべし、但戰勝の理は、西といひて東をおびやかし、前と見せて、後ろをうつの類を趣意とす、このゆへに、兵は詭道なりといへり、是すなはち、其事に應ずるの權道にして、僞の眞なり、たとへば、文學は水のごとく、兵術は浪のごとし、治世には文を以し、亂世には武を以てせり、士たる者兼學で偏廢すべからず、然れども軍理は亂世に行ふの道にして、治世に行ふの道にあらず、今世軍學をたしむ者の中に、人とまじはるに、僞りはかるの氣象ある多し、是れ學ぶところの軍理を今日に用ゆればなり、是故に、世俗軍者は僞ありとそしれり、是れ軍學の害にはあらず、用るに時をたがゆればなり、
現代語訳
軍術は日本で用いられているものにも流派が多くありますが、その国、その家、その時にあたる兵術を心がけるべきです。ただし戦いに勝つ理は、西と言って東をおびやかし、前と見せて後ろを撃つ類を趣意としています。このため「兵は詭道なり」と言うのです。これはその事に応じる権道(臨機の道)であり、偽りの中の真です。たとえば、文学は水のようで、兵術は波のようなものです。治世には文を用い、乱世には武を用います。士たる者は兼ねて学び、どちらかを捨ててはなりません。しかし軍理は乱世に行う道であって、治世に行う道ではありません。今の世で軍学をたしなむ者の中には、人と交わるのに偽り謀る気風の者が多くいます。これは学んだ軍理を今日に用いるからです。このため、世間の軍者は偽りがあると非難されます。これは軍学の害ではなく、用いる時を誤っているのです。
解説

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『文武訓』武訓上一日本の兵術を学んで、文学なき人は道理にうとし。人に教ふるに、日本の武道は、儒者のごとく、仁義忠信の道を用ふべからず、偽りたばからざれば勝利を得がたしといふ。又曰、夫兵は功を立つるにあり。もろこしにては魏の曹操のごとく、日本にては足利尊氏のごとき人は、仁義にそむきて人の国をうばひたれども、武将の本意なり。もろこしの諸葛孔明のごとく、日本の楠正成のごときは、忠義あれども功を立つることならず。是、武将の本意にあらず。兵は詭道なり、時の勢によりては、わが身方に対しても、いつはりて表裏を行ひ、人の功をうばひ、或は国をみだして、逆にしてとるも、兵術においては害なし。是、日本の武道なり。もろこしの道を以ては、日本の武道は行ひがたし。
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『武訓』上・第17段日本の兵術を學んで、文學なき人は、道理にうとし。人に敎ふるに、日本の武道は、儒者のごとく、仁義忠信の道を用ふべからず、僞りたばからざれば、勝利を得がたしといふ。又曰、夫、兵は、功を立つるにあり。もろこしにては、魏の曹操のごとく、日本にては、足利尊氏のごとき人は、仁義にそむきて、人の國をうばひたれども、武將の本意なり。もろこしの諸葛孔明のごとく、日本の楠正成のごときは、忠義あれども、功を立つることならず。是、武將の本意にあらず。兵は詭道なり。時の勢によりては、わが身方に對しても、いつはりて表裏を行ひ、人の功をうばひ、或は、國をみだして、逆にしてとるも、兵術においては害なし。是日本の武道なり。もろこしの道を以ては、日本の武道は行ひがたし。日本は武國なれば、もろこしの、正直にして手ぬるき風俗にては、功を成しがたくして、日本の風俗にはあはず。ひずかしくすゝどくて、人のなしたる功名をもうばひて、わが功名とし、人の取りたる首をもうばひて、わが勇とするが、日本の武道なりなどいひて、秘密して人にをしふ。
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『士道心得書』・常は正道・變は詭道正氣を以て用とす。然るに常變との用差別有り。常の用は正道を以てし、變の用は詭道を以てす。然るに人々士の道と用とを辨へず、用ゐるに亦常變不正、故に混雜して、詭道を以て全くするを、士の道と心得違ふ事、是れ本を明かにせざるの誤りなり。孫子曰く、兵は詭道なりと。云ふ處の道は、武道の道に有らず、如何ぞ此の道に過り有るべけんや。故に孫子兵者と云へり。戰に臨みては詭道なりと云ふ事なり。戰は變なり。既に合戰に至りて、勝負に臨んでは、殊勝らしき正道仁義、仁者に敵無しなど云ふやうなる事にて、勝負の埒明く事に有らず。王道仁義全き論にては、合戰は有るまじ。唯だ聖人の敵へにて治平す。然れ共就中末世に及び、人の心直ならず、君臣父子兄弟朋友の道皆變ぜずといふ事なし、變なる時は、兵道にあらざれば、何ぞ是を治めん哉。聖人の道を守り、天下治まる時は、詭道の變、兵家者流の舌頭を動かすに及ばず。又仁者に敵無しといふは、大王の德の如し。先づ其の身仁者に成りての上の事なり。今の世に唯だ仁者といふ理有るのみにて、實に仁者はなし。
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『武道便蒙録』・卷之二・意見を聞く態度と恩の施し方・戦を教えるはじめはなるほどきげんよく、うけ入べきやうにし、或はいはぬに、いはするやうにしかけて、云はせなどして、さていはせてみれば、わがいやなることゆへ、こばみてうけ入ぬときは、存よりを云ふ人の心そむくものなり、さて又此方より恩を施すことは薄くして、返禮を望ことは、あつき時は、人返禮をせぬもの也、報ぜずとは、返禮をせぬことを云なり、もと眞實の恩にあらず、返禮を望む心にて施したる恩なるゆへ、故に人かたじけなしと思はず、返禮をせぬなり、兵法は常〻心がけ習はしむべし、尉繚子兵敎曰、兵之敎令、分營居陣、有非令而進退者、加犯敎之罪、前行者、前行敎之、後行者、後行敎之、左行者、左行敎之、右行者、右行敎之、兵士に戰の法を敎ゆること、古よりこれを重んず、周禮にも此こと詳に見へたり、營とは陣屋の惣名なり、前行は先陣なり、後行は後陣なり、行は行列の義なり、左行は左り備なり、右行は右備なり、如此先後左右の己れが組下に敎るなり、陣屋をかまへて居るに大將の命によりて、進むことも退くこともせざるなり、動くも止るも、大將の下知次第なり、此れを叛ひて、我まゝにすれば、犯敎の罪科に行ふなり、孔子曰、不敎民戰、是謂弃之、孟子曰、不敎民戰、謂之殃民、凡戰の法を敎へずして、民士に合戰さするものは、諸民の命を以て敵に與ふるなり、
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『駿台雑話』兵は詭道(四)先年人のいひしは、ある兵家の説とて、孫子の兵者詭道なりとあるを、兵は詭るも道なりとよむべし、兵は詭道なりとはよむべからずとぞ、翁きゝて一笑を發しき、是は兵を詭道といふを嫌て、兵はもと正道なれども、時としてはいつはるも道なりといふにやあらん、詭字は詐僞の二字と倭訓同じけれども、字義に差別あり、たゞ眞手になく、營格をたがへたる道を詭道とはいふなり、されば孫子も能而示之不能用而示之不用といはずや、よくしてよくすと見せ、用て用ると見せては、いかで敵を料り勝ことを制すべき、よりて兵は眞手になく、常法に引ちがへて行ふ道なりといふべし、すぐに詐僞の道とはいふべからず、然共此筋を今日の常に出せば、詭遇して獲禽の心になりて、やがて詐僞に陷るべし、そこを孫武さすがの明者にて慥に見つけし程に、十三篇の初におゐて兵は詭道なりとはいひしぞかし、詭道なれば常道にあらず、常道にあらずしていかで國家を治るの道とすべき、况や當代の兵家に相傳るは、皆兵の末事なるをや、或は城とり、或は軍のそなへ、又は古戰の跡を僉議する迄にて、孫子の書をよむ人稀なり、たま〱よむ人ありても、文字にくらき故に詭道二字の義にさへ通ぜず、何とて孫子のふかき意を得べきや、さるによりて其説を聞に、多くは臆見に出て相違したる事也、無知妄作といふべし
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『武道便蒙録』・卷之三・奇正の理と下知は己の心に背かず○戰の利は奇正の二ッに出ず、奇は陰也、正は陽なり、奇は隱なり、正は顯なり、世にあらゆること、皆奇正の二ッにかぎれり、隱顯は天地の常なり、天に日月あり、人に心氣あり、時に寒暑あり、陰陽虛實を曉す時は、外に勝負の理なし、兵法にては陰陽を奇正となづく、奇を躰にすれば、正は用なり、正を躰にすれば、奇は用なり、陰陽虛實の理をよくわきまへ知るの工夫有べし、○令與心乖者廢、後令繆、前者乖、好衆辱人者殃、戮辱所任者危、慢其所敬者凶、貌合心離者孤、怒而無威者犯、これは素書遵義の章の語なり、言ふ心は、令とは下へ下知のことなり、心とは下知する人の心なり、乖とは、ちがふことなり、廢とは、下知のきかぬことなり、下知云わたしをすることは、吾が心に好むことを下にせよと、云わたすべし、我心と下知とちがへば、必その下知がきかぬものなり、譬へば桀紂ほどの惡人なれども、暫く天下の從ひたるは、わが好惡を下にもせよと下知したる故なり、是れ下知と心とそむかざれば、廢ざる證據なり、又臆したる大將の士卒に、かゝれと云下知をする時、士卒かゝらざるも、この心なり、畢竟上の心にこのむことは、下知せずとも、下そのごとくになる、上の心に好ざることは、下知すれども、したがはず、故に心と下知とちがへば、その下知きかぬなり、後令は、のちの下知なり、前に繆とは、前の下知と、すりちがふこと也、此段は令と心と乖くとあるを承て、其そむくと云は、いかやうのことを云と、其わけを云へり、令と心と乖たることを、われながら知ぬこと有もの也、