武学啓蒙 / 論・寸陰を惜しみ、大敵は内に起こる
按ずるに、書の大甲に、言の汝の心に逆ふあらば、必これ道ならんと、ぎんみすべし、言の汝の心に、あふあらば、必これ道にあらざるかと、ぎんみすべしと、上古の聖賢、すでに、かくの如し、今の人、なみ〱ならずとも、心得べきことなるべし、又晉の陶侃の言に、大禹は、聖人なれども、常に寸陰を惜みたり、今の衆人の如きは、まさに一分の陰をも、ゆだん、すべからず、あに、逸遊荒醉して、生て、何一つも、時に益なく、死して、朽木の、かれたるやうに、名もなく、やむべきことならんやと、又陶淵明も、時の再び、得がたく、此一日は一生に、只一日なることを、のべたり、宋の朱文公、勸學文にも、今日、學ばずして、來日、ありと云ことなかれ、今年、學ばずして、來年ありと云ことなかれ、日月は逝矣、歲□、我を、まちあわす、ものならず、とやかく、云うちに、はや老となる、是、はたして、何ものゝ、ぶちやうほうと、いふべきと、本條よく、云得たり、されば、我も、人も、少壯の時、多くは、ゆだんし、齒ぬけ、眼くらく、てあし、ふじゆうになり、氣力衰へて、今更、大に驚駭し、親います時は、じやまなりと思ひ、歿後、始めて、びつくりし、明師ある日は、等閑にし、學ばず、其人、みへざるに、あたり、東西と、せんぎし、婦女に溺れ、大酒に耽り、過を、引だして、後悔するは、益なし、大敵、内に起ると、用心するわけ、是がためなるべし、論語に、遠き慮なきは、近き患ありと、たれも、知ること、なれども、とかく、大敵に、おそわるゝ、ゆだん、ありやすし、
新字:按ずるに、書の大甲に、言の汝の心に逆ふあらば、必これ道ならんと、ぎんみすべし、言の汝の心に、あふあらば、必これ道にあらざるかと、ぎんみすべしと、上古の聖賢、すでに、かくの如し、今の人、なみ〱ならずとも、心得べきことなるべし、又晋の陶侃の言に、大禹は、聖人なれども、常に寸陰を惜みたり、今の衆人の如きは、まさに一分の陰をも、ゆだん、すべからず、あに、逸遊荒酔して、生て、何一つも、時に益なく、死して、朽木の、かれたるやうに、名もなく、やむべきことならんやと、又陶淵明も、時の再び、得がたく、此一日は一生に、只一日なることを、のべたり、宋の朱文公、勧学文にも、今日、学ばずして、来日、ありと云ことなかれ、今年、学ばずして、来年ありと云ことなかれ、日月は逝矣、歳□、我を、まちあわす、ものならず、とやかく、云うちに、はや老となる、是、はたして、何ものゝ、ぶちやうほうと、いふべきと、本条よく、云得たり、されば、我も、人も、少壮の時、多くは、ゆだんし、歯ぬけ、眼くらく、てあし、ふじゆうになり、気力衰へて、今更、大に驚駭し、親います時は、じやまなりと思ひ、歿後、始めて、びつくりし、明師ある日は、等閑にし、学ばず、其人、みへざるに、あたり、東西と、せんぎし、婦女に溺れ、大酒に耽り、過を、引だして、後悔するは、益なし、大敵、内に起ると、用心するわけ、是がためなるべし、論語に、遠き慮なきは、近き患ありと、たれも、知ること、なれども、とかく、大敵に、おそわるゝ、ゆだん、ありやすし、
書き下し
按ずるに、書の大甲に、言の汝の心に逆ふあらば、必これ道ならんと、ぎんみすべし、言の汝の心に、あふあらば、必これ道にあらざるかと、ぎんみすべしと、上古の聖賢、すでに、かくの如し、今の人、なみ〱ならずとも、心得べきことなるべし、又晉の陶侃の言に、大禹は、聖人なれども、常に寸陰を惜みたり、今の衆人の如きは、まさに一分の陰をも、ゆだん、すべからず、あに、逸遊荒醉して、生て、何一つも、時に益なく、死して、朽木の、かれたるやうに、名もなく、やむべきことならんやと、又陶淵明も、時の再び、得がたく、此一日は一生に、只一日なることを、のべたり、宋の朱文公、勸學文にも、今日、學ばずして、來日、ありと云ことなかれ、今年、學ばずして、來年ありと云ことなかれ、日月は逝矣、歲□、我を、まちあわす、ものならず、とやかく、云うちに、はや老となる、是、はたして、何ものゝ、ぶちやうほうと、いふべきと、本條よく、云得たり、されば、我も、人も、少壯の時、多くは、ゆだんし、齒ぬけ、眼くらく、てあし、ふじゆうになり、氣力衰へて、今更、大に驚駭し、親います時は、じやまなりと思ひ、歿後、始めて、びつくりし、明師ある日は、等閑にし、學ばず、其人、みへざるに、あたり、東西と、せんぎし、婦女に溺れ、大酒に耽り、過を、引だして、後悔するは、益なし、大敵、内に起ると、用心するわけ、是がためなるべし、論語に、遠き慮なきは、近き患ありと、たれも、知ること、なれども、とかく、大敵に、おそわるゝ、ゆだん、ありやすし、
現代語訳
考えてみると、書経の太甲に「言葉があなたの心に逆らうことがあれば、必ずこれは道だろうと吟味しなさい。言葉があなたの心に合うことがあれば、必ずこれは道ではないのではと吟味しなさい」とあります。上古の聖賢がすでにこのようであるなら、今の人は並々でなくとも心得るべきことでしょう。また晋の陶侃の言葉に「大禹は聖人であっても、常に寸陰を惜しんだ。今の凡人は、まして一分の時間でも油断してはならない。どうして遊びにふけり酔いにまぎれ、生きて何一つ時の役に立たず、死んで朽木が枯れるように名もなく終わってよいだろうか」とあります。また陶淵明も、時は再び得がたく、この一日は一生にただ一日であることを述べました。宋の朱文公(朱熹)の勧学文にも「今日学ばなくても来る日があると言ってはならない。今年学ばなくても来年があると言ってはならない。日月は過ぎ去り、歳(底本で判読できない字)は我を待ってはくれない。ああ、とやかく言ううちに、はや老いてしまう。これは果たして誰の不調法というべきか」とあり、この箇条はよく言い得ています。そうして、自分も人も、若く盛んな時は多くが油断し、歯が抜け、目が暗くなり、手足が不自由になり、気力が衰えて、今さら大いに驚き、親が存命の時は邪魔だと思い、亡くなってから初めてびっくりし、明師のいる日はなおざりにして学ばず、その人がいなくなって東西と詮議し、婦女に溺れ、大酒にふけり、過ちを引き出してから後悔しても益がありません。「大敵は内に起こる」と用心するわけは、このためでしょう。論語に「遠い慮りがなければ、必ず近い患いがある」とあり、誰もが知ることですが、とかく大敵に襲われる油断が起こりやすいものです。
解説

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葉隠・聞書第一諫言(かんげん)の道に、我(われ)其の位(くらい)にあらずば、其の位の人に言はせて、御誤(おあやまり)直(なお)る様にするが大忠(たいちゅう)なり。此の階(かい)の為に諸人(しょにん)と懇意(こんい)する所なり。我が為にすれば追従(ついしょう)なり。一方(いっぽう)は我等(われら)荷(にな)ひ申す心入(こころいれ)からなり。成程(なるほど)なるものなり。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 楽書上は朝廷より、下は人民に至るまで、以て歓喜を接し、殷勤を合するを得、此の和説に非ずんば通ぜず、解沢流れず、亦各々一世の化、時を度るの楽なり、何ぞ必ずしも華山の騄耳にして而る後に遠きを行かんや」と。二世之を然りとす。高祖、沛を過りて三侯の章を詩し、小児をして之を歌はしむ。高祖崩じ、沛をして四時に宗廟に歌舞するを得しむ。孝恵・孝文・孝景は増更する所無く、楽府に於いて常を習ひ旧を肄ふのみ。今上即位するに至り、十九章を作り、侍中李延年をして其の声を次序せしめ、拝して協律都尉と為す。一経に通ずるの士も独り其の辞を知る能はず、皆五経の家を集会し、相与に共に講習して之を読み、乃ち能く其の意を通知す、多く爾雅の文なり。漢家常に正月上辛を以て太一を甘泉に祠り、昏時を以て夜祠り、明に到りて終はる。常に流星の祠壇の上を経る有り。僮男僮女七十人をして俱に歌はしむ。春は青陽を歌ひ、夏は朱明を歌ひ、秋は西暤を歌ひ、冬は玄冥を歌ふ。世に多く有り、故に論ぜず。又嘗て神馬を渥洼の水中に得て、復た次して以て太一の歌と為す。歌曲に曰く、「太一貢ぎて天馬下る、赤汗に霑ひて沫赭を流す。騁せて容与として万里を跇ゆ、今安んぞ匹せん、龍を友と為す」と。後に大宛を伐ちて千里の馬を得、馬の名は蒲梢、次して作りて以て歌と為す。歌詩に曰く、「天馬来たる、西極よりす。万里を経て有徳に帰す。霊威を承けて外国を降し、流沙を渉りて四夷服す」と。中尉汲黯進みて曰く、「凡そ王者の楽を作るは、上は以て祖宗を承け、下は以て兆民を化す。今陛下馬を得て、詩して以て歌と為し、宗廟に協す、先帝百姓豈に能く其の音を知らんや」と。上黙然として説ばず。丞相公孫弘曰く、「黯は聖制を誹謗す、当に族すべし」と。凡そ音の起こるは、人心より生ずるなり。人心の動くは、物之をして然らしむるなり。
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『十善法語』巻第十・不邪見戒之上又喩ヘテ云ハ。賢君明主ハ忠臣ヲ信任シ。諫言ヲ用ル如クシヤ。漢ノ高祖カ諫ニ従フコト流ノ如ク。唐ノ太宗ノ魏徴カ苦諫ノ言ヲ用ヒアリシ類。ソノ如ク。正法ノ因縁アル者ハ必ス不邪見戒ニ随順スルシヤ。此ニ反シテ宿福ナキ者ハ。智者モ愚者モ。学者モ不学者モ仏アルコトヲ信セヌ。法アルコトヲ信セヌ。聖賢アルコトヲ信セヌ。神祇有コトヲ信セヌ。善悪報応有コトヲ信セヌシヤ。