武道便蒙録 / 卷之一・時を待つ賢人と、機を得て動く
○賢人君子は、萬理に通達し、道德仁義禮、をのづからそなわり、能く道を行ふといへども、其國其時にあはざれば龍蛇の蟄するが如く、潛まり居て、世間を徘徊せず、ひきこみておるなり、道を我が身に抱て時節を待つより外はなし、故に潛居抱道以待其時、若時至而行、則能極人臣之位とあり、人臣の位をきわむといふは、臣下の位の至極をきわむることなり、三公となり、萬戶侯に封ぜらるゝことを云、時節至て、世に出て、道を行ふ時は、道の行はるべき時節なる故に、世に用ひられ功を立て、臣下の位をきはむるなり、子曰、君子藏器於身、待時而動とあり、素書曰、得機而動則能成絶代之功、如其不遇沒身而已、是以其道足高、而名重於後世、とあり、機は石弓のひきがね、又はからくり人形の、內のからくりしかけ、皆これを機と云なり、是れは、石弓の引金、人形のからくりのどく、こゝをひとつかふすれば、先きがどうなると云、肝要なる所が事々の上にあるものなり、こゝを合點せざれば、勞して功なし、こゝを合點すれば、骨をらずに功をなす、これを機と云なり、此機を得て動く時は、代にすぐれたる、大功を成就するなり、若し時に遇はざれば、潛まり居て一生をおはる、賢人君子の大功をも、たつるほどのことなれば、世にあはざる時は一生をおわり、なまなかなることなどは、せぬなり、是以まことに高く貴き道なれば、其人の名、後代に重んぜらるゝ也、
新字:○賢人君子は、万理に通達し、道徳仁義礼、をのづからそなわり、能く道を行ふといへども、其国其時にあはざれば竜蛇の蟄するが如く、潜まり居て、世間を徘徊せず、ひきこみておるなり、道を我が身に抱て時節を待つより外はなし、故に潜居抱道以待其時、若時至而行、則能極人臣之位とあり、人臣の位をきわむといふは、臣下の位の至極をきわむることなり、三公となり、万戸侯に封ぜらるゝことを云、時節至て、世に出て、道を行ふ時は、道の行はるべき時節なる故に、世に用ひられ功を立て、臣下の位をきはむるなり、子曰、君子蔵器於身、待時而動とあり、素書曰、得機而動則能成絶代之功、如其不遇没身而已、是以其道足高、而名重於後世、とあり、機は石弓のひきがね、又はからくり人形の、内のからくりしかけ、皆これを機と云なり、是れは、石弓の引金、人形のからくりのどく、こゝをひとつかふすれば、先きがどうなると云、肝要なる所が事々の上にあるものなり、こゝを合点せざれば、労して功なし、こゝを合点すれば、骨をらずに功をなす、これを機と云なり、此機を得て動く時は、代にすぐれたる、大功を成就するなり、若し時に遇はざれば、潜まり居て一生をおはる、賢人君子の大功をも、たつるほどのことなれば、世にあはざる時は一生をおわり、なまなかなることなどは、せぬなり、是以まことに高く貴き道なれば、其人の名、後代に重んぜらるゝ也、
書き下し
○賢人君子は、萬理に通達し、道德仁義禮、をのづからそなわり、能く道を行ふといへども、其國其時にあはざれば龍蛇の蟄するが如く、潛まり居て、世間を徘徊せず、ひきこみておるなり、道を我が身に抱て時節を待つより外はなし、故に潛居抱道以待其時、若時至而行、則能極人臣之位とあり、人臣の位をきわむといふは、臣下の位の至極をきわむることなり、三公となり、萬戶侯に封ぜらるゝことを云、時節至て、世に出て、道を行ふ時は、道の行はるべき時節なる故に、世に用ひられ功を立て、臣下の位をきはむるなり、子曰、君子藏器於身、待時而動とあり、素書曰、得機而動則能成絶代之功、如其不遇沒身而已、是以其道足高、而名重於後世、とあり、機は石弓のひきがね、又はからくり人形の、內のからくりしかけ、皆これを機と云なり、是れは、石弓の引金、人形のからくりのどく、こゝをひとつかふすれば、先きがどうなると云、肝要なる所が事々の上にあるものなり、こゝを合點せざれば、勞して功なし、こゝを合點すれば、骨をらずに功をなす、これを機と云なり、此機を得て動く時は、代にすぐれたる、大功を成就するなり、若し時に遇はざれば、潛まり居て一生をおはる、賢人君子の大功をも、たつるほどのことなれば、世にあはざる時は一生をおわり、なまなかなることなどは、せぬなり、是以まことに高く貴き道なれば、其人の名、後代に重んぜらるゝ也、
現代語訳
賢人君子はあらゆる道理に通達し、道・徳・仁・義・礼がおのずと備わり、よく道を行うとはいえ、その国その時に合わなければ、龍や蛇が蟄するように潜んでいて、世間を徘徊せず、引っ込んでいるのです。道を我が身に抱いて時節を待つほかはありません。ですから「潜み居て道を抱き、以てその時を待つ。もし時至りて行えば、則ち能く人臣の位を極める」とあります。人臣の位を極めるというのは、臣下の位の至極を極めることで、三公となり、万戸侯に封ぜられることを言います。時節が至って世に出て道を行うときは、道が行われるべき時節であるので、世に用いられ功を立て、臣下の位を極めるのです。孔子は「君子は器を身に蔵し、時を待って動く」と言いました。『素書』に「機を得て動けば、則ち能く絶代の功を成す。もしそれ遇わざれば、身を没するのみ。ここをもってその道は十分高く、名は後世に重んじられる」とあります。機は石弓の引き金、またはからくり人形の内のからくりの仕掛け、みなこれを機と言います。これは石弓の引き金、人形のからくりのようなもので、ここを一つ動かせば先がこうなるという肝要な所が、事々の上にあるものです。ここを合点しなければ苦労して功がなく、ここを合点すれば骨を折らずに功をなします。これを機と言います。この機を得て動くときは、代にすぐれた大功を成就します。もし時に遇わなければ、潜み居て一生を終えます。賢人君子は大功をも立てるほどの人なので、世に合わない時は一生を終えても、なまはんかなことなどはしません。そのため、まことに高く貴い道であるので、その人の名は後代に重んじられるのです。
解説

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『武道便蒙録』・卷之一・素書に学ぶ盛衰を見抜く賢人○素書曰、夫欲爲人之本、不可無一焉、賢人君子、明於盛衰之道、通乎成敗之數、審乎治亂之勢、達乎去就之理、先儒の謂らく、言ふ意は人となるべきことをはゞ、道德仁義禮の五つを本とすべきとなり、不可無一焉とは、五ッの內一ッなくても叶はぬと也、賢人とは、賢德ある人なり、賢德とは、才も德も人にこゑもぬけたることなり、君子とは、人の上に立て其才德下を治むるに、任たる人を云、又下位に居ても、人の上に立べき器量に叶へば、これをも君子と云なり、ひッきやう賢人と云も、君子と云も、をなじと也、盛衰の道とは、ものゝ盛んになるも、衰ゆるも各其道ありて、かやうにすれば盛んになる、かやうにすれば衰ると云ことあり、賢人君子、このさかひに、少も疑ひなきゆへ、あきらかなりと云へり、事の成就するも敗るゝも、みなさだまりたるきッかけあり、賢人君子は、此きッかけに通達し、ぬけとをりてをるなり、國のをさまるとみだるゝとの勢ひを、たしかにしりて、まへかたより、これをたがへず、去就の理に達す、去はさる、就はつくとよみて、そこをたちさり、そこへゆくとなり、これは我身のとりをき也、前に云、盛衰成敗のわけをしるゆへ、此國はをさまる、此國は亂るゝ、今は治りておれども、後は亂るゝ、今は亂れておれども、末は治ると云ことを、がてんして、その治るべき國にゆき、亂るべき國をば、たちさる、これを去就の理に通達すると云なり、
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易経・繋辞下易に曰く、「公用て隼を高墉の上に射て、之を獲たり。利あらざる无し」と。子曰く、「隼は禽なり。弓矢は器なり。之を射る者は人なり。君子は器を身に蔵し、時を待ちて動く。何の利あらざることか之れ有らん。動きて括せず、是を以て出でて獲ること有り。器を成して動く者を語るなり」と。
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『長短経』適変是に由りて之を言えば、故に知る、人の若き者は、各々其の時に因りて功を建て徳を立つるを。〈孟子曰く「鎡基有りと雖も、時に遇うに如かず。智慧有りと雖も、代に逢うに如かず」と。范蠡曰く「時至らざれば、強いて生ず可からず。事究まらざれば、強いて成す可からず」と。語に曰く「聖人は備えを修めて以て時を待つなり」と。〉
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説苑・雜言賢人君子は、盛衰の時に通じ、成敗の端に明らかに、治乱の紀を察し、人情を審らかにす。去就する所を知る、故に窮すと雖も亡国の勢に処らず、貧しと雖も汙君の禄を受けず。是を以て太公は七十にして自ら達せず、孫叔敖は三たび相を去りて自ら悔いず。何となれば則ち、強いて其の人に非ざるに合せざればなり。太公は一たび周に合して侯たること七百歳、孫叔敖は一たび楚に合して封ぜらるること十世。大夫種は越を存亡して覇たらしめしも、句踐は死を前に賜う。李斯は功を秦に積みしも、卒に五刑を被る。忠を尽くして君を憂い、身を危うくして国を安んずる、其の功は一なり。或いは封侯して絶えず、或いは死を賜いて刑を被る。慕う所・由る所異なればなり。故に箕子は国を去りて狂を佯り、范蠡は越を去りて名を易え、智過は君弟を去りて姓を更う、皆遠きを見て微を識り、仁は能く富勢を去りて以て萌生の禍を避くる者なり。夫れ暴乱の君、孰か能く縶を離ちて其の身を役し、患いに与らんや。故に賢者は死を畏れ害を避くるのみに非ざるなり、身を殺すも益無くして明主の暴なればなり。比干は紂に死すも其の行いを正す能わず、子胥は呉に死すも其の国を存する能わず。二子は強諫して死す、適に明主の暴を明らかにするのみ、未だ始めより秋毫の端の如きも益有らざるなり。是を以て賢人は其の智を閉じ、其の能を塞ぎ、其の人を得るを待ちて然る後に合す。故に言えば聴かれざる無く、行えば疑わるる無く、君臣両つながら与にし、終身患い無し。今其の時を得るに非ず、又其の人無く、直だ私意已む能わず、世の乱れを閔れみ、主の危うきを憂う。貲無きの身を以て、蔽塞の路を渉り、讒人の前を経、無量の主に造り、不測の罪を犯す。其の天性を傷る、豈に惑いならざらんや。故に文信侯・李斯は、天下謂う所の賢なり、国の為に計り微を揣り隠を射る、所謂過策無きなり。戦いて勝ち攻めて取る、所謂強敵無きなり。功を積むこと甚だ大に、勢利甚だ高し。賢人用いられず、讒人事を用う、自ら用いられざるを知るも、其の仁去る能わず。敵を制し功を積むこと、秋毫を失わず。患いを避け害を去ること、丘山を見ず。其の欲する所を積みて、以て其の悪む所に至る、豈に勢利に惑わさるるに非ざらんや。詩に云う、『人は其の一を知りて、其の他を知る莫し』と。此を之れ謂うなり。
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『武道便蒙録』・卷之二・賢と民を頼み、腹心と四肢のように用いる故借名とあり、これみな英雄は千人萬人にすぐれたる人を、いふなるべし、又曰、夫爲國之道、恃賢與民、信賢如腹心、使民如四肢、則策無遺、いふ心は、國を治るの道は、賢德の人と、諸民との二ッを、たのむにあり、去るによつて、古へより明君賢將に、輔弼の賢臣なきはあらず、賢と民とは車の兩輪の如し、民にあらざれば、邦縣を守り、五穀を生じ、器財を出し、萬事を滿ることあたはず、賢にあらざれば、法度を立て、政令を正しくして、國を平治することあたはず、この故に賢と民とを恃といへり、信賢とは、賢智俊材の人の言をば聽信じて、これをよくうけがひ、もちゆることは、自己の腹心の如くすべし、腹心は人の躰の中にての肝要の處なるによつて、賢を用ゆることを肝要とする義なり、使民とは、衆民を使ひ用るとは我が手足の四つを使ふがごとくにするなり、四肢は、我が思ふまゝに使ひ用るもの也、而も我四肢なる故に、いたみ破らざるやうに用るなり、民を使ふも如此、恤みいたむ志を深くして、使ひ用ゆるときは、我下知する如くに、つかはるゝなり、かやうに賢を信じ、民を使ふなれば、策に遺すことなし、
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文子・上德山に猛獣有れば、林木之が為に斬られず、園に螫虫有れば、葵藿之が為に採られず、国に賢臣有れば、衝を折くこと千里なり。道に通ずる者は、車の轂中に転ずるが若し、己に運らさずして、之と与に千里に致り、終わりて復た始まり、転ずること無窮の原なり。故に枉を挙げて直に与えるは、何如ぞ得ざらん、直を挙げて枉に与うれば、与に遂げ往く勿れ。鳥の将に来らんとする有れば、羅を張りて之を待つ、鳥を得る者は羅の一目なり。今一目の羅を為らば、則ち鳥を得る時無し。故に事は或いは前に規す可からず、物は或いは預め慮る可からず。故に聖人は道を畜えて時を待つ。故に魚を致さんと欲する者は先に谷を通じ、鳥を来さんと欲する者は先に木を樹う。水積もれば魚聚まり、木茂れば鳥集まる。魚の為に得る者は、挈げて淵に入るるに非ず、猿の為に得る者は、負いて木に上らしむるに非ず、其の利する所に縦すのみ。足の践む所は浅く、然れども践まざる所を待ちて後に能く行く。心の知る所は遍く、然れども知らざる所を待ちて後に能く明らかなり。川竭きて谷虚しく、丘夷らぎて淵塞がり、唇亡びて歯寒く、河水深くして壌は山に在り。水静かなれば則ち清く、清ければ則ち平らかに、平らかなれば則ち易く、易ければ則ち物の形を見る。形は併す可からず、故に以て正と為す可し。