武治提要 / 傳璽・第6段
其家の佳例同じからずといへども、男子生れて十一歲にいたるとき、甲冑著初の大禮を行い、其强弱に從て、十四歲より十八歲に至るの間、初陣に立こと、兵家者流の通例なり。男子十一歲に及ときは、其智旣に發動せんとす。爰に至て敎養又昔日に同じからず。これを涵養するの道、人、物の二を大綱とす。所謂人とは近臣を撰にあり。第一篤實にして信ある人、これ幼將の德を養にたれり。第二武家の古典舊事を能知人、これ幼將の智を養べし。第三兵法武術に通ぜる人、これ幼將の勇を養べし。この三を以て其人を撰ときは、武德を涵浸するにたれり。傅職はもとより此三を兼備せるを當任とす。或は側に男女の色を談じ、儒弱怠惰の言行をなすこと、勇を損するの病なり。所謂物とは屋室、衣服、食物、及日用の事物なり。
新字:其家の佳例同じからずといへども、男子生れて十一歳にいたるとき、甲冑著初の大礼を行い、其強弱に従て、十四歳より十八歳に至るの間、初陣に立こと、兵家者流の通例なり。男子十一歳に及ときは、其智既に発動せんとす。爰に至て教養又昔日に同じからず。これを涵養するの道、人、物の二を大綱とす。所謂人とは近臣を撰にあり。第一篤実にして信ある人、これ幼将の徳を養にたれり。第二武家の古典旧事を能知人、これ幼将の智を養べし。第三兵法武術に通ぜる人、これ幼将の勇を養べし。この三を以て其人を撰ときは、武徳を涵浸するにたれり。傅職はもとより此三を兼備せるを当任とす。或は側に男女の色を談じ、儒弱怠惰の言行をなすこと、勇を損するの病なり。所謂物とは屋室、衣服、食物、及日用の事物なり。
書き下し
其家の佳例同じからずといへども、男子生れて十一歲にいたるとき、甲冑著初の大禮を行い、其强弱に從て、十四歲より十八歲に至るの間、初陣に立こと、兵家者流の通例なり。男子十一歲に及ときは、其智旣に發動せんとす。爰に至て敎養又昔日に同じからず。これを涵養するの道、人、物の二を大綱とす。所謂人とは近臣を撰にあり。第一篤實にして信ある人、これ幼將の德を養にたれり。第二武家の古典舊事を能知人、これ幼將の智を養べし。第三兵法武術に通ぜる人、これ幼將の勇を養べし。この三を以て其人を撰ときは、武德を涵浸するにたれり。傅職はもとより此三を兼備せるを當任とす。或は側に男女の色を談じ、儒弱怠惰の言行をなすこと、勇を損するの病なり。所謂物とは屋室、衣服、食物、及日用の事物なり。
現代語訳
家ごとの佳例は同じではありませんが、男子が生まれて十一歳になったとき、甲冑著初め(甲冑を初めて着る)の大礼を行い、その強弱に従って、十四歳から十八歳の間に初陣に立つことが、兵家の通例です。男子が十一歳になれば、その智はすでに発動しようとしています。ここに至って、教養も昔と同じではありません。これを涵養する道は、人と物の二つを大綱とします。いわゆる人とは、近臣を選ぶことです。第一に、篤実で信のある人、これは幼い将の徳を養うに足ります。第二に、武家の古典・旧事をよく知る人、これは幼い将の智を養うでしょう。第三に、兵法・武術に通じている人、これは幼い将の勇を養うでしょう。この三つで人を選べば、武徳を浸し育てるに足ります。傅の職はもとよりこの三つを兼ね備えた者が当たるべきです。あるいは側で男女の色事を語り、懦弱で怠惰な言行をするのは、勇を損なう病です。いわゆる物とは、屋室、衣服、食物、および日用の事物です。
解説
この章句が説くこと
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