武治提要 / 傳璽・第4段
傳璽の本、敎養を主とすること、德の常なり。敎養なすといへども、至愚なるものは天命にして、人力の然る處にあらず。故に勤て人力の修爲をなすべし。敎養の大本は、其母姉の德をえらみ、胎敎の禮を審にする、これ往古の法にして、人心の感ずる處をつゝしむがゆゑなり。然れども敎育の要は、視聽言辭の通ずるより、二十歲を超るの間、これ敎戒を審にするの時なり。而して其質の强弱頓鈍に依て同じからずといへども、大旨の常とする處は、三四歲より十歲に至るを一節とし、十歲以後二十歲に及の間を又一節とす。其節に仍て相應の敎習あり。凡幼將の敎戒、其大綱智德勇の三のみ、此三のものを其節に應じて習來せしむべし。
新字:伝璽の本、教養を主とすること、徳の常なり。教養なすといへども、至愚なるものは天命にして、人力の然る処にあらず。故に勤て人力の修為をなすべし。教養の大本は、其母姉の徳をえらみ、胎教の礼を審にする、これ往古の法にして、人心の感ずる処をつゝしむがゆゑなり。然れども教育の要は、視聴言辞の通ずるより、二十歳を超るの間、これ教戒を審にするの時なり。而して其質の強弱頓鈍に依て同じからずといへども、大旨の常とする処は、三四歳より十歳に至るを一節とし、十歳以後二十歳に及の間を又一節とす。其節に仍て相応の教習あり。凡幼将の教戒、其大綱智徳勇の三のみ、此三のものを其節に応じて習来せしむべし。
書き下し
傳璽の本、敎養を主とすること、德の常なり。敎養なすといへども、至愚なるものは天命にして、人力の然る處にあらず。故に勤て人力の修爲をなすべし。敎養の大本は、其母姉の德をえらみ、胎敎の禮を審にする、これ往古の法にして、人心の感ずる處をつゝしむがゆゑなり。然れども敎育の要は、視聽言辭の通ずるより、二十歲を超るの間、これ敎戒を審にするの時なり。而して其質の强弱頓鈍に依て同じからずといへども、大旨の常とする處は、三四歲より十歲に至るを一節とし、十歲以後二十歲に及の間を又一節とす。其節に仍て相應の敎習あり。凡幼將の敎戒、其大綱智德勇の三のみ、此三のものを其節に應じて習來せしむべし。
現代語訳
伝璽の本は、教養を主とすることが、徳の常道です。教養をしても、極めて愚かな者は天命であって、人力の及ぶところではありません。ですから、努めて人力の修め為すことをするべきです。教養の大本は、その母や姉の徳を選び、胎教の礼を詳しくすることで、これは往古の法です。人の心が感ずるところを慎むためです。しかし、教育の要は、視聴言辞が通じるようになってから、二十歳を超えるまでの間にあり、この間が教戒を詳しくする時です。その資質の強弱・鈍さによって同じではありませんが、おおよその常として、三、四歳から十歳に至るまでを一つの節とし、十歳以後、二十歳に及ぶまでをまた一つの節とします。その節に応じて相応の教習があります。およそ幼い将の教戒の大綱は、智・徳・勇の三つだけです。この三つを、その節に応じて習わせるべきです。
解説
この章句が説くこと
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