武治提要 / 立規制・第2段
天地各自然の儀則あつて、其のりを超ることなし。爰を以て天地恒久なり、國家亂て亂臣賊子蒼生を荼毒するものは、其本規制の廢弛より起る。外國の聖人、天下の事物を盡して、規制を審にすること、周禮に過るものをいまだ見ず。吾 中華古世の律令、蓋し兵火の爲に烏有となるか、或は秘府にあつて世に散在せざる歟、其全きもののいまだ見ず。今時一百年來、神武の淸朝に至て、規制大に明にして、四民各手の舞足の蹈處をしらず。蓋し是れ無上の國恩なり。武將必ず法を嚴重にすべし。法の本文武にあり。治世の法多く文を主とす、亂世の法多く武を主とす。文は內を調和するの道なり、武は外を制裁するの道なり。其味深し。
新字:天地各自然の儀則あつて、其のりを超ることなし。爰を以て天地恒久なり、国家乱て乱臣賊子蒼生を荼毒するものは、其本規制の廃弛より起る。外国の聖人、天下の事物を尽して、規制を審にすること、周礼に過るものをいまだ見ず。吾 中華古世の律令、蓋し兵火の為に烏有となるか、或は秘府にあつて世に散在せざる歟、其全きもののいまだ見ず。今時一百年来、神武の清朝に至て、規制大に明にして、四民各手の舞足の蹈処をしらず。蓋し是れ無上の国恩なり。武将必ず法を厳重にすべし。法の本文武にあり。治世の法多く文を主とす、乱世の法多く武を主とす。文は内を調和するの道なり、武は外を制裁するの道なり。其味深し。
書き下し
天地各自然の儀則あつて、其のりを超ることなし。爰を以て天地恒久なり、國家亂て亂臣賊子蒼生を荼毒するものは、其本規制の廢弛より起る。外國の聖人、天下の事物を盡して、規制を審にすること、周禮に過るものをいまだ見ず。吾 中華古世の律令、蓋し兵火の爲に烏有となるか、或は秘府にあつて世に散在せざる歟、其全きもののいまだ見ず。今時一百年來、神武の淸朝に至て、規制大に明にして、四民各手の舞足の蹈處をしらず。蓋し是れ無上の國恩なり。武將必ず法を嚴重にすべし。法の本文武にあり。治世の法多く文を主とす、亂世の法多く武を主とす。文は內を調和するの道なり、武は外を制裁するの道なり。其味深し。
現代語訳
天地にはそれぞれ自然の儀則があって、その則を越えることがない。それゆえ天地は恒久である。国家が乱れ、乱臣賊子が民を苦しめるのは、その根本に規制が廃れ緩むことから起こる。外国の聖人が、天下の事物を尽くして規制を詳しくしたものとして、周礼に勝るものをまだ見ない。我が中華の古い世の律令は、おそらく兵火のために跡形もなく消えたか、あるいは秘府にあって世に出回らないのか、その全きものをまだ見ない。今から百年来、神武の清朝に至って、規制が大いに明らかになり、四民はそれぞれ手の舞い足の踏むところを知らないほどである。これはおそらく無上の国恩である。武将は必ず法を厳重にすべきである。法の本は文と武にある。治世の法は多く文を主とし、乱世の法は多く武を主とする。文は内を調和する道であり、武は外を制裁する道である。その味わいは深い。
解説
この章句が説くこと
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