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武士道 / 第十二章 切腹及び敵討・父の仇を報ずるは最も美しき

近く米國の一將校にして、ドレフユーの仇を報ぜんが爲、エスターヘジーに決闘を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、奸淫は罪を構成せず、唯だ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して、危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、唯だ被害者の緣戚が、戒心以て讐を復することの、能く社會の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる是れな、り』と。而して日本人は之に加ふるに、必ずや、『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。復讐は、之によりて、自己が正義の念を滿足せしむるものなり。

新字:近く米国の一将校にして、ドレフユーの仇を報ぜんが為、エスターヘジーに決闘を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、奸淫は罪を構成せず、唯だ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して、危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、唯だ被害者の縁戚が、戒心以て讐を復することの、能く社会の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる是れな、り』と。而して日本人は之に加ふるに、必ずや、『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。復讐は、之によりて、自己が正義の念を満足せしむるものなり。

書き下し

近く米国の一将校にして、ドレフュスの仇を報ぜんが為、エステルハージーに決闘を挑みたるものさへありしに非らずや。結婚の行はれざる蕃族の間に在りては、姦淫は罪を構成せず、ただ情夫の嫉妬のみ、よく女子を保護して危害を蒙ること無きを得しむるが如く、刑事法廷の設備無き時代に在りては、殺戮は罪を成さず、ただ被害者の縁戚が、戒心以て讐を復することの、能く社会の秩序を保持したるなりき。神話のオシリスはホーラスに問ふに『此世の最も美しきは何ぞ』と。答へて曰く、『父の仇を報ずる、是れなり』と。而して日本人は之に加ふるに、必ずや『君主の仇』の語を以てせんとするものなり。復讐は、之によりて自己が正義の念を満足せしむるものなり。

現代語訳

近ごろ、アメリカのある将校がドレフュスの仇を報じるためにエステルアジーに決闘を挑んだことさえあるではありませんか。結婚の制度がない未開の民族の間では姦通は罪を構成せず、ただ情夫の嫉妬だけが女性を守って危害を受けないようにするのと同じく、刑事法廷の設備がない時代には殺人は罪を成さず、ただ被害者の親族が心して仇を報じることが、社会の秩序を保っていたのです。神話のオシリスがホルスに、この世で最も美しいものは何か、と問いました。答えて言うには、父の仇を報じること、これです、と。そして日本人はこれに加えて、必ず主君の仇という語を添えようとするものです。復讐は、それによって自分の正義の感覚を満足させるものです。

解説

敵討が法の代わりだったという説明です。刑事法廷がない時代には、親族の復讐が秩序を保っていた。制度の欠落を埋める機能として捉える見方で、感情ではなく仕組みとして論じています。そしてオシリスとホルスの問答が引かれ、父の仇を報じることが最も美しいとされる。日本ではそこに主君の仇が加わる、という一点に、忠を孝より上に置くこの本の主題がまた現れます。

この章句が説くこと

敵討秩序復讐正義

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