武治提要 / 武德・第6段
武德を總綱として、其領目に文武あり。內を調治るを文とし、外を威し制するを武とす。外國といへども、干戈を以て艸業せるの主は、武德を以て其國を開基するに似たりといへども、本朝武門に所謂武德にあらず、領目の武に應ぜり。而して其武亦 本朝の武に同じからず。金の稱號は同して、其間鐵鈆の剛柔天壤を隔るが如し。日を同して語るべからず。外國に所謂四海を治の德は、其用仁を主とす。故に文德なり。武門に所謂天下を治の德は、其用義を主とす。故に武德なり。
新字:武徳を総綱として、其領目に文武あり。内を調治るを文とし、外を威し制するを武とす。外国といへども、干戈を以て艸業せるの主は、武徳を以て其国を開基するに似たりといへども、本朝武門に所謂武徳にあらず、領目の武に応ぜり。而して其武亦 本朝の武に同じからず。金の称号は同して、其間鉄鈆の剛柔天壤を隔るが如し。日を同して語るべからず。外国に所謂四海を治の徳は、其用仁を主とす。故に文徳なり。武門に所謂天下を治の徳は、其用義を主とす。故に武徳なり。
書き下し
武德を總綱として、其領目に文武あり。內を調治るを文とし、外を威し制するを武とす。外國といへども、干戈を以て艸業せるの主は、武德を以て其國を開基するに似たりといへども、本朝武門に所謂武德にあらず、領目の武に應ぜり。而して其武亦 本朝の武に同じからず。金の稱號は同して、其間鐵鈆の剛柔天壤を隔るが如し。日を同して語るべからず。外國に所謂四海を治の德は、其用仁を主とす。故に文德なり。武門に所謂天下を治の德は、其用義を主とす。故に武德なり。
現代語訳
武徳を総綱として、その領目に文と武がある。内を調え治めるのを文とし、外を威し制するのを武とする。外国でも、干戈によって創業した主は、武徳で国を開いたかに見えるが、本朝の武門にいう武徳ではなく、領目の武にあたる。しかもその武も本朝の武と同じではない。金という称号は同じでも、鉄と鉛の剛柔が天地ほど隔たるようなものだ。同日に論じてはならない。外国にいう四海を治める徳は、その用は仁を主とする。ゆえに文徳である。武門にいう天下を治める徳は、その用は義を主とする。ゆえに武徳である。
解説
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