武訓 / 上・第19段
義は陰德なり。仁義の外、別に人の道とすべきものなし。易は、聖人の至れる敎なり。萬世の鏡なり。信ずべし。うたがふべからず。兵術も、亦、仁義の道の內の一事なり。文を以て、人をあはれみ、民をなつくるは仁なり。武を以て、敵をうち、亂をしづむるは義なり。文武の二は、たとへば、車の兩輪のごとく、鳥の兩翼のごとし。一かけては、身ををさめ、國天下を治めがたし。仁義は、道の本にて、體なり。文武は、仁義を行ふ用なり。用とは、たとへば、火を以て物をあたゝめ、水を以て物をうるほすが如し。故に、仁義の道の外に文武なく、文武の外に治法なく、兵術なし。敵に對して計謀を用ふるは、たとへば、西を攻めんとしては、其の東を襲ふの類なり。かくのごとく、事にのぞみ時に當りて、敵をはかり、權謀を行ふことは、さも有りなん。前にいへる兵術者の敵の如きは、仁義の道をすて、文武の法に背き、君臣、朋友およそ、人倫に對し、僞を行ひ、人の功名をうばひて、わが物とし、利を得るを以て、日本の武道とす。しかれども、まことの文武の道よりいはゞ、是を名づけて、盜賊といふ。
新字:義は陰徳なり。仁義の外、別に人の道とすべきものなし。易は、聖人の至れる教なり。万世の鏡なり。信ずべし。うたがふべからず。兵術も、亦、仁義の道の内の一事なり。文を以て、人をあはれみ、民をなつくるは仁なり。武を以て、敵をうち、乱をしづむるは義なり。文武の二は、たとへば、車の両輪のごとく、鳥の両翼のごとし。一かけては、身ををさめ、国天下を治めがたし。仁義は、道の本にて、体なり。文武は、仁義を行ふ用なり。用とは、たとへば、火を以て物をあたゝめ、水を以て物をうるほすが如し。故に、仁義の道の外に文武なく、文武の外に治法なく、兵術なし。敵に対して計謀を用ふるは、たとへば、西を攻めんとしては、其の東を襲ふの類なり。かくのごとく、事にのぞみ時に当りて、敵をはかり、権謀を行ふことは、さも有りなん。前にいへる兵術者の敵の如きは、仁義の道をすて、文武の法に背き、君臣、朋友およそ、人倫に対し、偽を行ひ、人の功名をうばひて、わが物とし、利を得るを以て、日本の武道とす。しかれども、まことの文武の道よりいはゞ、是を名づけて、盗賊といふ。
書き下し
義は陰德なり。仁義の外、別に人の道とすべきものなし。易は、聖人の至れる敎なり。萬世の鏡なり。信ずべし。うたがふべからず。兵術も、亦、仁義の道の內の一事なり。文を以て、人をあはれみ、民をなつくるは仁なり。武を以て、敵をうち、亂をしづむるは義なり。文武の二は、たとへば、車の兩輪のごとく、鳥の兩翼のごとし。一かけては、身ををさめ、國天下を治めがたし。仁義は、道の本にて、體なり。文武は、仁義を行ふ用なり。用とは、たとへば、火を以て物をあたゝめ、水を以て物をうるほすが如し。故に、仁義の道の外に文武なく、文武の外に治法なく、兵術なし。敵に對して計謀を用ふるは、たとへば、西を攻めんとしては、其の東を襲ふの類なり。かくのごとく、事にのぞみ時に當りて、敵をはかり、權謀を行ふことは、さも有りなん。前にいへる兵術者の敵の如きは、仁義の道をすて、文武の法に背き、君臣、朋友およそ、人倫に對し、僞を行ひ、人の功名をうばひて、わが物とし、利を得るを以て、日本の武道とす。しかれども、まことの文武の道よりいはゞ、是を名づけて、盜賊といふ。
現代語訳
義は陰の徳です。仁義のほかに、別に人の道とすべきものはありません。易は、聖人の至れる教えです。万世の鏡です。信じるべきです。疑ってはなりません。兵術もまた、仁義の道の内の一事です。文によって人を憐れみ、民をなつかせるのは仁です。武によって敵を討ち、乱を鎮めるのは義です。文武の二つは、たとえば車の両輪のようであり、鳥の両翼のようです。一つ欠ければ、身を修め、国や天下を治めることは難しくなります。仁義は、道の本であり体です。文武は、仁義を行う用です。用とは、たとえば、火で物を温め、水で物を潤すようなものです。ですから、仁義の道のほかに文武はなく、文武のほかに治める法はなく、兵術もありません。敵に対して計略を用いるのは、たとえば、西を攻めようとしてその東を襲うような類です。このように、事に臨み時に当たって、敵を推し量り、権謀を行うことは、それもあり得ることです。先に述べた兵術者の類は、仁義の道を捨て、文武の法にそむき、君臣・朋友をはじめ、およそ人倫に対して偽りを行い、人の功名を奪って自分のものとし、利を得ることを日本の武道とします。しかし、まことの文武の道から言えば、これを名づけて盗賊といいます。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『文武訓』武訓上易は聖人の至れる教なり、万世の鏡なり。信ずべし、うたがふべからず。兵術も亦仁義の道の内の一事なり。文を以て人をあはれみ、民をなつくるは仁なり、武を以て敵をうち、乱をしづむるは義なり。文武の二は、たとへば車の両輪のごとく、鳥の両翼のごとし。一闕けては、身ををさめ国天下を治めがたし。仁義は道の本にて体なり。文武は仁義を行ふ用なり。用とは、たとへば火を以て物をあたため、水を以て物をうるほすが如し。故に仁義の道の外に文武なく、文武の外に治法なく兵術なし。敵に対して計謀を用ふるは、たとへば西を攻めんとしては、其東を襲ふの類なり。かくのごとく、事にのぞみ時に当りて、敵をはかり、権謀を行ふことはさも有りなん。
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『文武訓』文訓下之末一仁義は道の体なり。文武は仁義の発用なり。文武其事同じからず、其道理は一なり。文は仁の発なり、武は義の発なり。文は人を愛し、衆を和ぐるの道なり。文にあらざれば、民をなつけ衆を安んずる事なし。武は人を戒め衆を厳にするの道なり。
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『慎思録』巻之六仁義は道の体なり。文武は仁義の用為り。是れ仁義の発する所なり。故に文武其の趣同じからずと雖も、之を要すれば則ち理は一なり。文は仁の発なり。人を愛し衆を和するの道なり。文に非ざれば民を懐け衆を安んずること能はず。武は義の発なり。人を戒め衆を厳にするの道なり。武に非ざれば敵を威し罪を正すこと能はず。故に文武並び行はるれば、則ち天下和平にして、黎民服す。古の良将は、必ず文武全才にして、能く万民を安定す。澆季の世は、文武岐れて両途と為る。文有る者は或は武無く、武有る者は多く文無し。全才と為すべからず。徒に武有りて文無ければ、則ち傖父と為る。徒に文有りて武無ければ、則ち腐儒と為る。各用ゐるべきの能有りと雖も、全才に非ざるなり。季世の俗は皆此くの如し。士人たる者は、務めて之を全うすべくして、偏勝すべからざる所以なり。
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『文武訓』武訓上もだして云はざらんも、むげに仁をうしなひてなさけなければ、本意にあらず。われ愚なれども、幼よりひじりの書をよみ、其道をたふとべる故、管見をここにのべ侍る。天地の間広しといへど、道はただ一のみ。やまとの道、もろこしの道とて、さらに二あるべからず。つはもののいにしへ道儒者の道とて二道なし。もろこしの武道、日本の武道、またなんぞ二あらんや。古の道、今の道、是亦かはるべからず。易に曰、天の道を立てて陰と陽といひ、人の道を立てて仁と義といふ。陰陽にあらざれば天の道行はれず、仁義にあらざれば人の道たたず。人に仁義の道あるは、天に陰陽あるが如し。仁は陽徳なり、義は陰徳なり。仁義の外別に人の道とすべきものなし。
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『文武訓』武訓上前にいへる兵術者の教の如きは、仁義の道を捨て、文武の法に背き、君臣、朋友、およそ人倫に対し偽を行ひ、人の功名をうばひてわが物とし、利を得るを以て日本の武道とす。しかれども、まことの文武の道よりいはば、是を名づけて盗賊といふ。利欲を専にして義理を捨つるは、是国を乱すのわざにして、乱をしづむる武の道にはあらず。上を犯し乱をおこす、乱臣賊子のしわざなり。日本の武道を以て、盗賊のしわざと同じく心得ること、むげにあさまし。少し心あらん人は其非を知るべし、詳に弁ずるにたらず。夫仁義の道、正直にしていつはりなき、是信なり。信なければ、からもやまとも古も今も、人道たたず。人道立たざれば武道も行はれず。主将たる人信なければ、士卒万民の心を得がたし。
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『文武訓』武訓下一兵を用ひ軍をおこすは、仁義によつて行ふべし。是文武を用ふるなり。もし文武によらずして兵を用ふるは、盗賊とする事をまぬかれがたし。凡兵を用ふるは、天地の物を生ずる仁心にそむく。聖人はやむことを得ずして兵を用ひ給ふ。是天道を行ひ給ふなり。聖人の兵は其義を行ひ給ふ。仁其中にあり。程子蝎の頌に、之を殺せば則ち仁を害し、之を放てば則ち義を傷る。是聖人の兵を用ひ給ふ心なり。
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