武備和訓 / 卷四・将の器を測る智信仁勇厳の五徳
一亦問、良雄は將の材器ありと、皆人謂り、然るや否や、答曰、良雄は三軍に將たるとも、其度量不足なきものか、問人願くば其詳なる事を聞む、愚云、夫大石氏は孫子のいへる智信仁勇嚴の五德を略兼たるもの也、將とは命を君に得て軍を統る者を將と云、軍とは人數の多少にしたがひて、敍をなして名目を立つるに、一萬二千五百人を以て一軍とせり、亂世には將と云、治世には輔弼の臣たり、良雄、君の不幸によりて、前後を辨る事なき時は、籠城の義を用ずして、世の褒貶を事ともせず、城を出で、自儒者の眞僞をし、敵を欺き、敵已に心を弛べ、備に怠る、又三百餘人の武士の能否を知、義士を擧、不臣を棄て、謀をして洩す事なきものは、是智なり、赤城を退く時、領中の鄕市に法令を出し、箋交易を止て、金銀に引換、諸借物等に至て、其返濟淸廉を盡して秋毫も犯す事なきは、是信なり、又用金を出して諸士に配する時、不臣の徒曰、知行高に應じて配すべしと、良雄曰、しからず、大臣小臣君をおもふ事ひとし、大臣は祿重きに依て、多く家財を貯ふ、小臣は足る事なければ家財少し、大臣は家財を沽却しても、三年は餓べからず、知行高に應じて割府せば、小臣の輩利少からんと云て、其身先づ金を少く收けり、莫求分則多といへるによく愜へり、是則仁なり、方に讐家に衝入て、白刄を蹈んで敵を挫ぎ、寇を得る事の晩きを恨て、諸士みな死むと憤怒するを、制して、死いまだ晩からず、號令のごとくは、兵を班さん事卯の刻也と、節制を加ふ、是則勇なり、四十餘人に令命するに、獨りも背くものなく、壯勇の士恐りて死なんと奮ふをも、能制之するに、一言半句も返す者なかりしは、是則嚴なり、これを合して將の五德といへり、恐くは古今の忠臣義士を辱ず、又三軍に將たるとも、其材に乏しからじ、國士無雙の人傑なりといへば、問人閉口す、
新字:一亦問、良雄は将の材器ありと、皆人謂り、然るや否や、答曰、良雄は三軍に将たるとも、其度量不足なきものか、問人願くば其詳なる事を聞む、愚云、夫大石氏は孫子のいへる智信仁勇厳の五徳を略兼たるもの也、将とは命を君に得て軍を統る者を将と云、軍とは人数の多少にしたがひて、叙をなして名目を立つるに、一万二千五百人を以て一軍とせり、乱世には将と云、治世には輔弼の臣たり、良雄、君の不幸によりて、前後を弁る事なき時は、籠城の義を用ずして、世の褒貶を事ともせず、城を出で、自儒者の真偽をし、敵を欺き、敵已に心を弛べ、備に怠る、又三百余人の武士の能否を知、義士を挙、不臣を棄て、謀をして洩す事なきものは、是智なり、赤城を退く時、領中の郷市に法令を出し、箋交易を止て、金銀に引換、諸借物等に至て、其返済清廉を尽して秋毫も犯す事なきは、是信なり、又用金を出して諸士に配する時、不臣の徒曰、知行高に応じて配すべしと、良雄曰、しからず、大臣小臣君をおもふ事ひとし、大臣は禄重きに依て、多く家財を貯ふ、小臣は足る事なければ家財少し、大臣は家財を沽却しても、三年は餓べからず、知行高に応じて割府せば、小臣の輩利少からんと云て、其身先づ金を少く収けり、莫求分則多といへるによく愜へり、是則仁なり、方に讐家に衝入て、白刄を蹈んで敵を挫ぎ、寇を得る事の晩きを恨て、諸士みな死むと憤怒するを、制して、死いまだ晩からず、号令のごとくは、兵を班さん事卯の刻也と、節制を加ふ、是則勇なり、四十余人に令命するに、独りも背くものなく、壮勇の士恐りて死なんと奮ふをも、能制之するに、一言半句も返す者なかりしは、是則厳なり、これを合して将の五徳といへり、恐くは古今の忠臣義士を辱ず、又三軍に将たるとも、其材に乏しからじ、国士無双の人傑なりといへば、問人閉口す、
書き下し
一亦問、良雄は將の材器ありと、皆人謂り、然るや否や、答曰、良雄は三軍に將たるとも、其度量不足なきものか、問人願くば其詳なる事を聞む、愚云、夫大石氏は孫子のいへる智信仁勇嚴の五德を略兼たるもの也、將とは命を君に得て軍を統る者を將と云、軍とは人數の多少にしたがひて、敍をなして名目を立つるに、一萬二千五百人を以て一軍とせり、亂世には將と云、治世には輔弼の臣たり、良雄、君の不幸によりて、前後を辨る事なき時は、籠城の義を用ずして、世の褒貶を事ともせず、城を出で、自儒者の眞僞をし、敵を欺き、敵已に心を弛べ、備に怠る、又三百餘人の武士の能否を知、義士を擧、不臣を棄て、謀をして洩す事なきものは、是智なり、赤城を退く時、領中の鄕市に法令を出し、箋交易を止て、金銀に引換、諸借物等に至て、其返濟淸廉を盡して秋毫も犯す事なきは、是信なり、又用金を出して諸士に配する時、不臣の徒曰、知行高に應じて配すべしと、良雄曰、しからず、大臣小臣君をおもふ事ひとし、大臣は祿重きに依て、多く家財を貯ふ、小臣は足る事なければ家財少し、大臣は家財を沽却しても、三年は餓べからず、知行高に應じて割府せば、小臣の輩利少からんと云て、其身先づ金を少く收けり、莫求分則多といへるによく愜へり、是則仁なり、方に讐家に衝入て、白刄を蹈んで敵を挫ぎ、寇を得る事の晩きを恨て、諸士みな死むと憤怒するを、制して、死いまだ晩からず、號令のごとくは、兵を班さん事卯の刻也と、節制を加ふ、是則勇なり、四十餘人に令命するに、獨りも背くものなく、壯勇の士恐りて死なんと奮ふをも、能制之するに、一言半句も返す者なかりしは、是則嚴なり、これを合して將の五德といへり、恐くは古今の忠臣義士を辱ず、又三軍に將たるとも、其材に乏しからじ、國士無雙の人傑なりといへば、問人閉口す、
現代語訳
一つ、また問われました。良雄は将の器があると皆が言いますが、そうでしょうか。答えて言いました。良雄は三軍の将となっても、その度量に不足はないでしょう。問うた人は、その詳しい事を聞きたいと願いました。私は言いました。そもそも大石氏は、孫子のいう智・信・仁・勇・厳の五徳をおおむね兼ね備えた人です。将とは君から命を受けて軍を統べる者をいいます。軍とは人数の多少に従って序列を立てて名目を定めるもので、一万二千五百人を一軍とします。乱世には将といい、治世には輔弼の臣です。良雄は、君の不幸により前後を弁えることができなくなったとき、籠城の義を用いず、世の褒貶を気にせず、城を出て、自ら儒者の真偽をなし(この句は意味が取りにくい箇所です)、敵を欺き、敵がすでに心をゆるめ、備えを怠るようにし、また三百余人の武士の能否を知り、義士を挙げ、不臣を棄て、謀を漏らさなかったのは、智です。赤城を退くとき、領内の郷や市に法令を出し、箋(藩札)の交易を止めて金銀に引き換え、諸借物などに至るまで返済を清廉に尽くして、わずかも犯すことがなかったのは、信です。また用金を出して諸士に配るとき、不臣の徒が、知行高に応じて配るべきだと言いました。良雄は、そうではない、大臣も小臣も君を思うことは等しい、大臣は禄が重いので多く家財を貯えている、小臣は足りないので家財が少ない、大臣は家財を売り払っても三年は飢えることがない、知行高に応じて割り付けたら、小臣の者の利は少なくなると言って、その身はまず金を少なく受け取りました。分を求めなければかえって多い、という言葉によくかなっています。これは仁です。まさに仇の家に突き入り、白刃を踏んで敵をくじき、仇を得るのが遅いことを恨んで、諸士がみな死のうと憤怒するのを制して、死ぬのはまだ遅くない、号令のとおり、兵を引き上げるのは卯の刻だと節制を加えました。これは勇です。四十余人に命令するのに、一人も背く者がなく、壮勇の士が怒って死のうと奮うのをよく制しても、一言半句も返す者がなかったのは、厳です。これらを合わせて将の五徳といいます。おそらく古今の忠臣義士に恥じないでしょう。また三軍の将となっても、その才に乏しくないでしょう。国士無双の人傑だと言うと、問うた人は口を閉ざしました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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