史記 / 周本紀
古公亶父復修后稷、公劉之業,積德行義,國人皆戴之。薰育戎狄攻之,欲得財物,予之。已復攻,欲得地與民。民皆怒,欲戰。古公曰:「有民立君,將以利之。今戎狄所為攻戰,以吾地與民。民之在我,與其在彼,何異。民欲以我故戰,殺人父子而君之,予不忍為。」乃與私屬遂去豳,度漆、沮,踰梁山,止於岐下。豳人舉國扶老攜弱,盡復歸古公於岐下。及他旁國聞古公仁,亦多歸之。於是古公乃貶戎狄之俗,而營筑城郭室屋,而邑別居之。作五官有司。民皆歌樂之,頌其德。
新字:古公亶父復修后稷、公劉之業,積徳行義,国人皆戴之。薫育戎狄攻之,欲得財物,予之。已復攻,欲得地与民。民皆怒,欲戦。古公曰:「有民立君,将以利之。今戎狄所為攻戦,以吾地与民。民之在我,与其在彼,何異。民欲以我故戦,殺人父子而君之,予不忍為。」乃与私属遂去豳,度漆、沮,踰梁山,止於岐下。豳人舉国扶老攜弱,尽復帰古公於岐下。及他旁国聞古公仁,亦多帰之。於是古公乃貶戎狄之俗,而営筑城郭室屋,而邑別居之。作五官有司。民皆歌楽之,頌其徳。
書き下し
古公亶父復た后稷・公劉の業を修め、徳を積み義を行ひ、国人皆之を戴く。薫育の戎狄之を攻め、財物を得んと欲す、之を予ふ。已にして復た攻め、地と民とを得んと欲す。民皆怒り、戦はんと欲す。古公曰く、「民有りて君を立つるは、将に以て之を利せんとするなり。今戎狄の攻戦を為す所は、吾が地と民とを以てなり。民の我に在ると、其の彼に在ると、何ぞ異ならん。民我が故を以て戦はんと欲す、人の父子を殺して之に君たるは、予為すに忍びず」と。乃ち私属と遂に豳を去り、漆・沮を度り、梁山を踰え、岐下に止まる。豳人国を挙げて老を扶け弱を携へ、尽く復た古公に岐下に帰す。及び他の旁国も古公の仁を聞き、亦多く之に帰す。是に於て古公乃ち戎狄の俗を貶して、城郭室屋を営築し、而して邑をして別れて之に居らしむ。五官有司を作る。民皆之を歌楽し、其の徳を頌す。
現代語訳
古公亶父は再び后稷・公劉の事業を修め、徳を積み義を行い、国の人々はみな彼を君主として仰いだ。薫育(くんいく)などの戎狄が攻めてきて財物を求めたので、古公はこれを与えた。しばらくするとまた攻めてきて、今度は土地と民を求めた。民はみな怒り、戦おうとした。古公は言った。「民が君主を立てるのは、君主に民を利してもらうためである。今、戎狄が攻めてくるのは、私の土地と民が欲しいからだ。民が私のもとにいるのと、彼らのもとにいるのと、何の違いがあろう。民は私のために戦おうとしているが、人の父や子を殺してまでその上に君主として立つことは、私には忍びない。」そこで自分の一族や家臣とともに豳を去り、漆水・沮水を渡り、梁山を越えて、岐山のふもとに落ち着いた。すると豳の人々は国を挙げて、老人を助け幼い者の手を引いて、みな再び岐山のふもとの古公のもとへやって来た。近隣の国々も古公の仁徳を聞いて、多くの者が身を寄せた。そこで古公は戎狄の風俗を改め、城郭や家屋を築き、村ごとに分けて住まわせた。五つの官職を設けて役人を置いた。民はみな喜んで歌い、その徳をたたえた。
解説
関連する章句
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呂氏春秋・審爲②太王亶父、邠に居りしとき、狄人、之を攻む。事うるに皮帛を以てすれども受けず、事うるに珠玉を以てすれども肯ぜず。狄人の求むる所の者は地なり。太王亶父曰く、「人の兄と居りて其の弟を殺し、人の父と處りて其の子を殺すは、吾為すに忍びざるなり。皆勉めて處れ。吾が臣為ると狄人の臣たると、奚を以て異ならん。且つ吾之を聞く、養う所以を以て養う所を害せず、と。」策を杖つきて去る、民相連りて之に從い、遂に國を岐山の下に成せり。太王亶父、能く生を尊べりと謂う可し。能く生を尊ぶものは、富貴と雖も養を以て身を傷わず。貧賤と雖も利を以て形を累わさず。今其の先人の爵祿を受くれば、則ち必ず之を失うことを重んず。生の自ら來たる所の者は久し、而るに之を失うことを輕んずるは、豈に惑わずや。
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史記 周本紀周の后稷は、名を棄とす。其の母は有邰氏の女にして、姜原と曰ふ。姜原は帝嚳の元妃為り。姜原野に出で、巨人の跡を見、心忻然として説び、之を践まんと欲す。之を践みて身動くこと孕める者の如し。期に居りて子を生む。以て不祥と為し、之を隘巷に棄つるに、馬牛の過ぐる者皆辟けて践まず。徙して之を林中に置くに、適山林に人多きに会ひ、之を遷す。而して渠中の氷上に棄つるに、飛鳥其の翼を以て之を覆薦す。姜原以て神と為し、遂に収めて之を養長す。初め之を棄てんと欲す、因りて名づけて棄と曰ふ。棄児為りし時、屹として巨人の志の如し。其の游戯するや、好んで麻・菽を種樹し、麻・菽美なり。成人と為るに及び、遂に耕農を好み、地の宜しきを相し、穀に宜しき者は焉に稼穡す。民皆之に法則す。帝堯之を聞き、棄を挙げて農師と為す。天下其の利を得て、功有り。帝舜曰く、「棄、黎民始めて饑う。爾后稷となりて時に百穀を播け」と。棄を邰に封じ、号して后稷と曰ひ、別に姫氏を姓とす。后稷の興るは、陶唐・虞・夏の際に在り、皆令徳有り。后稷卒し、子不窋立つ。不窋の末年、夏后氏の政衰へ、稷を去りて務めず。不窋以て其の官を失ひて戎狄の間に犇る。不窋卒し、子鞠立つ。鞠卒し、子公劉立つ。公劉戎狄の間に在りと雖も、復た后稷の業を修め、耕種を務め、地宜を行ひ、漆・沮より渭を度り、材用を取る。行く者に資有り、居る者に畜積有り、民其の慶に頼る。百姓之を懐ひ、多く徙りて保帰す。周道の興ること此より始まる。故に詩人歌楽して其の徳を思ふ。公劉卒し、子慶節立ち、豳に国す。慶節卒し、子皇仆立つ。皇仆卒し、子差弗立つ。差弗卒し、子毀隃立つ。毀隃卒し、子公非立つ。公非卒し、子高圉立つ。高圉卒し、子亜圉立つ。亜圉卒し、子公叔祖類立つ。公叔祖類卒し、子古公亶父立つ。
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史記 周本紀古公に長子有り太伯と曰ひ、次を虞仲と曰ふ。太姜少子季歷を生む、季歷太任を娶る、皆賢婦人なり、昌を生む、聖瑞有り。古公曰く、「我が世当に興る者有るべし、其れ昌に在るか」と。長子太伯・虞仲古公の季歷を立てて以て昌に伝へんと欲するを知り、乃ち二人亡げて荊蠻に如き、身に文し髪を断ち、以て季歷に譲る。
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説苑・至公諸侯の義は社稷に死すとは、大王國を委てて去るは何ぞや。夫れ聖人は強暴をして百姓を侵陵せしめんことを欲せず、故に諸侯をして國に死して其の民を守らしむ。大王至仁の恩有り、百姓を戰わしむるに忍びず、故に勳育戎氏に事うるに犬馬珍幣を以てするも、伐すること止まず。其の欲する所を問えば、土地なり。是に於て其の群臣耆老を屬めて、之に告げて曰く、「土地なる者は、人を養う所以なり。養う所以を以て其の慈を害せず、吾將に之を去らんとす」と。遂に岐山の下に居る。邠人幼を負い老を扶けて之に從うこと、父母に歸するが如し。三たび遷りて民其の初めに五倍する者は、皆仁義を興し上に趣くの事なり。君子の國を守り民を安んずるは、特に兵を鬥わせ士眾を罷殺するのみに非ず。其の身を私せず民を惟い、用を足して民を保つは、蓋し國を去るの義たる所以なり、是を至公と謂うのみ。
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史記 周本紀古公卒し、季歴立つ。是を公季と為す。公季古公の遺道を修め、行義に篤く、諸侯之に順ふ。公季卒し、子昌立つ。是を西伯と為す。
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荘子・譲王大王亶父(たいおうたんぽ)邠(ひん)に居る。狄人(てきじん)之を攻む。之に事(つか)うるに皮帛を以てするも受けず。之に事うるに犬馬を以てするも受けず。之に事うるに珠玉を以てするも受けず。狄人の求むる所の者は土地なり。大王亶父曰く、「人の兄と与に居りて其の弟を殺し、人の父と与に居りて其の子を殺すは、吾忍びざるなり。子皆な勉めて居れ。吾が臣たると狄人の臣たると、奚(なに)を以て異ならんや。且つ吾之を聞く、用うる所を以て養う所を害せずと」と。因りて杖策して之を去る。民相連なりて之に従い、遂に国を岐山の下に成す。夫れ大王亶父は能く生を尊ぶと謂うべし。能く生を尊ぶ者は、貴富なりと雖も養を以て身を傷(そこな)わず、貧賎なりと雖も利を以て形を累(わずら)わさず。今世の人、高官尊爵に居る者は、皆な之を失うを重(おも)んず。利を見て軽々しく其の身を亡ぼす。豈に惑わずや。
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