武備和訓 / 卷三・見た目より働きを見て馬を飼う
一馬を飼に心得有べし、必見分の美しき馬は、用に不立よし也、或心がけの大名の馬を飼れしを見しに、大豆の葉を煮ず、寒中といへども、水につけて、一宿し、しぼりて、熱湯をかけ、粉糠を和し拌て、豆少しばかり加へて、一日に三度飼之、其乘事、のり間近く、遠のり、遠引を專とし、險難、石原、砂原、曠原、深田等の如きを、沓をうたずして、驅足、野足を乘りて、彼が性の儘に乘たて、少も此方より、彼に足並、其外を敎る事なし、尋常の、乘馬ののりあひ、地道、速道は、御者此方より敎へたるもの、驅足野足は、彼が天性なり、その美を好んで、心がけのうすきとは、間相の吟味もなく、曲のせんさくもなく、唯毛色の美を好み、筋を切、前をとる事を憚び、後は上一間とて、後足の蹈ばり廣きをよしとし、尾筋をたちて、尾をさすを美なりとし、見分のみにかゝわる事、大に武の本意にちがひ候、間は、我鍛鍊に應じて、分別すべし、曲は轡ずまひ、つけずまひ、乘ずまひ、物を見る事の甚きと、きれ口と、こむと、後馬をふむと、のせてたつと、鎧おどろきと、是等は曲の大成物也、筋をたちたる馬は、遠路を乘事、深田をおどり出る事、堀切を飛踰る事、決してならず、後上一間なるは、細道を乘るに害あり、其戰塲に赴きて、馬に髮を結ひ、首毛を燒できのつたなきわざ、相成べき事なるや、いなやを辨ふべし、惣て武は、心を用て變に備ふるを武とし、上をかざりて、心の備を失ふを、婦女の道とせり、武人それおもわざるべけんや、
新字:一馬を飼に心得有べし、必見分の美しき馬は、用に不立よし也、或心がけの大名の馬を飼れしを見しに、大豆の葉を煮ず、寒中といへども、水につけて、一宿し、しぼりて、熱湯をかけ、粉糠を和し拌て、豆少しばかり加へて、一日に三度飼之、其乗事、のり間近く、遠のり、遠引を専とし、険難、石原、砂原、曠原、深田等の如きを、沓をうたずして、駆足、野足を乗りて、彼が性の儘に乗たて、少も此方より、彼に足並、其外を教る事なし、尋常の、乗馬ののりあひ、地道、速道は、御者此方より教へたるもの、駆足野足は、彼が天性なり、その美を好んで、心がけのうすきとは、間相の吟味もなく、曲のせんさくもなく、唯毛色の美を好み、筋を切、前をとる事を憚び、後は上一間とて、後足の蹈ばり広きをよしとし、尾筋をたちて、尾をさすを美なりとし、見分のみにかゝわる事、大に武の本意にちがひ候、間は、我鍛錬に応じて、分別すべし、曲は轡ずまひ、つけずまひ、乗ずまひ、物を見る事の甚きと、きれ口と、こむと、後馬をふむと、のせてたつと、鎧おどろきと、是等は曲の大成物也、筋をたちたる馬は、遠路を乗事、深田をおどり出る事、堀切を飛踰る事、決してならず、後上一間なるは、細道を乗るに害あり、其戦塲に赴きて、馬に髪を結ひ、首毛を焼できのつたなきわざ、相成べき事なるや、いなやを弁ふべし、惣て武は、心を用て変に備ふるを武とし、上をかざりて、心の備を失ふを、婦女の道とせり、武人それおもわざるべけんや、
書き下し
一馬を飼に心得有べし、必見分の美しき馬は、用に不立よし也、或心がけの大名の馬を飼れしを見しに、大豆の葉を煮ず、寒中といへども、水につけて、一宿し、しぼりて、熱湯をかけ、粉糠を和し拌て、豆少しばかり加へて、一日に三度飼之、其乘事、のり間近く、遠のり、遠引を專とし、險難、石原、砂原、曠原、深田等の如きを、沓をうたずして、驅足、野足を乘りて、彼が性の儘に乘たて、少も此方より、彼に足並、其外を敎る事なし、尋常の、乘馬ののりあひ、地道、速道は、御者此方より敎へたるもの、驅足野足は、彼が天性なり、その美を好んで、心がけのうすきとは、間相の吟味もなく、曲のせんさくもなく、唯毛色の美を好み、筋を切、前をとる事を憚び、後は上一間とて、後足の蹈ばり廣きをよしとし、尾筋をたちて、尾をさすを美なりとし、見分のみにかゝわる事、大に武の本意にちがひ候、間は、我鍛鍊に應じて、分別すべし、曲は轡ずまひ、つけずまひ、乘ずまひ、物を見る事の甚きと、きれ口と、こむと、後馬をふむと、のせてたつと、鎧おどろきと、是等は曲の大成物也、筋をたちたる馬は、遠路を乘事、深田をおどり出る事、堀切を飛踰る事、決してならず、後上一間なるは、細道を乘るに害あり、其戰塲に赴きて、馬に髮を結ひ、首毛を燒できのつたなきわざ、相成べき事なるや、いなやを辨ふべし、惣て武は、心を用て變に備ふるを武とし、上をかざりて、心の備を失ふを、婦女の道とせり、武人それおもわざるべけんや、
現代語訳
一つ、馬を飼うには心得があります。見た目の美しい馬は必ず役に立たないそうです。ある心がけのある大名が馬を飼われているのを見たところ、大豆の葉を煮ず、寒中でも水につけて一晩置き、絞って熱湯をかけ、粉糠を和えて混ぜ、豆を少しばかり加えて、一日に三度飼っていました。その乗り方は、近乗り・遠乗り・遠引を専らとし、険しい所、石原、砂原、広い野原、深い田などを、沓を打たずに、駆け足、野足で乗り、馬の性のままに乗り立て、少しもこちらから足並みなどを教えることはしませんでした。普通の乗馬の乗り合い、地道・速道は、御者がこちらから教えたものですが、駆け足・野足は馬の天性です。その美を好んで心がけが薄い人は、間合いの吟味もなく、曲の詮索もなく、ただ毛色の美しさを好み、筋を切り、前髪を取ることを嫌い、後ろは上一間といって後足の踏ん張りが広いのをよしとし、尾筋を立てて尾を差すのを美とし、見た目ばかりにかかわります。これは武の本意に大いに違います。間は自分の鍛錬に応じて分別すべきです。曲(馬の癖・性質)とは、轡ずまい、付けずまい、乗りずまい、物を見ることのはなはだしいこと、切れ口、込む、後ろ馬を踏む、乗せて立つ、鎧驚きといったもので、これらは曲の大きなものです。筋を切った馬は、遠路を乗ること、深田を躍り出ること、堀切を飛び越えることは決してできません。後ろが上一間の馬は、細道を乗るのに害があります。戦場に赴いて、馬に髪を結い、首毛を焼いて飾ることが、技の拙い者にできることかどうかを弁えるべきです。すべて武は、心を用いて変事に備えるのを武とし、上辺を飾って心の備えを失うのを婦女の道とします。武人はこのことを思わずにいられましょうか。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『武訓』上・第7段兵錄にいはく、士をしらぶる法に曰、用ふべからざる者五あり。一には、市中に居て、あそびたはふれて、ゆるやかにそだちたる者。二には、花鎗花刀とて、やり太刀をつかふに、花やかにうつくしきを專にして、敵にかつことを專にせざる藝は用なし。三には、年四十をこえて、ちからよわき人。四には、好んで大言をなして、僞をいひ、あだこと多くいふ人は、實なるはたらきなし。五には、面白く膽よわき人は、つよきはたらきなりがたし。
-
『晏子春秋』外篇上・晏子再治東阿上計景公迎賀晏子辭晏子東阿を治むること三年、景公召して之を数めて曰く、「吾子を以て可と為し、子をして東阿を治めしむ。今子治めて乱る。子退きて自ら察せよ。寡人将に大誅を子に加えんとす」と。晏子対えて曰く、「臣請う、道を改めて行い、而して東阿を治むること三年ならん。治まらずんば、臣請う之に死せん」と。景公之を許す。是に於て明年上計するに、景公迎えて之を賀して曰く、「甚だ善し、子の東阿を治むるや」と。晏子対えて曰く、「前に臣の東阿を治むるや、属托行われず、貨賂至らず、陂池の魚は、以て貧民に利す。此の時に当たり、民に饑うる者無きに、君は反って臣を罪す。今臣の後に東阿を治むるや、属托行われ、貨賂至り、並びに賦斂を重くし、倉庫内を少くし、左右に便事す。陂池の魚は、権家に入る。此の時に当たり、饑うる者半ばを過ぐるに、君乃ち反って迎えて臣を賀す。臣愚にして復た東阿を治むる能わず、願わくは骸骨を乞い、賢者の路を避けん」と。再拝して、便辟す。景公乃ち席を下りて之に謝して曰く、「子強いて復た東阿を治めよ。東阿は、子の東阿なり。寡人復た与ること無からん」と。
-
『酔古堂剣掃』集醒・事は脫空を忌み人は落套を怕る事は脫空を忌み、人は落套を怕る。
-
言志四録・言志晩録 第百八十三条 寧ろ実響有るも虚声有る勿れ名誉は、人の争ひ求むる所にして、又人の群がり毀る所なり。君子は只是れ一実のみ。寧ろ実響有るも、虚声有ること勿れ。
-
尚書・周官明王の政を立つるや、其の官のみならず、其の人のみす。
-
『墨子』魯問子墨子曰く、曹公子を出だして宋に於いてす。三年にして反る。子墨子を睹て曰く、「始め吾れ子の門に游びしとき、短褐の衣、藿羮も朝に之を得れば則ち夕に得ず、鬼神を祭祀す。而して夫子の政を以て家、始めより厚し。家、厚きこと有りて謹んで鬼神を祭祀す。然り而して人徒、多く死し、六畜、蕃らず、身は病に湛む。吾れ未だ夫子の道の用う可きを知らざるなり」と。子墨子曰く、「然らず。夫れ鬼神の人に欲する所の者は多し。人の髙爵禄に處らば則ち以て賢に讓り、財多ければ則ち以て貧に分かつを欲す。夫れ鬼神、豈に唯だ擢季拑肺を之れ欲せんや。今、子は髙爵禄に處りて以て賢に讓らず、一の不祥なり。財多くして以て貧に分かたず、二の不祥なり。今、子、鬼神に事うるは、唯だ祭るのみ。而して曰く、『病、何自り至れるか』と。是れ猶お百門にして一門を閉じて、『盜、何從り入らん』と曰うがごときなり。是くの若くして福を求むるは、怪の鬼に於いて有らんや。豈に可ならんや」と。