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武備和訓 / 卷三・弓馬は一体で鍛え、昔を疑わない

一馬上の態事を、揚馬(或は軍馬)といへり、むかしは弓馬を以て二ッとせず、弓を能射れども、馬に得ざれば射人にあらず、馬をよく乘れども、射をよくせざれば騎乘の達人とせず、源爲朝、平敎經など、唯强弓と稱して、弓馬の達人とはせず、尤人にもよるべければ、賴朝卿の時代、和田義盛、下河部庄司、海野幸氏、愛甲季隆等、七八人の輩、亦者本間重氏などの如きを弓馬の達者とせり、賴朝卿の富士淺間の間に狩し給ふ事は皆是弓馬の鍛鍊なり、其時代には馬に逸散をかけて弓を射或は險難の土地を乘事、當代平塲におゐて乘摸を習ふがごとし、さるに依て、千仭の絕壁、一谷の後のごときも、人馬ともに難しとせざるは、常に弓馬の鍛鍊怠りなきが故也、當世の武士、當代の鍛鍊を以其時代にあてゝ、一谷後は、馬は及がたし、一日六十里は乘れじと、己が不鍛鍊にして、管見を以て妄りに異論を立る事、誠に可笑也、されば弓馬をよくする時は、太刀打、組打、何れの態にわたりても、皆同事なり、近代合戰の道精くなりて、馬上の勝負をせざるにより、自然と其態衰へし事、尤悼むべし、されば乘摸と、揚馬と二ッにわかれたるは、坐合と劔術とのごとし、最初乘かたを達者して、次に揚馬を習ふべし、乘摸は優劣を論ぜず、多くの馬を乘を以よしとすべし、揚馬は流派の勝劣あるべし、(神山流と云者諸流に優れり、腰手綱にて兵器を持ものは拙し、)聊もむかしの弓馬の俤の殘るは、神社の流鏑馬なり、當代にも軍理に明ならずして、馬のかけ足の內に砲弓を射るなど云人もあれども、主意違ひたれば探にはたらず、しかしながらやむには增り候べし、必名師に從て弓馬の道を鍛鍊すべし、當世の火事塲といふとも、馬上に達せずしては、人に先を越されん事眼前なるべし、

新字:一馬上の態事を、揚馬(或は軍馬)といへり、むかしは弓馬を以て二ッとせず、弓を能射れども、馬に得ざれば射人にあらず、馬をよく乗れども、射をよくせざれば騎乗の達人とせず、源為朝、平教経など、唯強弓と称して、弓馬の達人とはせず、尤人にもよるべければ、頼朝卿の時代、和田義盛、下河部庄司、海野幸氏、愛甲季隆等、七八人の輩、亦者本間重氏などの如きを弓馬の達者とせり、頼朝卿の富士浅間の間に狩し給ふ事は皆是弓馬の鍛錬なり、其時代には馬に逸散をかけて弓を射或は険難の土地を乗事、当代平塲におゐて乗摸を習ふがごとし、さるに依て、千仭の絶壁、一谷の後のごときも、人馬ともに難しとせざるは、常に弓馬の鍛錬怠りなきが故也、当世の武士、当代の鍛錬を以其時代にあてゝ、一谷後は、馬は及がたし、一日六十里は乗れじと、己が不鍛錬にして、管見を以て妄りに異論を立る事、誠に可笑也、されば弓馬をよくする時は、太刀打、組打、何れの態にわたりても、皆同事なり、近代合戦の道精くなりて、馬上の勝負をせざるにより、自然と其態衰へし事、尤悼むべし、されば乗摸と、揚馬と二ッにわかれたるは、坐合と剣術とのごとし、最初乗かたを達者して、次に揚馬を習ふべし、乗摸は優劣を論ぜず、多くの馬を乗を以よしとすべし、揚馬は流派の勝劣あるべし、(神山流と云者諸流に優れり、腰手綱にて兵器を持ものは拙し、)聊もむかしの弓馬の俤の残るは、神社の流鏑馬なり、当代にも軍理に明ならずして、馬のかけ足の内に砲弓を射るなど云人もあれども、主意違ひたれば探にはたらず、しかしながらやむには增り候べし、必名師に従て弓馬の道を鍛錬すべし、当世の火事塲といふとも、馬上に達せずしては、人に先を越されん事眼前なるべし、

書き下し

一馬上の態事を、揚馬(或は軍馬)といへり、むかしは弓馬を以て二ッとせず、弓を能射れども、馬に得ざれば射人にあらず、馬をよく乘れども、射をよくせざれば騎乘の達人とせず、源爲朝、平敎經など、唯强弓と稱して、弓馬の達人とはせず、尤人にもよるべければ、賴朝卿の時代、和田義盛、下河部庄司、海野幸氏、愛甲季隆等、七八人の輩、亦者本間重氏などの如きを弓馬の達者とせり、賴朝卿の富士淺間の間に狩し給ふ事は皆是弓馬の鍛鍊なり、其時代には馬に逸散をかけて弓を射或は險難の土地を乘事、當代平塲におゐて乘摸を習ふがごとし、さるに依て、千仭の絕壁、一谷の後のごときも、人馬ともに難しとせざるは、常に弓馬の鍛鍊怠りなきが故也、當世の武士、當代の鍛鍊を以其時代にあてゝ、一谷後は、馬は及がたし、一日六十里は乘れじと、己が不鍛鍊にして、管見を以て妄りに異論を立る事、誠に可笑也、されば弓馬をよくする時は、太刀打、組打、何れの態にわたりても、皆同事なり、近代合戰の道精くなりて、馬上の勝負をせざるにより、自然と其態衰へし事、尤悼むべし、されば乘摸と、揚馬と二ッにわかれたるは、坐合と劔術とのごとし、最初乘かたを達者して、次に揚馬を習ふべし、乘摸は優劣を論ぜず、多くの馬を乘を以よしとすべし、揚馬は流派の勝劣あるべし、(神山流と云者諸流に優れり、腰手綱にて兵器を持ものは拙し、)聊もむかしの弓馬の俤の殘るは、神社の流鏑馬なり、當代にも軍理に明ならずして、馬のかけ足の內に砲弓を射るなど云人もあれども、主意違ひたれば探にはたらず、しかしながらやむには增り候べし、必名師に從て弓馬の道を鍛鍊すべし、當世の火事塲といふとも、馬上に達せずしては、人に先を越されん事眼前なるべし、

現代語訳

一つ、馬上の技を揚馬(あるいは軍馬)といいます。昔は弓と馬を二つに分けず、弓をよく射ても馬に長けていなければ射手ではなく、馬をよく乗りこなしても射が下手なら騎乗の達人とはしませんでした。源為朝、平教経などは、ただ強弓と称して弓馬の達人とはしませんでした。もっとも人にもよりますが、頼朝卿の時代には、和田義盛、下河部庄司、海野幸氏、愛甲季隆ら七、八人の者、また本間重氏などを弓馬の達者としました。頼朝卿が富士や浅間のあたりで狩りをなさったのは、みな弓馬の鍛錬のためです。その時代には、馬を全力で走らせて弓を射、あるいは険しい難所の土地を乗ることは、今の世で平らな馬場で乗り方を習うようなものでした。それゆえ、千仞の絶壁や一ノ谷の後ろのような所も、人馬ともに難しいとしなかったのは、常に弓馬の鍛錬を怠らなかったからです。今の世の武士は、今の鍛錬をその時代に当てはめて、一ノ谷の後ろは馬には無理だ、一日六十里は乗れまいと、自分の鍛錬不足を棚に上げて、狭い見識でみだりに異論を立てるのは、まことに笑うべきことです。弓馬をよくすれば、太刀打ち、組み打ち、どの技にわたっても皆同じことです。近代は合戦の道が精密になり、馬上の勝負をしなくなったので、自然とその技が衰えたことは、まことに嘆かわしいことです。乗り模(基本の乗り方)と揚馬が二つに分かれているのは、座合と剣術のようなものです。最初に乗り方を達者にして、次に揚馬を習うべきです。乗り模は優劣を論ぜず、多くの馬に乗るのがよいのです。揚馬は流派の優劣があります(神山流というものが諸流に優れています。腰手綱で兵器を持つ者は拙いです)。わずかに昔の弓馬の面影が残るのは、神社の流鏑馬です。今の世にも軍理に明るくなく、馬の駆け足の内に砲や弓を射るという人もいますが、主旨が違うので実用の役にはたちません。しかしながら、やらないよりはましです。必ず名師に従って弓馬の道を鍛錬すべきです。今の世の火事場であっても、馬上に達していなければ、人に先を越されることは目に見えています。

解説

昔の武士は弓と馬を一体として鍛え、険しい地形でも難としなかったのは、日頃の鍛錬を怠らなかったからだと述べる章句です。今の人が自分の未熟さを棚に上げて昔の話を疑うのは笑うべきことだと戒め、基礎の乗り方を先に固めてから応用へ進む順序も示します。管理職にとっては、過去の成功例を自分の経験の狭さから否定しないこと、基礎を固めてから応用へ進む育成の順序を設計すること、よい師に学ぶ姿勢を持つことが実践のヒントになります。
『人生の方程式』の表紙

人生を、一行の式にしてみた。

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この章句が説くこと

『武備和訓』片島武矩弓馬基礎鍛錬育成

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