武備和訓 / 卷二・道の大本を立て、利を捨てて学ぶ
一武士文武の藝を習ふは、己れが仁義の家業を忘れず、忠孝を失ふまじき爲なれば、道の大本を立て、私の利を舍つべし、多くは道を捨て、利にもとづくにより、師を殺し、君父に乖く如きの人、武門に多し、君父師に背きて、己が身を立るは、禽獸にもあるまじき道なり、誠に小き蟲なれども、蜂にさへ君臣の義あり、主を殺す虫あれば、必ず臣讎を復する事目前也、然れば道をしらずして血勇に誇り、仁義の家業を忘れたるは、蜂にもおとりたれば、禽獸ともいふべからず、まして況や武士をや、武は則義なり、義は武の德なれば、武士を通稱して義士といはんも可ならんか、かならずしも、武士の義あるべき事の、勿論なるを思ふべし、次に智を明にして、善を善とし、惡を惡とし、假令君父師の事跡たりとも、惡を捨て、善を習ふべし、聖人にあらざれば、過なき事あたわず、されば軍術を學ぶとも、先づ仁義王道の兵法を尋聞て、道の大本を察し、其後和軍を習稽ふべし、深く文字に通ぜずとも、王覇の兵論を聞事難しとすべからず、先其大意を聞定て、後に和の軍術を習はゞ、心利貪にかたまる事あるべからず、必ず人少年の時、聞容たる事を是とし、壯年の後に聞事を非とするものなり、必ず心得べし、若心、利にうつり、忠孝にくらくば、長く大勇を曉る事あるべからず、當世には人文過半ひらけて、和げ著す處の書多く、俗に通ずる和漢の記錄ども不少ば、古を鑑として、今を稽へ、かりそめにも義路にあらずんば行べからず、道のくはしき事を知事ならずば、其道ありといふ噂ばかりも聞べし、
新字:一武士文武の芸を習ふは、己れが仁義の家業を忘れず、忠孝を失ふまじき為なれば、道の大本を立て、私の利を舎つべし、多くは道を捨て、利にもとづくにより、師を殺し、君父に乖く如きの人、武門に多し、君父師に背きて、己が身を立るは、禽獣にもあるまじき道なり、誠に小き虫なれども、蜂にさへ君臣の義あり、主を殺す虫あれば、必ず臣讎を復する事目前也、然れば道をしらずして血勇に誇り、仁義の家業を忘れたるは、蜂にもおとりたれば、禽獣ともいふべからず、まして況や武士をや、武は則義なり、義は武の徳なれば、武士を通称して義士といはんも可ならんか、かならずしも、武士の義あるべき事の、勿論なるを思ふべし、次に智を明にして、善を善とし、悪を悪とし、仮令君父師の事跡たりとも、悪を捨て、善を習ふべし、聖人にあらざれば、過なき事あたわず、されば軍術を学ぶとも、先づ仁義王道の兵法を尋聞て、道の大本を察し、其後和軍を習稽ふべし、深く文字に通ぜずとも、王覇の兵論を聞事難しとすべからず、先其大意を聞定て、後に和の軍術を習はゞ、心利貪にかたまる事あるべからず、必ず人少年の時、聞容たる事を是とし、壮年の後に聞事を非とするものなり、必ず心得べし、若心、利にうつり、忠孝にくらくば、長く大勇を暁る事あるべからず、当世には人文過半ひらけて、和げ著す処の書多く、俗に通ずる和漢の記録ども不少ば、古を鑑として、今を稽へ、かりそめにも義路にあらずんば行べからず、道のくはしき事を知事ならずば、其道ありといふ噂ばかりも聞べし、
書き下し
一武士文武の藝を習ふは、己れが仁義の家業を忘れず、忠孝を失ふまじき爲なれば、道の大本を立て、私の利を舍つべし、多くは道を捨て、利にもとづくにより、師を殺し、君父に乖く如きの人、武門に多し、君父師に背きて、己が身を立るは、禽獸にもあるまじき道なり、誠に小き蟲なれども、蜂にさへ君臣の義あり、主を殺す虫あれば、必ず臣讎を復する事目前也、然れば道をしらずして血勇に誇り、仁義の家業を忘れたるは、蜂にもおとりたれば、禽獸ともいふべからず、まして況や武士をや、武は則義なり、義は武の德なれば、武士を通稱して義士といはんも可ならんか、かならずしも、武士の義あるべき事の、勿論なるを思ふべし、次に智を明にして、善を善とし、惡を惡とし、假令君父師の事跡たりとも、惡を捨て、善を習ふべし、聖人にあらざれば、過なき事あたわず、されば軍術を學ぶとも、先づ仁義王道の兵法を尋聞て、道の大本を察し、其後和軍を習稽ふべし、深く文字に通ぜずとも、王覇の兵論を聞事難しとすべからず、先其大意を聞定て、後に和の軍術を習はゞ、心利貪にかたまる事あるべからず、必ず人少年の時、聞容たる事を是とし、壯年の後に聞事を非とするものなり、必ず心得べし、若心、利にうつり、忠孝にくらくば、長く大勇を曉る事あるべからず、當世には人文過半ひらけて、和げ著す處の書多く、俗に通ずる和漢の記錄ども不少ば、古を鑑として、今を稽へ、かりそめにも義路にあらずんば行べからず、道のくはしき事を知事ならずば、其道ありといふ噂ばかりも聞べし、
現代語訳
一つ、武士が文武の芸を習うのは、自分の仁義の家業を忘れず、忠孝を失わないためですから、道の大本を立てて、私の利を捨てるべきです。多くは道を捨てて利にもとづくために、師を殺し、君や父にそむくような人が、武門に多いのです。君・父・師にそむいて自分の身を立てるのは、禽獣にもないような道です。まことに小さな虫ですが、蜂にさえ君臣の義があります。主を殺す虫があれば、かならず臣下が仇を討つことが目の前に見られます。そうであれば、道を知らずに血気の勇に誇り、仁義の家業を忘れたのは、蜂にも劣るので、禽獣とも言うことができません。まして武士においてはなおさらです。武は義であり、義は武の徳ですから、武士を通称して義士と呼ぶのも適切でしょう。かならず武士に義があるべきことは、当然であると思いなさい。次に智を明らかにして、善を善とし、悪を悪とし、たとえ君・父・師の事跡であっても、悪を捨て、善を習うべきです。聖人でなければ過ちのないことはあり得ません。ですから軍術を学ぶにも、まず仁義・王道の兵法を尋ね聞いて、道の大本を察し、その後に日本の軍法を習い考えるべきです。深く文字に通じなくても、王道・覇道の兵論を聞くことは難しいことではありません。まずその大意を聞き定めてから、後に日本の軍術を習えば、心が利益を貪ることに固まることはありません。かならず人は、少年のときに聞いて受け入れたことを是とし、壮年になってから聞くことを非とするものです。かならず心得なさい。もし心が利に移り、忠孝に暗いならば、長く大勇を悟ることはありません。当世は人文が過半開けて、和らげ著した書が多く、世間に通じる和漢の記録も少なくありませんから、古を鑑として今を考え、かりそめにも義の路でなければ行ってはなりません。道の詳しいことを知ることができなければ、その道があるという噂だけでも聞くべきです。
解説

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史記 仲尼弟子列伝仲由、字は子路、卞の人なり。孔子より少きこと九歳。子路は性鄙にして、勇力を好み、志伉直、雄鶏を冠し、豭豚を佩び、孔子を陵暴す。孔子礼を設けて稍く子路を誘ふ、子路後に儒服して質を委ね、門人に因りて弟子と為らんことを請ふ。子路政を問ふ、孔子曰く、「之に先んじ、之を労へ」と。益を請ふ。曰く、「倦むこと無かれ」と。子路問ふ、「君子は勇を尚ぶか」と。孔子曰く、「義を之れ上と為す。君子勇を好みて義無ければ則ち乱し、小人勇を好みて義無ければ則ち盗す」と。子路聞くこと有りて、未だ之を行ふ能はざれば、唯だ聞くこと有るを恐る。孔子曰く、「片言以て獄を折むべき者は、其れ由なるか」と。「由や勇を好むこと我に過ぎたり、材を取る所無し」と。「由の若きは、其の死を得ざらん」と。「敝れたる縕袍を衣て、狐貉を衣る者と立ちて、恥ぢざる者は、其れ由なるか」と。「由や堂に升れり、未だ室に入らざるなり」と。季康子問ふ、「仲由は仁なるか」と。孔子曰く、「千乗の国其の賦を治めしむべし、其の仁を知らず」と。
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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。
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呂氏春秋・髙義①君子の自ら行うや、動けば必ず義に縁る。行うこと必ず義に誠なれば、俗、之を窮せりと謂うと雖も、通ずるなり。行うこと義に誠ならず、動くこと義に縁らざれば、俗、之を通ぜりと謂うと雖も、窮せるなり。然らば則ち君子の窮通は、俗に異なる者有るなり。故に功に當りて以て賞を受け、罪に當りて以て罰を受く。賞當たらざれば、之に與うと雖も必ず辭す。罰誠に當たれば、之を赦すと雖も外けず。之を國に度れば、必ず利長久ならん。長久の主に於ける、必ず宜しく內は心に反して慚ぢずして然る後動くべし。
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。