武備和訓 / 卷一・浪人でも心は富み、外を飾るな
一武士たるべき者は、身は醢になり候とも、志は撓べからず候、當世は殊更浪人となりたる武士、多くは困み候やうに見え候、惣て祿に離れたる武士は貧きを以貴とし、富たるを以賤とすべし、乍然福貴貧賤の如きに目を付ざる人は、たとへ富とも、貧かるべきとも、是非の批判には及がたく候、當世には、唯上をかざる事を本とし、美服を好み、刀劔の類までも壯觀を事とし、主用を以次にする如き、心得ちがいの人々も有之樣子に相見え候、文武の心がけは、其家に生れて勿論なれども、其主意とする所少違ひ候へば、大に義に戻る事可有之候、先浪人は本より無產也、平生衣食に乏き筈の者なるに、却て衣食住の三ッを淸にして、外を飾るはくせものなり、多くは其心人倫に戻る事論ずべからず候、曾我祐成が兄弟の如きは、心忠孝に徹して、祐經を刺し、不戴倶天之讎を復せんとおもへる志の外に、毫毛も他の念慮なければ、微服潛行して恥とせず、常に心中仁義に富みて、爵祿榮貴を拙とし、和田義盛等が宴席につらなり、數十人の鼎士をも屑ともせざる事は、全く時宗祐成が色情にうつりて、遊俠のいたす處にあらず、兄弟仁義の勇者なれば、忠孝を以味方とするにより、何百騎をも難しとせざるものなり、祐成が虎女に戲れ、大石良雄が浮橋(伏見之里の傾城也)に通ひし、皆是仁義の忠略なり、方に其間惡衣惡食の艱難、狀をもつて禽獸に比すといへども、心は天下に富めり、武人必心を淸潔にして、形はいやしかるべし、子夏の垂鶉とて、衣のやぶれたるをつゞりたるありさま、鶉の彪のごとし、子夏常に此鶉衣を着し給へども、哲人にてましませり、子路は弊れさけたる衣を着して、聖門の勇者たり、內に忠信だにあらば、外は禽獸にたくゐすともさらに辱べからず、
新字:一武士たるべき者は、身は醢になり候とも、志は撓べからず候、当世は殊更浪人となりたる武士、多くは困み候やうに見え候、惣て禄に離れたる武士は貧きを以貴とし、富たるを以賤とすべし、乍然福貴貧賤の如きに目を付ざる人は、たとへ富とも、貧かるべきとも、是非の批判には及がたく候、当世には、唯上をかざる事を本とし、美服を好み、刀剣の類までも壮観を事とし、主用を以次にする如き、心得ちがいの人々も有之様子に相見え候、文武の心がけは、其家に生れて勿論なれども、其主意とする所少違ひ候へば、大に義に戻る事可有之候、先浪人は本より無産也、平生衣食に乏き筈の者なるに、却て衣食住の三ッを清にして、外を飾るはくせものなり、多くは其心人倫に戻る事論ずべからず候、曽我祐成が兄弟の如きは、心忠孝に徹して、祐経を刺し、不戴倶天之讎を復せんとおもへる志の外に、毫毛も他の念慮なければ、微服潜行して恥とせず、常に心中仁義に富みて、爵禄栄貴を拙とし、和田義盛等が宴席につらなり、数十人の鼎士をも屑ともせざる事は、全く時宗祐成が色情にうつりて、遊侠のいたす処にあらず、兄弟仁義の勇者なれば、忠孝を以味方とするにより、何百騎をも難しとせざるものなり、祐成が虎女に戯れ、大石良雄が浮橋(伏見之里の傾城也)に通ひし、皆是仁義の忠略なり、方に其間悪衣悪食の艱難、状をもつて禽獣に比すといへども、心は天下に富めり、武人必心を清潔にして、形はいやしかるべし、子夏の垂鶉とて、衣のやぶれたるをつゞりたるありさま、鶉の彪のごとし、子夏常に此鶉衣を着し給へども、哲人にてましませり、子路は弊れさけたる衣を着して、聖門の勇者たり、内に忠信だにあらば、外は禽獣にたくゐすともさらに辱べからず、
書き下し
一武士たるべき者は、身は醢になり候とも、志は撓べからず候、當世は殊更浪人となりたる武士、多くは困み候やうに見え候、惣て祿に離れたる武士は貧きを以貴とし、富たるを以賤とすべし、乍然福貴貧賤の如きに目を付ざる人は、たとへ富とも、貧かるべきとも、是非の批判には及がたく候、當世には、唯上をかざる事を本とし、美服を好み、刀劔の類までも壯觀を事とし、主用を以次にする如き、心得ちがいの人々も有之樣子に相見え候、文武の心がけは、其家に生れて勿論なれども、其主意とする所少違ひ候へば、大に義に戻る事可有之候、先浪人は本より無產也、平生衣食に乏き筈の者なるに、却て衣食住の三ッを淸にして、外を飾るはくせものなり、多くは其心人倫に戻る事論ずべからず候、曾我祐成が兄弟の如きは、心忠孝に徹して、祐經を刺し、不戴倶天之讎を復せんとおもへる志の外に、毫毛も他の念慮なければ、微服潛行して恥とせず、常に心中仁義に富みて、爵祿榮貴を拙とし、和田義盛等が宴席につらなり、數十人の鼎士をも屑ともせざる事は、全く時宗祐成が色情にうつりて、遊俠のいたす處にあらず、兄弟仁義の勇者なれば、忠孝を以味方とするにより、何百騎をも難しとせざるものなり、祐成が虎女に戲れ、大石良雄が浮橋(伏見之里の傾城也)に通ひし、皆是仁義の忠略なり、方に其間惡衣惡食の艱難、狀をもつて禽獸に比すといへども、心は天下に富めり、武人必心を淸潔にして、形はいやしかるべし、子夏の垂鶉とて、衣のやぶれたるをつゞりたるありさま、鶉の彪のごとし、子夏常に此鶉衣を着し給へども、哲人にてましませり、子路は弊れさけたる衣を着して、聖門の勇者たり、內に忠信だにあらば、外は禽獸にたくゐすともさらに辱べからず、
現代語訳
一つ、武士たるべき者は、身が醢(塩漬けの肉)にされようとも、志は撓めてはなりません。当世はことに浪人となった武士が、多く困窮しているように見えます。総じて禄を離れた武士は、貧しいことをもって貴しとし、富んでいることをもって賤しとすべきです。しかしながら、富貴や貧賤に目をつけない人は、たとえ富んでいても貧しくても、是非の批判には及びません。当世では、ただ上辺を飾ることを本とし、美服を好み、刀剣の類までも見事に見せることを事として、主君への務めを後にするような、心得違いの人々もいるように見えます。文武の心がけは、その家に生まれた以上もちろんですが、主とするところが少し違うと、大いに義にもとることがあるでしょう。そもそも浪人はもとより無産(資産がない)です。普段から衣食に乏しいはずの者が、かえって衣食住の三つを清らかにして外を飾るのは、くせ者です。多くはその心が人の道に反していることは言うまでもありません。曽我祐成の兄弟のようなものは、心が忠孝に徹して、祐経を刺し、不倶戴天の仇を討とうと思う志のほかには、毛ほども他の思いがなく、身なりを変えてひそかに行動することを恥とはしませんでした。常に心の中は仁義に富んで、爵禄や栄貴を拙いものとし、和田義盛らの宴席に連なり、数十人の鼎士をも物の数としなかったことは、まったく時宗・祐成が色情に心を移したのでも、遊侠の者のするところでもありません。兄弟は仁義の勇者ですから、忠孝を味方とすることによって、何百騎をも難しいとはしなかったのです。祐成が虎女と戯れ、大石良雄が浮橋(伏見の里の遊女)のもとに通ったのも、すべて仁義の忠略(忠義のはかりごと)です。まさにその間の粗末な衣と食物の苦労は、その有様が禽獣にたとえられるほどでしたが、心は天下に富んでいました。武人はかならず心を清潔にして、外見は賤しくあってよいのです。子夏の垂鶉といって、破れた衣を継ぎ合わせたありさまが、鶉の羽の斑(まだら)のようでした。子夏は常にこの鶉衣を着ていましたが、哲人でいらっしゃいました。子路は破れ裂けた衣を着て、孔子の門の勇者でした。内に忠信さえあれば、外は禽獣に等しくても少しも恥じることはないのです。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
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『慎思録』巻之一学を為すの道は、仁を為すを以て本と為し、忠信を以て主と為し、孝弟を以て先と為し、博文約礼を以て勤めと為し、君子為るを以て志と為す。是れ孔門人を教ふるの規模なり。仁なる者は何ぞや。是れ善を為すの総称、慈愛の理なり。孟子、放心を求むるを以て学問の道と為す。放心を求むる者は、乃ち仁を求むるなり。
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『翁問答』下卷之本十三経を皆学び候はねばならぬと思へば、退屈して反ておこたるものなりまた三書のほかはいらぬものなりと思へば、せばくかたづまりて、明徳活溌々地の妙用かえつて枯滞のわづらひあるものなり、たゞ三書をまなこと定め、其余の書は面々の力次第に学ぶと得心して、いかにも志を堅く立心学をわが所作と思ひ定め、忠信を主とし行住坐臥の時に習ひそのしるしを求め、いそがず心もちをひろくゆるやかにして懈怠なければ、必ずさとりを開くべし、そのおそきと早きは生れつきの明暗、習の浅深によるべし。
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。