武備和訓 / 卷一・楠正成の遺書に学ぶ義の重さ
一武士たらん者の鑑とせん事は、遠く外國の例をかるにも不及、總角の童子までもよく識たる事まのあたりに多かるべし、唯義を重んじて二心なき人を、本心の師範とすべし、先吾國千古より武家におゐては、其節操といひ、兵法と云、楠正成のごとき武士は、無之よしなれば、武家かならず心に用捨して、太平記の旨を熟察し、楠公の心を汲み、忠勇の篤義をさとるべし、後醍醐天皇、正成の忠諫を用ひ給はず、尊氏の威武勢大にして、天命武家に歸するをさつし、死をきはめられし時、子息正行におくらるゝの狀、今度隼人差下候事非餘之儀、我等最期近々と覺候、願者貴殿成長之器量、見屆度候得共、義之重處更難遁候、成人之後、我等心中可被察候、不備、正成五月 日楠莊五郎殿義者は仁義忠信を務て、天理の必然に死するといへり、誠に君の最期の書牒、義を激せる事言外に餘れり、誰かは感淚をおとさゞるべけんや、
新字:一武士たらん者の鑑とせん事は、遠く外国の例をかるにも不及、総角の童子までもよく識たる事まのあたりに多かるべし、唯義を重んじて二心なき人を、本心の師範とすべし、先吾国千古より武家におゐては、其節操といひ、兵法と云、楠正成のごとき武士は、無之よしなれば、武家かならず心に用捨して、太平記の旨を熟察し、楠公の心を汲み、忠勇の篤義をさとるべし、後醍醐天皇、正成の忠諫を用ひ給はず、尊氏の威武勢大にして、天命武家に帰するをさつし、死をきはめられし時、子息正行におくらるゝの状、今度隼人差下候事非余之儀、我等最期近々と覚候、願者貴殿成長之器量、見届度候得共、義之重処更難遁候、成人之後、我等心中可被察候、不備、正成五月 日楠荘五郎殿義者は仁義忠信を務て、天理の必然に死するといへり、誠に君の最期の書牒、義を激せる事言外に余れり、誰かは感涙をおとさゞるべけんや、
書き下し
一武士たらん者の鑑とせん事は、遠く外國の例をかるにも不及、總角の童子までもよく識たる事まのあたりに多かるべし、唯義を重んじて二心なき人を、本心の師範とすべし、先吾國千古より武家におゐては、其節操といひ、兵法と云、楠正成のごとき武士は、無之よしなれば、武家かならず心に用捨して、太平記の旨を熟察し、楠公の心を汲み、忠勇の篤義をさとるべし、後醍醐天皇、正成の忠諫を用ひ給はず、尊氏の威武勢大にして、天命武家に歸するをさつし、死をきはめられし時、子息正行におくらるゝの狀、今度隼人差下候事非餘之儀、我等最期近々と覺候、願者貴殿成長之器量、見屆度候得共、義之重處更難遁候、成人之後、我等心中可被察候、不備、正成五月 日楠莊五郎殿義者は仁義忠信を務て、天理の必然に死するといへり、誠に君の最期の書牒、義を激せる事言外に餘れり、誰かは感淚をおとさゞるべけんや、
現代語訳
一つ、武士たる者が鑑とすべき人は、遠く外国の例を借りるまでもなく、幼い子どもまでもよく知っている例が目の前に多くあるはずです。ただ義を重んじて二心のない人を、本心の師範とすべきです。まず我が国で千古より武家において、その節操といい兵法といい、楠正成のような武士はないということですから、武家はかならず心の中で取捨選択して、『太平記』の趣旨をよく考察し、楠公の心を汲み、忠勇の篤い義を悟るべきです。後醍醐天皇が正成の忠義の諫めを用いられず、尊氏の威武と勢いが大きく、天命が武家に帰したことを察して、死を覚悟されたとき、子息正行に送られた書状は次のとおりです。「今度隼人を差し下す事、余の儀に非ず。我等最期近々と覚え候。願わくは貴殿成長の器量、見届けたく候え共、義の重き処、更に遁れ難く候。成人の後、我等が心中察せらるべく候。不備。正成。五月 日。楠荘五郎殿」。義者は仁義忠信をつとめて、天理の必然に死すと言われます。まことに、君の最期の書状は、義を激しく励ます思いが言外にあふれています。誰が感涙を落とさずにいられましょうか。
解説

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『弁名』義人多く礼の先王の礼為るを知りて、義も亦た先王の義為るを知らず。故に其の解皆通ぜず。蓋し義は道の分なり。千差万別、各〻宜しき所有り。故に曰く、「義は宜なり」と。先王既に其の千差万別なる者を以て、制して以て礼と為す。学者猶ほ其の之を制する所以の意を伝ふ。是れ所謂礼の義なり。而して其の空言を以て伝ふる者、是れ所謂義なり。故に礼義は皆古より之を伝ふ。豈に先王の義に非ずや。
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『武士訓』卷三・第6段たとえば。人ありて。命を千貫萬貫にかへんかといふとも。かゆるものあるべからず。さほど大切なる命なれども。義によつて拋こと。塵よりも輕し。しかるときは。義ほどにおもきもの。世にあるべからず。源致雄歌に「いのちをばかろきになしてものゝふの道よりおもき道やらめやは(風雅集に見えたり。)
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『講孟余話』盡心上 第三十四章是れ上章「其の有に非ずして之を取るは義に非ず」と云ふに因りて、陳仲子の義、大義とするに足らず、只是れ簞食豆羹を舎つるの義なるを云ふ。陳仲子の事は、滕文公下篇末章に詳らかなり。仲子兄を避け母を離れ、吾が禄を食はず、これ親戚・君臣・上下を亡みするなり。已に人の大倫を外したる人なれば、他の小義は復た云ふに足る者なし。今斉国大なる如しと云へども、畢竟簞食豆羹と異なることなし。孟子論ずる所は物の大小に非ず、乃ち義の大小なり。是れを以て知るべし、聖人は人倫の至りにて、聖人の道は又人倫を以て大綱とす。受与の際に至りては、特に其の細目のみ。夷・斉の餓死する如くにして君臣の義あり、匡章の養はれざる如くにして、却つて父子の親ありと知るべし。
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『大和俗訓』巻之七・躬行下一君子の道は、すべき事を行ひ、すまじき事をせず。これ義なり。好むべき事を好み、好むまじき事を好まず。是善なり。君子の道はかくの如きのみ。是孟子の語意なり。一人の知は目のごとし。人の目はよく百里の外を見れども、わが睫を見がたし。人の智よく他人の悪を知れども、わが身の悪を知らず。人をみることは常に明なり。私なければなり。自ら見ることは常にくらし。私あればなり。ここを以て、人の過をせむる事はきびしく、わが悪をゆるす事はゆるやかなり。
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『五常訓』巻之四・義一中庸曰く、義は宜なり、賢を尊ぶを大なりと為す。朱子章句に云く、宜とは事理を分別して、各宜しき所有るなり。周子も、宜を義と曰ふ。釈名曰く、義は宜なり、事物を裁制して、宜しきに合はしむるなり。諸説皆宜しきを以て義とす。宜しきとは、万事万物の品にしたがひ、其理をわきまへて、相応するを云ふ。朱子は、義は心の制、事の宜といへり。制とは、たちわかつ意。裁判するなり。心の制とは、心中に善悪をわかつ所の理あるを云ふ。義の心にあるは、利刀の如し。物来れば、刀を以てたてば二となる。善悪を決断する事、かくの如し。是心の制なり。義の体とす。事之宜とは、諸事に相応して、其理の宜しきにしたがふを云ふ。是義の用とす。事之宜は、心の制ありて、善悪をたちわかちて後の事なり。人を愛するは仁なり。
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『晏子春秋』雑上・崔慶劫齊將軍大夫盟晏子不與崔杼既に莊公を弑して景公を立て、杼と慶封と之を相け、諸将軍大夫、及び顕士庶人を太宮の坎上に劫し、盟わざるを得ざらしむ。壇を為ること三仞、其の下を塪り、甲千を以て列ねて其の内外を環らす。盟う者皆剣を脱して入る。維だ晏子のみ肯んぜず、崔杼之を許す。敢えて盟わざる者有らば、戟其の頸を鉤し、剣其の心を承く。自ら盟わしめて曰く、「崔・慶に与せずして、公室に与する者は、其の不祥を受けん」と。言疾からず、指血に至らざる者は死す。殺す所七人。次いで晏子に及ぶ。晏子杯血を奉じ、天を仰ぎて歎じて曰く、「嗚呼。崔子は無道を為して其の君を弑す。公室に与せずして崔・慶に与する者は、此の不祥を受けん」と。俛して血を飲む。崔杼、晏子に謂いて曰く、「子、子の言を変えれば、則ち斉国は吾子と之を共にせん。子の言を変えざれば、戟既に脰に在り、剣既に心に在り、維だ子之を図れ」と。晏子曰く、「吾を劫すに刃を以てして其の志を失うは、勇に非ざるなり。吾を回すに利を以てして其の君に倍くは、義に非ざるなり。崔子、子独り夫の詩を為まざるか。詩に云う、『莫莫たる葛藟、条枚に施く。愷悌たる君子、福を求めて回ならず』と。今嬰且に以て回りて福を求む可けんや。曲刃もて之を鉤し、直兵もて之を推すとも、嬰は革まらず」と。