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弁名 / 王覇

故桓文之罪。不在以力假仁。而在尊王室爲名以濟其私。而孟子不言者。在戰國時無尊王室之事故也。故孟子之言。止言此以見其道不足稱述耳。亦爭宗門之言也。後世儒者不察其文意所在。囂然以謂王覇之辨。儒者第一義。豈不謬哉。甚乃至與任法術者竝稱。亦不知倫之甚也。

新字:故桓文之罪。不在以力仮仁。而在尊王室為名以済其私。而孟子不言者。在戦国時無尊王室之事故也。故孟子之言。止言此以見其道不足称述耳。亦争宗門之言也。後世儒者不察其文意所在。囂然以謂王覇之弁。儒者第一義。豈不謬哉。甚乃至与任法術者並称。亦不知倫之甚也。

書き下し

故に桓文の罪は、力を以て仁を仮るに在らずして、王室を尊ぶを名と為して以て其の私を済すに在り。而して孟子言はざるは、戦国の時、王室を尊ぶの事無きに在るが故なり。故に孟子の言は、止だ此を言ひて以て其の道の称述するに足らざるを見すのみ。亦た宗門を争ふの言なり。後世の儒者は其の文意の在る所を察せず、囂然として以謂へらく王覇の辨は儒者の第一義なり、と。豈に謬らずや。甚だしきは乃ち法術に任ずる者と並べ称するに至る。亦た倫を知らざるの甚だしきなり。

現代語訳

だから斉の桓公・晋の文公の罪は、力によって仁を装ったことにあるのではなく、王室を尊ぶことを名目にして私欲を遂げたことにある。孟子がそれを言わなかったのは、戦国時代には王室を尊ぶということがもはやなかったからである。だから孟子の言葉は、ただこのことを言って、その道が称えるに足りないことを示しただけである。これも宗派を争う言葉である。後世の儒者はその文意のありかを察せず、騒ぎ立てて「王覇の区別こそ儒者の第一義だ」と言う。なんと誤っていることか。ひどい者は、覇者を法術(法と術策)に頼る者と並べて称するに至る。これも物事の類別を知らないこと甚だしい。

解説

桓公・文公の本当の罪は、力を用いたことではなく、王室を尊ぶという大義名分を掲げて私利を図ったことだと徂徠は見る。孟子の王覇論は、戦国の論争の中で相手の流派を退けるために語られたもので、普遍の原理ではない。それを儒者の第一義と崇め、さらに覇者を法家と同列に扱うのは、文脈を見ない誤りだという。組織でも、問うべきは手段の強さではなく、掲げた大義の陰で私利を図っていないかどうかである。議論の文脈を見極める大切さも教える一則である。

この章句が説くこと

王覇桓文孟子大義私法術

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