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弁名 / 王覇

及於戰國時。孔子之徒。誦說二帝三王之道。時君厭其迂遠濶於事情。則有飾管晏之說進者。是其人之道。而非眞管晏之道也。孟子之與其人爭。亦以其人所稱說者爲覇道耳。何則。孟子曰。以力假仁者覇。以德行仁者王。以力服人者。非心服也。力不贍也。以德服人者。中心悅而誠服也。是言五覇德劣。故其道不足稱說已。何則。以力言之。是言其號令諸侯者。而非言治民者也。所謂仁。亦言其仁鄰國者。而非言仁民者也。夫爲方伯者。欲約諸侯共輔王室。德不足而假於力。亦不得已之事。豈可以罪其人乎。且湯假七十里。文王假百里而興。孔子無尺土之封。則不能興矣。是雖有德。豈必不假力乎。

新字:及於戦国時。孔子之徒。誦説二帝三王之道。時君厭其迂遠濶於事情。則有飾管晏之説進者。是其人之道。而非真管晏之道也。孟子之与其人争。亦以其人所称説者為覇道耳。何則。孟子曰。以力仮仁者覇。以徳行仁者王。以力服人者。非心服也。力不贍也。以徳服人者。中心悦而誠服也。是言五覇徳劣。故其道不足称説已。何則。以力言之。是言其号令諸侯者。而非言治民者也。所謂仁。亦言其仁鄰国者。而非言仁民者也。夫為方伯者。欲約諸侯共輔王室。徳不足而仮於力。亦不得已之事。豈可以罪其人乎。且湯仮七十里。文王仮百里而興。孔子無尺土之封。則不能興矣。是雖有徳。豈必不仮力乎。

書き下し

戦国の時に及びて、孔子の徒、二帝三王の道を誦説す。時君其の迂遠にして事情に濶きを厭ふ。則ち管・晏の説を飾りて進む者有り。是れ其の人の道にして、真の管・晏の道に非ざるなり。孟子の其の人と争ふも、亦た其の人の称説する所の者を以て覇道と為すのみ。何となれば、孟子曰く、「力を以て仁を仮る者は覇たり、徳を以て仁を行ふ者は王たり。力を以て人を服する者は、心服せしむるに非ざるなり、力贍らざればなり。徳を以て人を服する者は、中心より悦びて誠に服するなり」と。是れ五覇の徳劣れり、故に其の道称説するに足らざるを言ふのみ。何となれば、力を以て之を言ふは、是れ其の諸侯に号令する者を言ひて、民を治むる者を言ふに非ざるなり。所謂仁も、亦た其の隣国に仁する者を言ひて、民に仁する者を言ふに非ざるなり。夫れ方伯たる者、諸侯を約して共に王室を輔けんと欲す。徳足らずして力に仮るも、亦た已むを得ざるの事なり、豈に以て其の人を罪すべけんや。且つ湯は七十里を仮り、文王は百里を仮りて興る。孔子は尺土の封無し、則ち興る能はず。是れ徳有りと雖も、豈に必ずしも力を仮らざらんや。

現代語訳

戦国時代になると、孔子の門徒は二帝(堯・舜)三王(禹・湯・文武)の道を唱えた。当時の君主はそれが回りくどく実情にうといのを嫌った。そこで管仲・晏嬰の説を飾り立てて取り入る者が出てきた。それはその人たちの道であって、本物の管・晏の道ではない。孟子がその人たちと争ったのも、彼らが唱えるものを覇道としたにすぎない。なぜなら孟子は「力によって仁を装う者は覇者であり、徳によって仁を行う者は王者である。力で人を服従させても心から服従させるのではなく、力が足りないから服従するのだ。徳で人を服従させれば、心の底から喜んで本当に服従する」と言った。これは五覇の徳が劣っていたから、その道は称えるに足りないと言っただけである。なぜなら、力によってと言うのは、諸侯に号令することを言っているのであって、民を治めることを言っているのではない。仁と言うのも、隣国に仁をなすことを言っているのであって、民に仁をなすことを言っているのではない。そもそも方伯(諸侯の旗頭)たる者は、諸侯をまとめて共に王室を助けようとする。徳が足りずに力を借りるのも、やむを得ないことであり、どうしてその人を罪することができようか。それに湯王は七十里、文王は百里の国を足がかりに興った。孔子は一尺の封土もなかったから興ることができなかった。徳があっても、どうして必ずしも力を借りないでいられようか。

解説

孟子の有名な「力を以て仁を仮る者は覇」を、徂徠は文脈から限定する。それは戦国の遊説家が管晏の名を借りて売り込んだ説への反論であり、しかも力とは諸侯に号令する力、仁とは隣国への仁を言っていて、民の治め方の話ではない。湯王や文王でさえ領土という力の基盤から興ったのであり、徳があっても力は要る。孔子が興らなかったのは封土がなかったからだという指摘は鋭い。志や理念も、実行する資源や立場という力がなければ形にならないという現実を示している。

この章句が説くこと

王覇孟子力徳仁管仲

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