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弁名 / 物

如陽貨曰。日月逝矣。歲不我與。懷寶迷其邦。又如宋玉曰。口多微辭。所學於師也。可見古人學詩。其言爾雅如此。是皆所謂言有物也。言其不任臆肆言。必誦古言。以見其意已。古言相傳。存於宇宙間。人記憶古言。而在其胸中。猶如有物然。故謂之物。若任臆肆言。則胸中莫有所記憶。莫有一物。是無物也。曰行有格者。言不待格。徒記憶古言而言之耳。至於行。則必求得諸身。故曰行有格。格則恒久。故又曰行有恒。其義一矣。

新字:如陽貨曰。日月逝矣。歳不我与。懐宝迷其邦。又如宋玉曰。口多微辞。所学於師也。可見古人学詩。其言爾雅如此。是皆所謂言有物也。言其不任臆肆言。必誦古言。以見其意已。古言相伝。存於宇宙間。人記憶古言。而在其胸中。猶如有物然。故謂之物。若任臆肆言。則胸中莫有所記憶。莫有一物。是無物也。曰行有格者。言不待格。徒記憶古言而言之耳。至於行。則必求得諸身。故曰行有格。格則恒久。故又曰行有恒。其義一矣。

書き下し

陽貨の「日月逝く、歳我と与にせず」、「宝を懐きて其の邦を迷はす」と曰ふが如き、又宋玉の「口に微辞多きは、師に学ぶ所なり」と曰ふが如し。古人の詩を学ぶこと、其の言の爾雅なること此くの如きを見るべし。是れ皆所謂言に物有るなり。其の臆に任せて肆言せず、必ず古言を誦して、以て其の意を見すを言ふのみ。古言相伝はりて、宇宙の間に存す。人古言を記憶して、其の胸中に在り、猶ほ物有るが如く然り、故に之を物と謂ふ。若し臆に任せて肆言すれば、則ち胸中に記憶する所有ること莫く、一物も有ること莫し、是れ物無きなり。行に格有りと曰ふは、言は格を待たず、徒だ古言を記憶して之を言ふのみ。行に至りては、則ち必ず諸を身に得るを求む、故に行に格有りと曰ふ。格すれば則ち恒久なり、故に又行に恒有りと曰ふ。其の義一なり。

現代語訳

陽貨(魯の権臣)が「月日は過ぎ去り、歳月は私を待ってはくれない」「宝を懐にしまいこんで国を迷わせておく」と言い、また宋玉(戦国時代の楚の文人)が「口に微妙な言葉が多いのは、師から学んだものだ」と言ったようなものである。古人が詩を学んで、その言葉がこのように雅やかであったことがわかる。これがみな、いわゆる「言葉に物がある」ということである。思いつくままに勝手に言わず、必ず古い言葉を誦して、自分の意を示すことをいうのである。古い言葉は代々伝わって世界の間に存在している。人が古い言葉を記憶して胸の中にあるのは、まるで物があるかのようである。だから物という。もし思いつくままに勝手に言えば、胸の中には記憶しているものがなく、一つの物もない。これが「物がない」ということである。「行いに格がある」というのは、言葉は格(来至)を待たず、ただ古い言葉を記憶して言うだけでよい。行いについては必ず身に得ることを求める。だから「行いに格がある」という。格れば恒久的になる。だからまた「行いに恒がある」という。その意味は一つである。

解説

「言に物有り」の物とは、胸中に記憶された古言の蓄えだと徂徠は結論づける。陽貨や宋玉のような人物でさえ、詩から学んだ雅やかな言葉で語った。思いつきで勝手に言えば胸中に一物もない、つまり「物無し」である。言葉は記憶した古言を用いればよいが、行いは身に得てはじめて格り、格れば恒久になる。言葉の蓄えと身についた行いという二つの「物」を持つことが学問だというのである。語彙と経験の蓄えが乏しいまま即興で話すことの危うさにも通じる。

この章句が説くこと

古言物詩言葉習熟格物

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