弁名 / 文質體用本末
本末。猶源流也。凡所謂本者。皆謂其施功所始也。如天下之本在國國之本在家。皆是也。後世有本體本心之說。古書所無。如孝弟也者其爲仁之本與。亦言行仁政必自孝弟始也。如喜怒之未發。謂之中。中也者天下之大本也。乃言聖人之立道。率人性以立之。亦語道所由始已。體用之說。古所無也。仁齋先生辨之。爲是。如禮運曰仁者順之體也。燕義曰和寧禮之用也。皆謂體順與用禮已。
新字:本末。猶源流也。凡所謂本者。皆謂其施功所始也。如天下之本在国国之本在家。皆是也。後世有本体本心之説。古書所無。如孝弟也者其為仁之本与。亦言行仁政必自孝弟始也。如喜怒之未発。謂之中。中也者天下之大本也。乃言聖人之立道。率人性以立之。亦語道所由始已。体用之説。古所無也。仁斎先生弁之。為是。如礼運曰仁者順之体也。燕義曰和寧礼之用也。皆謂体順与用礼已。
書き下し
本末は猶ほ源流のごときなり。凡そ所謂本なる者は、皆其の功を施す所の始めを謂ふなり。「天下の本は国に在り、国の本は家に在り」の如き、皆是なり。後世本体・本心の説有るは、古書に無き所なり。「孝弟なる者は其れ仁の本たるか」の如き、亦た仁政を行ふは必ず孝弟より始むるを言ふなり。「喜怒の未だ発せざる、之を中と謂ふ。中なる者は天下の大本なり」の如き、乃ち聖人の道を立つるに、人の性に率ひて以て之を立つるを言ふ。亦た道の由りて始まる所を語るのみ。体用の説は古に無き所なり。仁斎先生之を辨ず、是と為す。礼運に「仁なる者は順の体なり」と曰ひ、燕義に「和寧は礼の用なり」と曰ふが如き、皆順を体し、礼を用ふるを謂ふのみ。
現代語訳
本末とは源と流れのようなものである。およそ「本」というのは、みな働きかけを始めるところをいう。「天下の本は国にあり、国の本は家にある」(『孟子』)というのがみなそれである。後世に「本体」「本心」の説があるが、古書にはないものである。「孝弟こそ仁の本であろうか」(『論語』)というのも、仁政を行うには必ず孝弟から始めることを言っている。「喜怒がまだ発しない状態を中という。中は天下の大本である」(『中庸』)というのも、聖人が道を立てるにあたり、人の性に従ってそれを立てたことを言う。これも道が始まるところを語っているにすぎない。体用の説は古にはないものである。仁斎先生がこれを論じたのは正しい。『礼記』礼運に「仁は順の体である」、燕義に「和寧は礼の用である」とあるのは、どちらも「順を身に体し」「礼を用いる」という意味にすぎない。
解説
この章句が説くこと
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