弁名 / 經權
經者大綱領也。以夾持衆緯言之。如經禮三百。威儀三千。經禮者禮之綱。其中兼有許多節文威儀。如經持緯然。故謂之經禮。如爲天下國家有九經。此九者爲治天下國家之大綱領。其中亦各有許多方法。故謂之九經。或解爲亘萬世不可易者。殊爲不通。經國。經界。皆以法制言之。經國者開國之君所立。大法制。大矩矱。凡百禮儀制度。皆藉是以立。亦如經持緯然。故謂之經。經界亦井田之大界分。故謂之經耳。
新字:経者大綱領也。以夾持衆緯言之。如経礼三百。威儀三千。経礼者礼之綱。其中兼有許多節文威儀。如経持緯然。故謂之経礼。如為天下国家有九経。此九者為治天下国家之大綱領。其中亦各有許多方法。故謂之九経。或解為亘万世不可易者。殊為不通。経国。経界。皆以法制言之。経国者開国之君所立。大法制。大矩矱。凡百礼儀制度。皆藉是以立。亦如経持緯然。故謂之経。経界亦井田之大界分。故謂之経耳。
書き下し
経とは大綱領なり。衆緯を夾持するを以て之を言ふ。「経礼三百、威儀三千」の如き、経礼とは礼の綱にして、其の中に兼ねて許多の節文威儀有り、経の緯を持するが如く然り、故に之を経礼と謂ふ。「天下国家を為むるに九経有り」の如き、此の九者は天下国家を治むるの大綱領たり、其の中に亦た各〻許多の方法有り、故に之を九経と謂ふ。或は解して万世に亘りて易ふべからざる者と為すは、殊に通ぜずと為す。経国・経界は、皆法制を以て之を言ふ。経国とは開国の君の立つる所の大法制・大矩矱にして、凡百の礼儀制度、皆是に藉りて以て立つ。亦た経の緯を持するが如く然り、故に之を経と謂ふ。経界も亦た井田の大界分、故に之を経と謂ふのみ。
現代語訳
「経」とは大きな綱領である。多くの横糸(緯)を挟んで保つことから言う。「経礼は三百、威儀は三千」(『礼記』)というのは、経礼とは礼の大綱であって、その中に多くの細かな作法や威儀を兼ね含み、縦糸が横糸を保つようであるから、経礼という。「天下国家を治めるには九経がある」(『中庸』)というのは、この九つが天下国家を治める大綱領であって、その中にもまたそれぞれ多くの方法があるから九経という。これを「万世にわたって変えられないもの」と解釈するのは、まったく通じない。「経国」「経界」はどちらも法制について言う。経国とは開国の君主が立てた大きな法制・大きな規矩であって、あらゆる礼儀制度はみなこれに依って立つ。これも縦糸が横糸を保つようなものだから経という。経界も井田(古代の土地制度)の大きな区画の境界だから経というだけである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
論語・八佾篇子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰く、「賜や、爾は其の羊を愛しむ、我は其の礼を愛しむ。」
-
『政談』貴賤共に女の所業の事又宗廟の祭りには天子の后よりして祭りの供物に御世話あることなり、是れ亦夫の家に嫁しては夫の先祖を尊ひ、夫と共に之に事ふるみちを教へ玉ふ、当時は箇様のことは何もなく、女の諸礼しやなとゝ云ふものあれとも、元来文盲に拵へたるもの故、唯〻奢りを教ゆるまでにて箇様の筋はなし、何ほと上に倹約を御用ひ遊はさるゝとも、礼と云ふものを立て玉はさるときは、世上の人皆くだんの諸礼と云ふものを礼なり古実なり貴きことなりと思ひ居る故に、上の倹約を遊はさるゝは唯〻御ものずきなりと思ひ、甚しきともがらは吝き御事なりなと云ふて之を守る人はなきなり、古の聖人も我身に近く行ひて自然と風儀の移るやうにと計りたるにては、下たる人へは参り届さることを知し召されて、礼と云ふものを立て置き玉へること智慮広大甚た深く人情を知り玉へる故也、
-
『政談』金銀錢員數減少する仔細の事偖銭は道中を運ふこと不便利なるものなる故大名の城下々々にても心儘に鋳さすへきことなり、異国にても銭は国々にて鋳て其の国の名を裏方に付けたることなり、偖又湯殿浅間の麓にて紙銭を売せて之を投入さすへし、されは別当の為めには成りて世間の実消失せまし、古より僧には金銀米銭を供し、仏神に直に供するは紙銭を用ゆること古法なり、是はあの方に御用なきものなれとも、此方の誠を表はすためはかりなれはなり、今は天台宗の儀式に紙銭あるなり、又死人の棺へ入るゝも紙銭なるへし、聖人の法にも、明器とて人の用に立たぬものを棺の内へは入るゝことなる故、異国は皆斯の如し、右の如く法を立ては銭の減少することは以来は少かるへし、
-
『春秋左氏伝』昭公十三年 存亡の道君苟くも信有らば、諸侯貳せず、何をか患へん。之に告ぐるに文辭を以ってし、之を董すに武師を以ってせば、齊許さずと雖も、君の庸多からん。天子の老、請ふ王賦を帥ゐて、元戎十乘、以って先づ行を啟かん。遲速は唯だ君のままなり」と。叔向齊に告げて曰く、「諸侯盟を求めて、已に此に在り。今君利とせず、寡君以って請ふと為す」と。對へて曰く、「諸侯貳を討たば、則ち尋盟有り。若し皆命を用ひば、何の盟をか之れ尋めん」と。叔向曰く、「國家の敗るるは、事有りて業無ければ、事則ち經ならず。業有りて禮無ければ、經則ち序あらず。禮有りて威無ければ、序則ち共ならず。威有りて昭らかならざれば、共則ち明らかならず。明らかならずして共を棄つれば、百事終はらず、傾覆する所由なり。是の故に明王の制、諸侯をして歲ごとに聘して以って業を志し、間朝して以って禮を講じ、再朝して會して以って威を示し、再會して盟ひて以って昭明を顯さしむ。業を好に志し、禮を等に講じ、威を眾に示し、明を神に昭らかにす。古より以來、未だ之を或いは失はざるなり。存亡の道、恆に是に由りて興る。晉禮もて盟を主る、
-
『山鹿語類』士道・明衣服之制本朝衣服令、皆唐の制に准せり。故に袴の制又是にまたがへり。文献通考一百十二に曰、唐徳宗貞元十五年、膳部郎中帰崇敬以百官朔望朝服袴非古礼、上疏云、按三代典礼、両漢史藉、並無袴褶之制、亦未詳所起之由、由隋代以来、始有服者、請罷之、詔可。馬端臨曰、袴褶魏晋以来、以為車駕親戎中外戒厳之服、晋制雖有其説、而不言其制、然既曰戒厳服之、必戎服也、至隋煬帝時、巡游無度、詔百官従行服褶袴、軍旅間不便、遂令改服戎衣、為紫緋緑青之服、則所謂袴褶者、又似是褻衣、長袴非鞍馬征行所便者、与戒厳之説不類。韻書訓褶為袴、又為袷也。然袴裳也、袷衣之交領也、則不知所謂袴褶者一物乎二物乎、唐褶服志、群臣服条内有緋褶大口袴、則似是二物、然不知所謂緋褶者衣乎裳乎、云々。
-
『政談』妾を隱し物とする事唐律を按するに妻の次に媵と云ふものあり、是は賤しきものにあらす、妻とさまて変りもなき家筋の人なり、和律は此の所闕巻なれは事のやう知れされとも、惣体日本の古法は唐朝の風なれは替りあるまじ、この媵は即ち古の姪娣なり、兼て斯の如き人を妾の役にして、婚礼の時より連行くときは、此の風なれこになりて本妻の嫉妬も薄き道理なり、又本妻の親類にて家来の内をすることなれは、人の心は様々なれとも先つは妾の悪事薄き道理なり、兼て数多設け置き候ときは、大好色の人は格別のこと、大方は男の心も、是にて足るへし、古の聖人は人情を察して男女の間に事少なきために、斯の如く礼を立て玉ふことなり、
人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る