山鹿語類 / 士道・明衣服之制
深衣の制のみ今に其說詳にして、ことに聖賢の法服各天地の用に相叶へりといへども、時に於て不相應を服せんは、唯私の服の心に叶へるまゝに、朝服にも着するに同じ。其所習好惡あれども、心にまかせんことは、聖人の道にあらず。理を立て己を利する也。されば孔子曰、丘少居魯、衣逢掖之衣、深衣也長居宋、冠商甫之冠、章甫商之冠名、宋殷後、故用此冠とあり。是其國俗に從ひ玉ふのゆゑ也。中庸曰、仲尼祖述堯舜、憲章文武、上律天時、下襲水土とは、如此の心なるべし。子曰、愚而好自用、賤而好自專、生乎今之世、反古之道、如此者、烖及其身者也との玉へり。孔子雖不欲拘時俗之弊、而も亦不敢不循時世之制れば也。衣服は威儀かゝる處也といへども、又人身を修むるには一端の小事なれば、唯水土風俗によつて其大本を改めしめて、自然に衣服の制までも古にかへる所あるべし。末に心を盡さんことは、君子の志に不有也
新字:深衣の制のみ今に其説詳にして、ことに聖賢の法服各天地の用に相叶へりといへども、時に於て不相応を服せんは、唯私の服の心に叶へるまゝに、朝服にも着するに同じ。其所習好悪あれども、心にまかせんことは、聖人の道にあらず。理を立て己を利する也。されば孔子曰、丘少居魯、衣逢掖之衣、深衣也長居宋、冠商甫之冠、章甫商之冠名、宋殷後、故用此冠とあり。是其国俗に従ひ玉ふのゆゑ也。中庸曰、仲尼祖述堯舜、憲章文武、上律天時、下襲水土とは、如此の心なるべし。子曰、愚而好自用、賤而好自専、生乎今之世、反古之道、如此者、烖及其身者也との玉へり。孔子雖不欲拘時俗之弊、而も亦不敢不循時世之制れば也。衣服は威儀かゝる処也といへども、又人身を修むるには一端の小事なれば、唯水土風俗によつて其大本を改めしめて、自然に衣服の制までも古にかへる所あるべし。末に心を尽さんことは、君子の志に不有也
書き下し
深衣の制のみ今に其説詳にして、ことに聖賢の法服各天地の用に相叶へりといへども、時に於て不相応を服せんは、唯私の服の心に叶へるまゝに、朝服にも着するに同じ。其所習好悪あれども、心にまかせんことは、聖人の道にあらず。理を立て己を利する也。されば孔子曰、丘少居魯、衣逢掖之衣、深衣也長居宋、冠商甫之冠、章甫商之冠名、宋殷後、故用此冠とあり。是其国俗に従ひ玉ふのゆゑ也。中庸曰、仲尼祖述堯舜、憲章文武、上律天時、下襲水土とは、如此の心なるべし。子曰、愚而好自用、賤而好自専、生乎今之世、反古之道、如此者、烖及其身者也との玉へり。孔子雖不欲拘時俗之弊、而も亦不敢不循時世之制れば也。衣服は威儀かゝる処也といへども、又人身を修むるには一端の小事なれば、唯水土風俗によつて其大本を改めしめて、自然に衣服の制までも古にかへる所あるべし。末に心を尽さんことは、君子の志に不有也
現代語訳
深衣の制度だけが今にその説が詳しく、とりわけ聖賢の法服でそれぞれ天地の用にかなっているといっても、時にふさわしくないものを着るのは、ただ私的な服を心のままに朝服にも着るのと同じである。習いや好き嫌いはあっても、心のままにするのは聖人の道ではない。理屈を立てて自分を利するのである。だから孔子は言われた。「私は若いころ魯に住んで逢掖の衣(袖の大きな衣、深衣である)を着、長じて宋に住んで章甫の冠(章甫は殷の冠の名。宋は殷の子孫の国なのでこの冠を用いた)をかぶった」と。これはその国の風俗に従われたからである。『中庸』に「仲尼(孔子)は堯舜を祖として述べ、文王・武王を手本として明らかにし、上は天の時にのっとり、下は水土(風土)に従った」とあるのは、このような心であろう。孔子は「愚かでいて自分の考えを用いることを好み、賤しくて自分勝手を好み、今の世に生まれて古の道に戻ろうとする、このような者には災いがその身に及ぶ」と言われた。孔子は時俗の弊害に拘束されることを望まれなかったが、それでもまたあえて時世の制度に従わないことはなかったからである。衣服は威儀のかかるところであるといっても、また人の身を修めるうえでは一端の小事であるから、ただ風土や風俗によってその大本を改めさせて、自然に衣服の制度までも古に返るところがあるべきである。末に心を尽くすのは、君子の志ではない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『五常訓』巻之四・礼一礼儀三百、威儀三千とて、およそ人の行ふべき大礼三百条、小礼三千条あり。是は其大槩をあげていへり。必三百三千に限るべからず。皆是つつしみ敬ふ心より出で、天理の程よき所にして、人事のしかるべき作法なり。つつしみ敬ふ心は、礼の本なり。三百三千の品は、礼の文なり。文とは外のあやなり。本なければ礼たたず。文なければ礼行はれず。故に礼は本をおもんず。文も亦そなはらずんばあるべからず。
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『徂徠先生答問書』卷下一慎終追遠とは、先王制礼の意を説候語に候。今日受用の為の語にては無之候。一御文章とも被遣候。皆宋学に候故直し可進様無御座候。一蘐園随筆は、不佞未熟の時の書に候。御用被成間敷候。仁斎闇斎などの書必々御覧被成間敷候。只々末を御捨候て本を御学候事専要に候。以上。
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『五常訓』巻之四・礼一林放と云ひし人、世上の礼を行ふ者、かざり多く、ことわざしげくして、末をもはら務むるを、礼の本意にあらじと思ひて、礼の本を孔子に問ふ。凡万の事、まづ其本を得れば、其末おのづから出来るものなり。たとへば樹木の根本堅固なれば、千枝万葉皆これより出づるが如し。本をうしなひて、末のみをつとむれば、其実を失ふ。故に其つとむる事しげくして、其なすわざ小なり。しかるに、時の人のまよへるを悟り、礼の本に志あるを大なる問なりとて、先ほめ給ふ。さて答へてのたまふ意は、万の礼は、中を得るを貴ぶ。中は過不及なきなり。是礼の当然にて、至極せる道理なり。されども中に行ふ事ならずば、其本をつとむべし。万の事かざりのみにて、外の儀文華美にしておごらんよりは、唯ねがはくは倹を行ふべし。
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孟子・告子章句下任人屋廬子に問ふ有りて曰く、「礼と食と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」「色と礼と孰れか重き。」曰く、「礼重し。」曰く、「礼を以て食へば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食へば則ち食を得んに、必ず礼を以てせんか。親迎すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得んに、必ず親迎せんか。」屋廬子対ふる能はず。明日鄒に之きて以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「是に答ふるに於いて何か有らん。其の本を揣らずして、其の末を斉しくせば、方寸の木も岑楼より高からしむべし。金は羽より重しとは、豈に一鉤の金と一輿の羽との謂ならんや。食の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に食重きのみならん。色の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比べば、奚ぞ翅に色重きのみならん。往きて之に応へて曰へ、『兄の臂を紾りて之が食を奪へば、則ち食を得、紾らざれば、則ち食を得ずんば、則ち将に之を紾らんとするか。東家の墻を逾えて其の処子を摟けば、則ち妻を得、摟かざれば、則ち妻を得ずんば、則ち将に之を摟かんとするか。』と。」
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『五常訓』巻之四・礼本立てば末は是より出づる理なり。末のみ修りて、本なきは、誠なくして、礼の道たたず。喪の礼は、ことさら真実ならでは行はれざるものなれば、既に礼の本を説きて、又其内より、喪の礼の本をかかげ出して説き給ふ。
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『春秋左氏伝』昭公五年 是れ儀なり、礼に非ず楚子屈申を以て吳に貳すと為し、乃ち之を殺す。屈生を以て莫敖と為し、令尹子蕩と晉に如きて女を逆へしむ。鄭を過ぐ。鄭伯子蕩を氾に勞ひ、屈生を菟氏に勞ふ。晉侯女を邢丘に送る。子產鄭伯に相として、晉侯に邢丘に會す。公晉に如く。郊勞より贈賄に至るまで、禮を失ふこと無し。晉侯女叔齊に謂ひて曰く、「魯侯亦た禮に善からずや」と。對へて曰く、「魯侯焉んぞ禮を知らん」と。公曰く、「何為れぞ。郊勞より贈賄に至るまで、禮違ふ者無し。何の故に知らずとする」と。對へて曰く、「是れ儀なり、禮と謂ふべからず。禮は其の國を守り、其の政令を行ひ、其の民を失ふこと無き所以の者なり。今政令は家に在りて、取る能はず。子家羈有りて、用ゐる能はず。大國の盟を奸し、小國を陵虐す。人の難を利として、其の私を知らず。公室四分し、民は他に食む。思ひ公に在る莫く、其の終はりを圖らず。國君と為りて、難將に身に及ばんとするに、其の所を恤へず。禮の本末、將に此に於いてか在らんとす。而るに屑屑焉として儀を習ひて以て亟(すみ)やかなり。禮に善しと言ふは、亦た遠からずや」と。君子謂ふ、叔侯是に於いてか禮を知れりと。
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