弁名 / 文質體用本末
此皆非論說之言。與前所引就禮而言文質者殊也。又如曰禮與其奢也寧儉。以人行禮言之。奢者務備物而侈用也。儉者務節用也。是非其所行之禮有質文之殊矣。均行此禮。而務備物者爲奢。務節用者爲儉。觀曰今也純儉。則其義自明焉。後世儒者不察其辭義所在。以文質爲解。所以失也。大氐君子所以爲君子。乃以文。文即中也。非取文質之中也。是聖人立敎本意爲爾。學者察諸。
新字:此皆非論説之言。与前所引就礼而言文質者殊也。又如曰礼与其奢也寧倹。以人行礼言之。奢者務備物而侈用也。倹者務節用也。是非其所行之礼有質文之殊矣。均行此礼。而務備物者為奢。務節用者為倹。観曰今也純倹。則其義自明焉。後世儒者不察其辞義所在。以文質為解。所以失也。大氐君子所以為君子。乃以文。文即中也。非取文質之中也。是聖人立教本意為爾。学者察諸。
書き下し
此れ皆論説の言に非ず、前に引く所の礼に就きて文質を言ふ者と殊なり。又「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ」と曰ふが如き、人の礼を行ふを以て之を言ふ。奢とは物を備ふることを務めて用を侈にするなり。倹とは用を節することを務むるなり。是れ其の行ふ所の礼に質文の殊有るに非ず。均しく此の礼を行ひて、物を備ふるを務むる者を奢と為し、用を節するを務むる者を倹と為す。「今や純は倹なり」と曰ふを観れば、則ち其の義自ら明らかなり。後世の儒者は其の辞義の在る所を察せず、文質を以て解を為す、失ふ所以なり。大氐君子の君子たる所以は、乃ち文を以てす。文は即ち中なり、文質の中を取るに非ざるなり。是れ聖人の教を立つる本意爲り。学者諸を察せよ。
現代語訳
これらはどれも論評の言葉ではなく、前に引いた礼について文質を言ったものとは違う。また「礼は奢るよりはむしろ倹約せよ」というのは、人が礼を行うことについて言っている。奢とは物をそろえることに努めて費用をかけすぎることであり、倹とは費用を節約することに努めることである。これは行う礼そのものに質と文の違いがあるのではない。同じ礼を行って、物をそろえることに努める者を奢といい、費用の節約に努める者を倹という。「今は(冠を)絹糸で作るのは倹約のためだ」という言葉を見れば、その意味はおのずから明らかである。後世の儒者はその言葉の意味のありかを察せず、文質で解釈した。だから誤ったのである。だいたい君子が君子であるのは、文によってである。文こそが中(ほどよさ)であって、文と質の中間を取るのではない。これが聖人が教えを立てた本来の意図である。学ぶ者はよく察せよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『弁名』節儉「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ」の如きも、亦た用を節するを謂ふなり。「今や純なるは倹なり」に観て、以て見るべきのみ。又た曰く「富みて礼を好む」と。子路曰く「傷ましいかな貧しきや。生きては以て養ふこと無く、死しては以て礼すること無し」と。曾子曰く「国道無ければ、君子は礼を盈たすを恥づ。国奢れば則ち之に示すに倹を以てし、国倹なれば則ち之に示すに礼を以てす」と。子思曰く「其の礼有りて其の財無ければ、君子行はず。其の礼有り其の財有りて其の時無ければ、君子行はず」と。蓋し礼は必ず物を備ふ。貧しければ則ち備ふべからず。貧しからずと雖も、然れども其の用を節して必ずしも礼を盈たさざる、是れ倹なり。必ず物を備へんと欲して其の用を侈る、是れ奢なり。後儒は諸を古言に本づくるを知らず、徒らに倹は及ばざるの謂なりと謂ひて、礼に就きて過不及を争はんと欲す。其の論遂に通ぜざるを致す。学者諸を察せよ。
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『童子問』卷中問ふ。楽は有余に成ること、既に命を聞くことを得たり。礼は節倹に生ずとは、如何。曰く、人情は楽しめば則ち勤め、厭へば則ち荒む。節倹の余は、必ず家富み力給る。故に文を以て楽しみと為す。此れ礼の興る所以なり。礼奢り文勝てば、則ち財殫き力労す。故に厭ふ心生ず。是れ礼の廃るる所以なり。故に論語に曰く、礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ、と。又曰く、先進の礼楽に於けるや、野人なり。後進の礼楽に於けるや、君子なり。如し之を用ひば、則ち吾は先進に従はん、と。唐宋の礼を定むるや、必ず弥文を以て事と為す。故に唐の開元礼、宋の開宝・政和等の礼、皆虚器と為りて、時の用を為さず。蓋し礼の末を知りて、礼の本を知らざるが故なり。楽は有余に成ると雖も、然れども節倹に由りて有余を致せば、則ち楽と雖も、亦皆節倹に本づく。故に王道を行はんと欲せば、則ち倹ならざるを得ず。
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『童子問』卷中問ふ。国家承平日久しく、人皆安肆にして互ひに奢侈を以て相尚ぶ。其の久しきに及ぶや、習ひて以て風を成し、人其の奢靡たるを知らず。今遽かに節倹を以て之を治めんと欲すれば、則ち恐らくは人の遽かに従ひ難からん。如何。曰く、君子の徳は風なり、小人の徳は草なり。草之に風を尚ふれば、必ず偃す。民は其の令する所に従はずして、其の好む所に従ふ。顧ふに上の好む所如何に在るのみ。孔子曰く、上礼を好めば、則ち民敢へて敬せざる莫し。上義を好めば、則ち民敢へて服せざる莫し。上信を好めば、則ち民敢へて情を用ひざる莫し、と。皆上の好む所を謹むに在るのみ。上自ら華靡を好みて、下の節倹を欲せば、厳刑峻法以て之を縄すと雖も、而も得べからざるなり。苟も上自ら倹を好めば、則ち令せずして行はる。滕の文公古礼を行はんと欲す。父兄百官皆欲せず。其の卒るや、四方風動するに至り、路に遺ちたるを拾はざるの効有り。故に其の下に令せんと欲せば、則ち須要く其の好む所を謹むべし。上実に節倹を好まば、則ち何ぞ下の従はざるを憂へん。
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『五常訓』巻之四・礼倹とは其心真実にして、かざり偽無きを云ふ。是礼の本なり。如此倹にして真実にかざり無ければ、本たちて、末おのづから生ず。又礼の内にて、取わき父母兄弟などの死せる時、喪に居るは、尤せつなる時にて、つつしんで心を用ふべき事なり。喪に居るに、其死をいたみ哀むは、喪の礼の本なり。しかるに外の飾さかんにして、作法はそなはれども、心に哀の誠なきは、是本なきなり。かく有らんより、唯いたみ哀あつくして、外の法はおろそかならんこそ優るべけれ。凡礼は、先心の誠実なるを本とすれば、本なくして、末のみ修らんより、しかじ、本立ちて末おろそかなるには。是本末そなはらずして、偏なれども、外のかざりのみ多くして、内心に本とすべき誠なきには、遥かにまされり。
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『童子問』卷下問ふ、先儒謂ふ、戚と倹とは倶に中を失ひて及ばず、聖人已むことを得ずして時の弊を救ふと。若し先儒の謂ふ所のごとくならば、則ち論語を易しとすと雖も、亦道に合はざる者有るに非ずや。曰く、是れ中の字の義を失ふ。中は中間を謂ふ。所謂其の両端を執りて、其の中を民に用ふ、是れなり。今一丈の杖を以て其の中間を求むるに、子は必ず五尺に至るに及ぶを竢ちて、而る後に之を中と謂ひ、纔かに一分に及ばざれば、便ち指して中に非ずと為す。甚だ泥めり。大凡四五尺より六七尺に至る以内は、皆是れ中間なり。凡そ杖を把るに中間の欄柄に近き処を執るを便と為す。若し度りて五尺の処に至りて之を把らんと欲せば、則ち必ず之を過ぐるに失す。聖人人に倹と戚とを教ふるは、是れ柄に近き処を将て人に与ふるなり。中を失ふと謂ふべからず。已むことを得ずして時の弊を救ふと謂ふべからざるなり。若し時中と謂はば、又別に是れ一義なり。時の字を去れば、則ち旧に依つて只是れ中間なり。易道は総て是れ一歩を退くの法なり。老子の弱を以て強と為し、退くを進むと為すと、夐かに別なり。
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『童子問』卷中問ふ。聖賢の深く聚斂を戒むる所以の者は、何ぞや。曰く、民の怨みを取る所以の者は、聚斂より甚だしきは莫し。夫れ小人の君に事ふるや、聚斂掊克し、唯君を知りて、民の為にするを知らず。殊に知らず、民の為にする者は、便ち君の為にするの実なる所以なることを。未だ民の為にして、君の為にせざる者有らざるなり。又未だ民の為にせずして、能く君の為にする者有らざるなり。故に少しく民の為にすれば、則ち少しく効有り。大いに民の為にすれば、則ち大いに効有り。昔馮驩孟嘗君の為に薛の債券を焚く。後朞年にして孟嘗君相を免ぜられ、国に薛に就く。未だ百里に至らざるに、民老を扶け幼を携へて以て迎ふ。夫れ券を焚くは細事なり。然れども其の民心を得ること、尚ほ此くのごとし。矧んや此より大なる者をや。苟も上聚斂を好めば、則ち民必ず怨む。怨みて已まざれば、則ち怒る。怒れば則ち離る。離るれば則ち叛く。鹿台の財、郿塢の金有りと雖も、豈に能く得て己の有と為さんや。夫れ倹なれば則ち余り有り。余り有れば則ち以て人に施すに足る。奢れば則ち足らず。足らざれば則ち聚斂せざること能はず。此れ聖人の倹を尚びて聚斂を戒むる所以なり。
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