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弁名 / 節儉

如禮與其奢也寧儉。亦謂節用也。觀於今也純儉。可以見已。又曰。富而好禮。子路曰。傷哉貧也。生無以爲養。死無以爲禮也。曾子曰。國無道。君子恥盈禮焉。國奢則示之以儉。國儉則示之以禮。子思曰。有其禮無其財。君子弗行也。有其禮有其財無其時。君子弗行也。蓋禮必備物。貧則不可備矣。雖不貧。然節其用而不必盈禮。是儉也。必欲備物而侈其用。是奢也。後儒不知本諸古言。徒謂儉者不及之謂。而欲就禮爭過不及。其論遂致弗通。學者察諸。

新字:如礼与其奢也寧倹。亦謂節用也。観於今也純倹。可以見已。又曰。富而好礼。子路曰。傷哉貧也。生無以為養。死無以為礼也。曽子曰。国無道。君子恥盈礼焉。国奢則示之以倹。国倹則示之以礼。子思曰。有其礼無其財。君子弗行也。有其礼有其財無其時。君子弗行也。蓋礼必備物。貧則不可備矣。雖不貧。然節其用而不必盈礼。是倹也。必欲備物而侈其用。是奢也。後儒不知本諸古言。徒謂倹者不及之謂。而欲就礼争過不及。其論遂致弗通。学者察諸。

書き下し

「礼は其の奢らんよりは寧ろ倹せよ」の如きも、亦た用を節するを謂ふなり。「今や純なるは倹なり」に観て、以て見るべきのみ。又た曰く「富みて礼を好む」と。子路曰く「傷ましいかな貧しきや。生きては以て養ふこと無く、死しては以て礼すること無し」と。曾子曰く「国道無ければ、君子は礼を盈たすを恥づ。国奢れば則ち之に示すに倹を以てし、国倹なれば則ち之に示すに礼を以てす」と。子思曰く「其の礼有りて其の財無ければ、君子行はず。其の礼有り其の財有りて其の時無ければ、君子行はず」と。蓋し礼は必ず物を備ふ。貧しければ則ち備ふべからず。貧しからずと雖も、然れども其の用を節して必ずしも礼を盈たさざる、是れ倹なり。必ず物を備へんと欲して其の用を侈る、是れ奢なり。後儒は諸を古言に本づくるを知らず、徒らに倹は及ばざるの謂なりと謂ひて、礼に就きて過不及を争はんと欲す。其の論遂に通ぜざるを致す。学者諸を察せよ。

現代語訳

「礼は贅沢にするよりは、むしろ倹約にせよ」というのも、費用を節することをいう。「今は(冠を)絹糸で作るのは倹約のためだ」を見ればわかる。また「富んでいて礼を好む」ともある。子路は「貧しいとはつらいことだ。生きているうちは親を養えず、死んでも礼を尽くして葬れない」と言った。曾子は「国に道がなければ、君子は礼を満たすことを恥じる。国が贅沢なら倹約を示し、国が倹約なら礼を示す」と言った。子思は「その礼があってもその財がなければ、君子は行わない。その礼があり財があっても時機がなければ、君子は行わない」と言った。思うに礼には必ず物を備える必要があり、貧しければ備えられない。貧しくなくても、その費用を節して必ずしも礼を満たしきらない、これが倹である。必ず物を備えようとして費用を贅沢にする、これが奢である。後の儒者は古い言葉に基づくことを知らず、倹とは(礼に)及ばないことだと言うだけで、礼について過不及を論じようとしたため、その議論はついに通じなくなった。学ぶ者はよく考えよ。

解説

礼には物が要り、財がなければ行えない。だから礼の文脈で倹というのも、礼を軽んじることではなく、費用を節してあえて満ち足りた形を求めないことだ、と徂徠は経書の用例で示す。国が奢れば倹を示し、国が倹なら礼を示すという曾子の言葉のように、倹は状況に応じた判断でもある。後の儒者は倹を「礼に及ばないこと」と考えて過不及の議論に迷い込んだ。式典や接待の格式も、財と時機を見て節度を決めるもので、見栄で満たすものではないのである。

この章句が説くこと

倹礼奢節用曽子弁名

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